2021-08-22 ある愛の詩

2021年 8月 22日 礼拝 聖書:雅歌1:1-7

 先週、、盛岡のN兄の奥様のお母さんが召されたとの知らせを受け取りました。以前から存じ上げており、家内と同じ場所でがんを患い、闘病しておられました。葬儀に行くことはできなかったのですが、家内がリモートで葬儀に参加したということでその様子を聞きました。

ご主人がご挨拶の中で、亡くなった奥様を本当に愛しておられたことを率直なことばで語っておられたということを聞いて、胸が締め付けられ、大変感動しました。それは愛の力と美しさへの個人的な感動だけでなく、ちょうど、今日雅歌を通して語るように教えられていることが、そのまま目に見える例として示されたように思えたのです。続きを読む →

いつでも喜びを

みなさん、おはようございます。
去年の今頃は、岩手県でずっと0が続いて来た新型コロナの感染が7月末の第一号からついに二桁台になりました、という時期でした。それ以前から多くの方々がかなり緊張して過ごしていたと思いますが、第一号が出て少し気が抜けた感じがありました(あくまでも個人的な印象ですが)。それから一年経って、状況は悪化しています。我慢すること、制限されることが多く、精神的にも不安や恐れ(必ずしも病気そのものへの恐怖に限らないです)を感じたり、常に意識の中にトゲのようにあり続けることに疲れも覚えています。
でも、日曜日に取り上げた伝道者の書を通して、思いに任せない日常でも神様が備えてくださる良いものはあるのだから、それを感謝し、精一杯喜び、やるべきことを楽しんでやったら、世界が違って見えるんじゃないかなと思わされました。説教準備や神学校のクラスを導くようなことであれ、お風呂掃除のようなことであれ、楽しみや喜びは見つけられますし、日常の景色の中にも喜びは見つかります。

“また、人がみな食べたり飲んだりして、すべての労苦の中に幸せを見出すことも、神の賜物であることを。” 伝道 3:13

佐々木真輝

よくよく考えながら

みなさん、おはようございます。
昨日の夜、リレーフォーライフの実行委員会が開かれ、準備してきたイベント内容を変更し、オンラインでの生配信のみとすることになりました。ご存知の通り、岩手県での感染拡大が止まらず県独自の「緊急事態宣言」が出され、北上市内の施設が休館となったためです。しかも「まん延防止等重点措置」も国に要望しているとのことで、なかなか厳しい状況です。ただ、委員会に出ていた現場のお医者さんたちの話では、ほとんどの方が軽症で病院に来てもその日に帰る人がほとんどということで、あまり極端に怖がる必要もないのかなと思わされます(ただし、接触者が多いと家族、学校、職場に多大な影響がありますし、一定程度で重症化する方はいるので、軽く見ることもできません)。
こうした状況の変化を受けて、今日の婦人会、祈祷会はいつもどおり開催はしますが、婦人会の後の食事は取りやめとします。秋までは我慢と思って来ましたが、まだ忍耐が必要です。私たちにとって大切なことは何か、よくよく考えながら知恵深く日々を過ごさなければなりませんね。

“賢い人の知恵は自分の道をわきまえること。
愚かな者の愚かさは欺きにある。” 箴言 14:8

佐々木真輝

人間だけが

みなさん、おはようございます。
前にも書きましたが、我が家のワンコたちはなかなか仲良くなれません。たまあに仲良さそうに寄り添って寝ている時もあるのですが、ねたんだり張り合ったりして、遊んでいるかと思えばエスカレートしてケンカになります。どうすれば仲良くできるのだろうかと日々悩んでいます。
私たちはすべての人と仲良くできるわけではありません。どうしてもソリの合わないタイプの人がいたり、人間関係がギクシャクしたりします。それでも、人間だけが自らの意志で謝罪したり、赦したり、和解したりできますし、怒りを覚えながらも行動においては愛をもって接する選択ができるものです。そうした能力や権利を手放させてしまうのが罪の性質、反対にそれらを選びなおすことがイエス様が教えた新しい戒めの一つです。

“『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。” マタイ 22:39

佐々木真輝

経験が役に立たない

みなさん、おはようございます。
一昨日も涼しかったのですが、昨日は寒いくらいでした。薄手の長袖を着て、その上、エアコンの暖房のスイッチを入れようか本気で迷うほどでした。お盆過ぎに暑さが終わって涼しくなるというのはよくありますが、この時期にここまで寒さを感じるのは珍しいですね。またこの辺ではそこまで感じませんでしたが、九州や西日本では数十年に一度の災害レベルの雨で、すでに被害も出ているとのことで気がかりです。
私たちは様々なことを経験して生きる知恵として身につけていくのですが、その経験がまったく役に立たない時があります。季節外れの寒さくらいなら対処できますが、そうでないと自分の経験に頼るのはむしろ危険です。ただ、私たちにとって経験のないことでも、過去の歴史の中では誰かがすでに経験し、そこから学んだ教訓が残されていることが多いです。経験が役に立たない時は、過去に学ぶ、誰かに教わるということがとても大事です。

