会える喜び

みなさん、おはようございます。
一昨日、青森での奉仕を終え、昨日は岩手同労者会で久しぶりにリアルにお会いしての新年会でした。わずか2年の間に、人と会うということがどれほどありがたいことなのかと、あらためて思わされました。変異株やら第六波などと言われていますが、世の中の動きはもう、そう簡単には止まらないだろうと思います。厳しい制限がかかる人たちと、気にしつつも動きや移動が活発になっていく人たち両極端に分かれてしまうのかもしれないなと思うと、それもまた心が痛みます。
どんな時代にあっても、人と会うこと、交わりを保つことは正しいことであり、良いことであり、必要なことです。たとえ制限のある中でも、機会があったならそれを神様からの恵みとして喜びたいものです。

“主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。” 2コリント 13:13

佐々木真輝

初夢

みなさん、おはようございます。冬の休暇を終えて今日から通常運転です。
「初夢」というにはちょっと日が経ちすぎましたが、休暇中に今年最初の夢を見ました。ドラマ共演がきっかけで結婚して話題になった人気の俳優・女優が夢に登場しました。その俳優さんとずいぶん親しく話しをしていましたが、最近「不仲説」が噂されているのが気になって「大丈夫?」と聞くと、「実は」と真顔で話し始めます。「実は来年の2月に子どもが生まれるんです」。それで「なるほどそういうことだったか」と妙に納得して、もちろん口外しないことを約束して喜び合うという、とっぴな内容でした。何かを暗示しているのか、何か特殊な心理状態を反映しているのかさっぱり分かりませんが、楽しい夢でした。
もちろん初夢には何も聖書的な根拠はありませんので、縁起の良い夢を見たかどうかなんて気にする必要はありません。寝ている間に見る夢にあまり深い意味を求めすぎるのは気をつけなければなりませんが、夢を持つこと、志を持つことは大事なことです。100%夢に届いたり志を達成することが保証されているわけではありませんが、目指すものがなければ成功はもちろんのこと、成長もないですから。

“神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。” ピリピ 2:13

佐々木真輝

新年

みなさん、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。十二年目に入った朝メールも、昨年同様、飛び飛びになるかもしれませんが、のんびり続けていきたいと思っています。

皆さんがどのような気分で新年を迎えたにしろ、この一年の歩みのうえに主の豊かな祝福が注がれることをお祈りしております。
昨日は何年かぶりで元旦礼拝のない元旦で不思議な感じでした。教会も静かで、お花当番の方がおいでになったくらいでしたし、周りもほとんど物音のしない静かな一日でした。今日の新年礼拝でやっと一年が始まる感じになりそうです。

“喜びをもって主に仕えよ。
喜び歌いつつ御前に来たれ。” 詩篇 100:2

佐々木真輝

2022-01-02 すべての者が帰って来ますように

2022年 1月 2日 新年礼拝 聖書:詩篇22:25-31

 新年を迎え、今年も2022年という年にちなんで詩篇22篇からみことばを味わっていきたいと思います。

さて、皆さんはどのような心境で新しい年を迎えたでしょうか。期待に満ちた出だしであるなら幸いですが、必ずしもそうではないと思います。去年から持ち越した心配ごとがあるかもしれないし、正月明け早々に待ち構えている大きな問題があるかも知れません。

新年だからといってハッピーな気分でいなきゃいけないという事ではないし、楽しく過ごせないから不幸だということではないはずです。続きを読む →

一年間ありがとうございました

みなさん、おはようございます。
今日は大晦日。今年一年も祈りと励まし、助けをいただき、ありがとうございました。朝メールについては、さぼってしまう日が多かったですね。今年一番嬉しかったことは、救われバプテスマを受ける方が起こされたこと。悲しかったことはたくさんありましたし、残念だったことも多かったですが、いつも皆さんと共に分かち合いながら歩めて感謝です。こうして振り返ることができるのは、なお、神様の守りの中にあるということです。
明日、新しい年を迎えますが、元旦礼拝はありません。新年は2日の礼拝からスタートです。今日、明日とお休みの方は神様がくださる休息を味わってゆっくりお過ごしください。お仕事の方もいますね。お疲れさまです。どうか主が労苦に報いてくださいますように。

“主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。” 詩篇 118:1

佐々木真輝

いろんな面

みなさん、おはようございます。
ここ数年、ティッシュペーパーの箱がずいぶん小さくなりました。枚数が減ったというより、紙の大きさが少し小さくなったり、薄くなったり、より圧縮して収納されているようです。さらに最近はSDG’sを意識してか、透明なフィルムも省かれたりもしています。コンパクトなのはいいのですが、その分、取り出しにくくなってしまったような気がします。途中でちぎれてしまったり、何枚も重なって出て来たり。良くなったのか悪くなったのかよく分からないです。それでも小さくなれば一度にたくさん運べますから輸送コストも軽減され、燃料も削減されるんでしょうね。それが働く人に還元されるかはちょっと怪しいですが…。
ものごとにはいろいろな面があります。神様の真理は揺るぎないものですが、私たちがすべての正しさを知り得るわけではありません。私たちが正しいと考えることも、自分の視点や立場からだけかもしれません。私たちにはその時々に正しいと信じることをしなければなりませんが、ものごとには違う面があることも心の片隅においておきましょう。

