2021-09-12 慰めよ、わが民を

2021年 9月 12日 礼拝 聖書:イザヤ40:1-8

 なくなってほしいと願いながら無くならないのが苦難や悩み。そして来なければ良いのにと思ってもやってくるのが死です。人間、生まれた時から苦難と死は避けられないものです。こう言ってしまうと夢も希望もない感じもしますが、むしろ、夢や希望は苦難や死があるからこそ価値のあるものです。

クリスチャンにとって希望は、単なる目くらましや気休めではなく、神の約束に基づいた確信です。希望を持つということは、約束してくださった神への信頼そのものです。

しかしながら、私たちが大きな苦難や痛みに直面する時、遠い将来の希望もほしいけれど、近い将来の、手に届く励ましや慰め、約束が欲しいというのも事実です。続きを読む →

誰かに伝える

みなさん、おはようございます。
昨日の夜で、今年度前期の神学校のクラスが終わりました。完全にオンラインだけでしたが、学んでくださった方々がそれぞれ何かを得てくださったことを嬉しく思いますし、自分たちの教会には直接の「見返り」が何もない、このような働きを祈って支えてくださる皆さんにも心から感謝しています。自分自身の中では、教えることを通して自分自身がさらに学ばされ、それが教会の働きにも反映されているというふうに感じているのですが、必ずしも眼を見張るような成果になるわけではないですからね。とにかくありがとうございます。
若い頃に先輩から言われたのは、人は教えることによってよく深く学び、本当に理解することができるようになる、ということでした。おおやけの場や大きな機会だけでなく、友だちに感動を伝える、という小さな、個人的なことであってもそれは同じです。教えること、伝えることは、相手のためにもなり、自分のためにもなります。

“しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」” マルコ 5:19

佐々木真輝

喜びのほうを選ぶ

みなさん、おはようございます。
昨日、予約していた1回目のワクチン接種がありました。接種会場となった病院の入り口にはデカデカと「面会禁止」の張り紙があり、緊急事態宣言下にある都道府県名が張り出してあり、これらの地域からの院内への立ち入りも原則お断りとのこと。ああ、ずっとこんな緊張が続いているのだなあと、医療関係者のご苦労を思い、また少しでも顔を見たい、そばにいたいという患者と患者家族の間も引き裂かれたままなのだなあと、心が痛みました。そういえば最近、第一子が元気に誕生した盛岡のN君も、パパになったというのにすぐには会えなかったそうです。
そういう不便さは続きますし、ワクチンを打ったら大丈夫とうことでもなさそうですし、工夫したり、楽しんだり、ちょっと我慢したりしながら生きて行くしかないですね。そういうのは、べつにコロナとか関係なく、人生はだいたいそういうものかもしれません。文句を言いながら生活することも、楽しみを見つけながら生きるのも、私たちの信仰と心のありよう次第です。そして喜びを選ぶ方が、私たちにとって断然良いことです。

“最後に、私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。私は、また同じことをいくつか書きますが、これは私にとって面倒なことではなく、あなたがたの安全のためにもなります。” ピリピ 3:1

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

任せるとは

みなさん、おはようございます。
一年近く担ってきたある役割を今月から別の人に任せることにしました。その人の仕事ぶりを見ていろいろ思うことはありますが、任せた以上、本質的に間違ったことでない限り口出ししちゃいけないなと自粛しています。
イエス様は、ご自身の働きとことばを教会に、つまり私たちに任せてくださいました。これはもう、とってもすごいことです。イエス様がやったほうが絶対うまく行くのに、不完全で間違いも多く、「証しにならないこと」も結構しでかしてしまう私たちに大事なことを任せませました。その上、いちいち口出ししたりせず、聖書を通して私達自身が自分で点検し、考え、より良くできるようになることを期待してくださってもいます。ほんとにすごいことです。