“昔あったものは、これからもあり、
かつて起こったことは、これからも起こる。
日の下には新しいものは一つもない。” 伝道 1:9

昨日は岩橋洋子さんの誕生日でした。勘違いして遅れてしまいましたが、祝福を祈ります。

佐々木真輝

2021-08-15 謎だらけの人生の中で

2021年 8月 15日 礼拝 聖書:伝道者の書1:1-11

 今日は「終戦の日」となっています。昭和16年末に戦端が開かれ、昭和20年までのおよそ3年半続いた太平洋戦争が日本の敗戦をもって集結したことを記念する日です。正確には終戦の日ではなく、その前の出されていた無条件降伏を勧告するポツダム宣言を受けいれることを、ラジオで昭和天皇が公表した日です。実際に降伏文書に署名したのは9月2日のことなので、アメリカやイギリスなどは対日戦争の戦勝記念日を9月2日にしています。さらに国際法上では平和条約が結ばれた7年後の昭和27年4月28日が連合国と日本の戦争が終わった日ということになるのだそうです。続きを読む →

努力が無駄になるかもしれないとき

みなさん、おはようございます。そして、お久しぶりの朝メールです。
県内の新型コロナの感染者数が増えて、県独自の緊急事態宣言が出されました(法律に基づく緊急事態宣言とは違うのでちょっとややこしい)。それに伴い、北上市内でも様々なイベントが中止になり、市の施設も休業・閉鎖ということになっています。8月末から9月はじめにかけて予定されていたがん患者と家族のためのチャリティ活動の各イベントもどうなるか、微妙な状況です。もしかしたら、これまでの準備が無駄になってしまうかもしれないという恐れをいだきながら、自分がやるべきことはやり遂げようと頑張ってはいます。
私たちの人生の中では、努力が無駄になるかもしれないと思う時があります。そうなると「ここで頑張ってもしょうがないしな」と投げやりな気持ちになったり、「どうせおしまいだ」と諦める気分に襲われます。そうかもしれません。でも自分がやるべきことをやったら、少なくともできることはやりきったという事実は残るし、それは別な形で財産になるはずです。ひょっとしたら楽しんでやりきれたりさえします。ままならないことが多いのがこの世界での「お決まり」なので、神様が与えてくださる良い贈り物を楽しみましょう。

“朝にあなたの種を蒔け。夕方にも手を休めてはいけない。あなたは、あれかこれかどちらが成功するのか、あるいは両方とも同じようにうまくいくのかを知らないのだから。” 伝道者11:6

佐々木真輝

2021-08-08 信仰によって生きる技術

2021年 8月 8日 礼拝 聖書:箴言1:1-9

 何かを知っていることと、それをうまく使えることは別のことです。同じように、聖書に示されている真理を知識として知ることと、それによってよりよく生きることは別のことです。

以前開いたヨブ記やこの箴言、そして伝道者の書は「知恵書」と言われます。ヨブ記の難解さや伝道者の書のどう読んでいいかわからない感じとは違って、箴言はとてもわかり易い格言がいくつも並んでいるので、読んでいて面白いし、ためになる言葉がいくつもあります。続きを読む →

メインルート

みなさん、おはようございます。
3ヶ月ほど前に斜面の崩落のために通行止めになった国道はなかなか復旧の目処が立たないようです。通行止めになっている区間は誰も住んでいないエリアですが、北上と西和賀を結ぶ大事な道です。高速道路で迂回できますし、今は無料で使えるのですが、それでも明らかに人の流れは滞っているとのことで、経済的にも大きな痛手のようです(その高速道路も冬になるとよく通行止めになりますね)。
つながっているべき道が閉ざされると、たとえ迂回路があったとしても流れに影響が出てしまうものです。神様と私たちの関係も礼拝、祈り、賛美、みことばに聞くといったメインルートが閉ざされてしまうと、他のルートでつながっていられるでしょうが、それでも豊かないのちの流れは滞ってしまいます。大切にしたいですね。

“なんと幸いなことでしょう。
その力があなたにあり
心の中にシオンへの大路のある人は。” 詩篇 84:5

佐々木真輝

新しい家族

みなさん、おはようございます。
ちょうど一年前に教会に来はじめたMさんが、先日の礼拝後に無事にバプテスマを受けることができました。事前の準備で何度か聞いた救いの証しも、何度聞いても心打たれます。そして正式に神様の家族の一員として迎えられたMさんを交えての最初の主の晩餐も和やかに行われ、ただただ神様の恵みと御わざを喜び、賛美する時でした。
赤ちゃんが誕生すると、ただただ新しい命の誕生、新しい家族の一員の存在を喜ぶのですが、その子の人生は始まったばかりです。その先、親も一緒に成長していくように、新しいクリスチャンの誕生は、その人自身の成長とともに、関わる私たちの成長の機会でもあります。私自身もこのようにして一人の人が新しく神様の家族に加えられる歩みの傍らを歩ませていただいて、毎回たくさんのことを教えられています。

“ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。” 1テサ 5:11

佐々木真輝