“あなたは正しすぎてはならない。
自分を知恵のありすぎる者としてはならない。
なぜ、あなたは自分を滅ぼそうとするのか。” 伝道 7:16

佐々木真輝

再生

みなさん、おはようございます。
最近気に入ってよく見ている動画があります。スイスのエンジニアの方で、古い道具を新品のように再生する様子が見られます。骨董品どころじゃない錆びだらけの道具を分解し、掃除し、錆を落とし、磨き、時には溶接しなおしたり部品を作ったりもします。世界中から「これ直せる?」という感じで持ち込まれる、かなり状態の酷いものも直してしまうのがとにかくすごいです。どの道具を直す時でも必ず、最初に水洗いしてブラシをかけ、よごれを落とすことから始めます。忍耐強く、細かい作業を続け、見かけを綺麗にするだけでなく、ちゃんと道具として使えるように再生するのです。
こんなのに興味が湧くのは、自分自身が心身の衰えを感じたり、ほころびやがたつきを感じるようになっているからかもしれませんね。でもイエス様による救いも、この再生の仕事に似ています。見かけだけきれいにするのではなく、ちゃんと道具として再生するかのように私たちを整えてくれます。そして、その最初は誰の場合でも汚れ落としからです。

“神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。” テトス 3:5

佐々木真輝

2021-12-26 わがたましいよ

2021年 12月 26日 礼拝 聖書:詩篇103:1-22

 2021年も間もなく終わろうとしています。今年一年もこうして週ごとに皆さんとご一緒に礼拝を捧げ続けることができたことを心から感謝します。教会の営み、交わりは礼拝だけではありませんが、私たちが信じる神様を賛美し、イエス様の恵みとみことばに教えられ、励まされながら歩むために、リアルであれオンラインであれ思いにおいてであれ、ともに集まることは信仰による生活の中心にあることです。

一方で、二年にわたるコロナ禍の影響で様々な制約が続き、何かをやりきったという満足感や充実感からはほど遠い気分です。他の教会の様子を横目で見ながら、「あそこではこんなことをやってる」「あんなことを再開した」「おお、全然気にせずやってるなあ」などと思い、私たちの教会はどうしたらいいかと悩みながら、迷いながらの一年でした。続きを読む →

光を掲げよう

みなさん、おはようございます。
先日、古いキャンプ用のガソリンストーブを引っ張り出した話しを書きました。実はもう一つ、同じ時に一緒に購入したランタンもありました。こちらも一緒にお蔵入りしていたのですが、せっかくなのでまた使えるようにと思ったわけです。しかし、ランタンのほうは全然火がつく様子がありません。燃料を送り出す部品の一つが交換しなければなりませんでした。部品を取り寄せ、一度全部分解してから交換作業をし、また組み立てなおし、点火のテストというふうにして、ランランの温かい光が取り戻されました。キャンプに行く予定はないので、実際に夜の暗闇を照らす日がいつになるかは分かりませんが、その日を楽しみにしています。
灯りを持っていても、私のように仕舞い込んでいたり、手入れが悪くいざという時に着かなかったり、燃料が足りなくて消えてしまったりしてはもったいない。私たちに与えられた小さな光はこの世で輝かせるようにと与えられたものですから、仕舞い込まずに高く掲げましょう。

“このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。” マタイ 5:16

今日はクリスマスイブのキャンドル礼拝です。夜7時からになります。ライブ配信もやりますのでどうぞご参加ください。

佐々木真輝

出所の確かさ

みなさん、おはようございます。
昨日の朝メールはいつもとは違うメールアドレスから送ってしまったようです(教会のメールアドレスでしたね)。ひょっとして届かなかった方がおられたかもしれません。大変申し訳ありません。普段、教会からの連絡で使っているメアドなのでまだいいですが、これが全然知らないアドレスからだとびっくりしますね。場合によっては「迷惑メール」に分類されて見逃してしまうかもしれません。ちゃんと知っている人から届いたメールは安心して読めますし、大事な内容もちゃんと確認できます。
聖書のことばは神様から届けられたました。時として厳しいところも、難しいところもありますが、出所は安心です(メールアドレスはありませんが)。そして最も大切なことは、私たちを慰め励まし強めるために与えられたということです。

“聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。” 2テモテ 3:16

佐々木真輝