“自分に委ねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって守りなさい。” 2テモテ 1:14

佐々木真輝

迷えるときに

みなさん、おはようございます。
土曜日のりレフ―フォーライフの生配信が終わり、教会に戻って機材の片付けをしている時に、玄関の方から何やら話し声が聞こえて来ました。掃除に来ていたOさんが、雨でずぶ濡れになった若いお母さんとお子さんたちを見かけたので、中に入れてあげたというのです。「何か大きな事情を抱えて行き場を失った母子?」などという考えが一瞬よぎりましたが、車を置いた駐車場の場所がわからなくなって迷っていたということです。大きな荷物は教会において、とりあえず雨の中一緒に駐車場を探し当て、何とか帰る事ができました。探している間、学校前と思しき娘さんの話し相手になりつつ、お母さんは心配そうな表情でしたが、車を見つけてホッとしていました。
迷った時、特に行きたい場所ははっきりしているのに、どう行ったらいいかわからない時は本当に困るし、不安になります。現実の道順だけでなく、人生の道のりでもそうです。そんな時に一緒に探してくれたり、一緒に歩いてくれる人がいたら相当安心ですね。イエス様はもちろん共にいてくださる方ですが、同時に、イエス様は私たちが互いのための同伴者になるようにと願っているのだと思います。

“あなたがたが互いに愛し合うこと、わたしはこれを、あなたがたに命じます。” ヨハネ 15:17

昨日は****さん、****さんの誕生日でした。遅ればせながら祝福をお祈りします。

佐々木真輝

2021-09-05 地上では旅人

2021年 9月 5日 礼拝 聖書:ヘブル11:13-16

 先日、東京にいる友人牧師から一冊の本が送られて来ました。毎年夏には秋田にある小さな無牧の教会のために車で奉仕に来られ、帰りには必ず北上によってくださって一緒にお昼ごはんを食べるのが習慣になっていましたが、去年も今年もそれが叶わず、寂しいなあと思っていましたが、慰められる思いでした。

いただいた本は、その友人牧師の教会で長年奉仕された名誉牧師で95歳になる宣教師が教会の60周年を記念して使徒信条について書いたものです。

その本の序文にこんな一文がありました。「人生は長い旅路。キリスト者にとって、それは、御国の故郷に向かう、巡礼の旅です。「信仰こそ旅路を導く杖」私たちは、賛美歌270版でそう歌います。旅路の終わりに近づいた今、振り返ってみますと、私の人生も、私自身も、信仰によって築かれてきたと言うことができます。私の信仰は多くの方々の信仰によって育まれてきました。その方々に、心から感謝いたします。同時に、信仰は神様からの賜物(ギフト)です。そして、その土台が神様のみことばです。」続きを読む →

くれぐれも

みなさん、おはようございます。
昨日、大分県のある教会で大規模なクラスター感染があったことが報道されました。一部の人たちがマスクをはずして合唱していた(賛美していたのかな)ということで、45名以上が感染したそうです。どれくらいの密集ぐあいだったのか、どれだけの人がマスクを外していたのか、ワクチン接種が進んでいたのか、換気はどうだったのか、どれも明らかではないので比べることはできませんが、私たちも含め、どこでも起こり得ることです。そして問題になっている音楽フェスと同じような扱いで非難を受けることになるでしょう。ですので、教会にいらっしゃる方は、ちょっとでも体調に変化があったら自宅にとどまること、マスクも手作りマスクや布マスクやウレタンマスクではなく不織布のマスクをつけるようにしましょう。また自分の住んでいる地域を超えて行き来があった時は注意深く判断しましょう。とくに緊急事態宣言やまん延防止措置が出されている地域に行ったり、そこから来た人との接触があったときは特にそうです。
みんながオンラインでつながれるわけではないので、集まっての礼拝をやめたりはしませんが、ワクチンを打ったことを過信せず、自分のため周りの人やその家族のために行動しましょう。もちろん集まることを控えご自宅で礼拝を守る方も主が恵んでくださいます。

“何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。” ピリピ 2:3

今日の午後3時からリレー・フォー・ライフのYouTube生配信があります(これもオンラインのみになりました)。
リンクはこちらです。

お時間の許される方はぜひ。邦子さん、光代さん、宏美さんが出演するゴスペルフラは生配信の時しか見られません!
私は配信のオペレーションをしますのでちゃんとできるようにお祈りください。

佐々木真輝

得意分野を磨いて

みなさん、おはようございます。
パラリンピックには、オリンピックにはない独特の競技があります。昨日はそんな競技の一つで日本人が金メダルを取ったという報道がありました。障害のあるなしに関わらず楽しめそうなスポーツで、ちょっとカーリングにも似た頭脳戦もあり、なかなか奥が深そうでした。それを見ながらふと思い出したのは、「うで組」という親父の会をやっていた時に市内の高齢者施設にいって入所者の方々と「輪投げ」をしたときのことです。まったくかないませんでしたが、とても楽しい時間でした。
同じ土俵で戦えば一握りの勝者しか生まれませんが、それぞれが得意な土俵で戦ったらその分、たくさんの勝者が生まれます。私たちにもそれぞれに神様が与えてくださった得意分野があることでしょう。勝ち負けを気にする必要はないでしょうが、苦手分野で誰かより上手にできないことを嘆いたり恥じたりする必要もありません。それよりは自分の得意な分野を磨いて、神様に仕え、人に仕える者になれることを目指しましょう。

“働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。” 1コリント 12:6-7

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

コオロギの歌声

みなさん、おはようございます。
昨日、車を運転中に信号待ちをしていたらコオロギの鳴き声が聞こえて来ました。気づけば今日からもう9月なんですね。厳しい残暑を覚悟していましたが、それほどでもないようでちょっと安心していますが、この夏はへんな天候だったので、田んぼや畑の生育具合はどうなんでしょうね。
聖書の世界の気候と日本の気候はだいぶ違いますが、それでも季節ごとのしるしがあり、主の恵みの中で実りの時、喜びの時があるのは同じです。未だに終息が見えない新型コロナの驚異やそれぞれの人生の中での様々な課題があっても、よく目をこらして主が備えてくださる季節の変化の兆しを見逃さず、喜びと希望を抱いて歩みましょう。

“わたしは時にかなって、あなたがたの地に雨、初めの雨と後の雨をもたらす。あなたは穀物と新しいぶどう酒と油を集めることができる。” 申命記 11:14

今日は****さんと****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

散歩が上手でも下手でも

みなさん、おはようございます。
昨日の夕方、久しぶりに和賀川沿いの公園にワンコたちを連れて散歩に行きました。相変わらず小さい子(体の話でまあまあのオジさんになりました)は本当に歩き方が上手で、足元をピッタリとついて引っ張ることも他の犬に立ち向かったりすることもなく、上手に歩きます。時々こちらの顔を見上げる仕草も可愛さ格別です。大きい方(いつまで経っても子犬のような遊び方をします)は、相変わらず歩き方が下手でとにかく、嬉しくてシカタガナイという感じで跳ね回り、他の犬を見かけると立ち向かおうとします。散歩の仕方の上手下手はありますが、どちらも確かに一緒に歩くのが嬉しいようです。
私たちは神様と共に歩みますが、多分、そこにも上手下手があります。ぴったり寄り添うように神様と共に歩む人もいれば、跳ね回ったり、いろんなことに心が向いて寄り道したり、急ブレーキをかけたりする人もいます。あるいは歩き疲れて「もう歩きたくない」と座り込むかもしれません。そのどんな歩みも、神様と共に歩むことを喜び、また共に歩んでくださる神様へのアピールであったりするわけで、きっと神様はそんな私たちを愛し、慈しんでくださっています。

“信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。” ヘブル 11:5

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。
午後からは3.11いわて教会ネットワークのオンラインミーティングです。

佐々木真輝