経験が役に立たない

みなさん、おはようございます。
一昨日も涼しかったのですが、昨日は寒いくらいでした。薄手の長袖を着て、その上、エアコンの暖房のスイッチを入れようか本気で迷うほどでした。お盆過ぎに暑さが終わって涼しくなるというのはよくありますが、この時期にここまで寒さを感じるのは珍しいですね。またこの辺ではそこまで感じませんでしたが、九州や西日本では数十年に一度の災害レベルの雨で、すでに被害も出ているとのことで気がかりです。
私たちは様々なことを経験して生きる知恵として身につけていくのですが、その経験がまったく役に立たない時があります。季節外れの寒さくらいなら対処できますが、そうでないと自分の経験に頼るのはむしろ危険です。ただ、私たちにとって経験のないことでも、過去の歴史の中では誰かがすでに経験し、そこから学んだ教訓が残されていることが多いです。経験が役に立たない時は、過去に学ぶ、誰かに教わるということがとても大事です。

“昔あったものは、これからもあり、
かつて起こったことは、これからも起こる。
日の下には新しいものは一つもない。” 伝道 1:9

昨日は岩橋洋子さんの誕生日でした。勘違いして遅れてしまいましたが、祝福を祈ります。

佐々木真輝

2021-08-15 謎だらけの人生の中で

2021年 8月 15日 礼拝 聖書:伝道者の書1:1-11

 今日は「終戦の日」となっています。昭和16年末に戦端が開かれ、昭和20年までのおよそ3年半続いた太平洋戦争が日本の敗戦をもって集結したことを記念する日です。正確には終戦の日ではなく、その前の出されていた無条件降伏を勧告するポツダム宣言を受けいれることを、ラジオで昭和天皇が公表した日です。実際に降伏文書に署名したのは9月2日のことなので、アメリカやイギリスなどは対日戦争の戦勝記念日を9月2日にしています。さらに国際法上では平和条約が結ばれた7年後の昭和27年4月28日が連合国と日本の戦争が終わった日ということになるのだそうです。続きを読む →

努力が無駄になるかもしれないとき

みなさん、おはようございます。そして、お久しぶりの朝メールです。
県内の新型コロナの感染者数が増えて、県独自の緊急事態宣言が出されました(法律に基づく緊急事態宣言とは違うのでちょっとややこしい)。それに伴い、北上市内でも様々なイベントが中止になり、市の施設も休業・閉鎖ということになっています。8月末から9月はじめにかけて予定されていたがん患者と家族のためのチャリティ活動の各イベントもどうなるか、微妙な状況です。もしかしたら、これまでの準備が無駄になってしまうかもしれないという恐れをいだきながら、自分がやるべきことはやり遂げようと頑張ってはいます。
私たちの人生の中では、努力が無駄になるかもしれないと思う時があります。そうなると「ここで頑張ってもしょうがないしな」と投げやりな気持ちになったり、「どうせおしまいだ」と諦める気分に襲われます。そうかもしれません。でも自分がやるべきことをやったら、少なくともできることはやりきったという事実は残るし、それは別な形で財産になるはずです。ひょっとしたら楽しんでやりきれたりさえします。ままならないことが多いのがこの世界での「お決まり」なので、神様が与えてくださる良い贈り物を楽しみましょう。

“朝にあなたの種を蒔け。夕方にも手を休めてはいけない。あなたは、あれかこれかどちらが成功するのか、あるいは両方とも同じようにうまくいくのかを知らないのだから。” 伝道者11:6

佐々木真輝

2021-08-08 信仰によって生きる技術

2021年 8月 8日 礼拝 聖書:箴言1:1-9

 何かを知っていることと、それをうまく使えることは別のことです。同じように、聖書に示されている真理を知識として知ることと、それによってよりよく生きることは別のことです。

以前開いたヨブ記やこの箴言、そして伝道者の書は「知恵書」と言われます。ヨブ記の難解さや伝道者の書のどう読んでいいかわからない感じとは違って、箴言はとてもわかり易い格言がいくつも並んでいるので、読んでいて面白いし、ためになる言葉がいくつもあります。続きを読む →

メインルート

みなさん、おはようございます。
3ヶ月ほど前に斜面の崩落のために通行止めになった国道はなかなか復旧の目処が立たないようです。通行止めになっている区間は誰も住んでいないエリアですが、北上と西和賀を結ぶ大事な道です。高速道路で迂回できますし、今は無料で使えるのですが、それでも明らかに人の流れは滞っているとのことで、経済的にも大きな痛手のようです(その高速道路も冬になるとよく通行止めになりますね)。
つながっているべき道が閉ざされると、たとえ迂回路があったとしても流れに影響が出てしまうものです。神様と私たちの関係も礼拝、祈り、賛美、みことばに聞くといったメインルートが閉ざされてしまうと、他のルートでつながっていられるでしょうが、それでも豊かないのちの流れは滞ってしまいます。大切にしたいですね。

“なんと幸いなことでしょう。
その力があなたにあり
心の中にシオンへの大路のある人は。” 詩篇 84:5

佐々木真輝

新しい家族

みなさん、おはようございます。
ちょうど一年前に教会に来はじめたMさんが、先日の礼拝後に無事にバプテスマを受けることができました。事前の準備で何度か聞いた救いの証しも、何度聞いても心打たれます。そして正式に神様の家族の一員として迎えられたMさんを交えての最初の主の晩餐も和やかに行われ、ただただ神様の恵みと御わざを喜び、賛美する時でした。
赤ちゃんが誕生すると、ただただ新しい命の誕生、新しい家族の一員の存在を喜ぶのですが、その子の人生は始まったばかりです。その先、親も一緒に成長していくように、新しいクリスチャンの誕生は、その人自身の成長とともに、関わる私たちの成長の機会でもあります。私自身もこのようにして一人の人が新しく神様の家族に加えられる歩みの傍らを歩ませていただいて、毎回たくさんのことを教えられています。

“ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。” 1テサ 5:11

佐々木真輝

コイノニア

みなさん、おはようございます。
今年度から始めた月一度の「コイノニア」の時間。コロナ禍で食事の交わりが出来ておらず、十分な交わりが出来ていない状況にいくらかでも助けになるようにと始めました。今日はその時間を用いて、その中でバプテスマ式と、普段は礼拝の中で行っている聖餐式を行います。初めてのやり方です(とは言っても、以前、総会が毎月行われていた頃は教会員だけが集まる総会前に行っていました。時代が変わればやり方も変わります)。「コイノニア」には「分け合う」という意味がありますから、バプテスマにあずかり、教会の一員に加えられた方と、初めての聖餐式を共に祝うことは、バプテスマの喜びを分かち合うのにピッタリではないかなと思っています。
主イエス様によって与えられた救いと、主にある交わりを喜び、感謝しつつ、今日の礼拝とコイノニアの時を祝いましょう。もちろん、バプテスマ式もオンラインで配信を続けます。

“彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。…彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。” 使徒 2:41-42

佐々木真輝

2021-08-01 信仰によって歩み出す

2021年 8月 1日 礼拝 聖書:ヘブル11:8-12

 私のように、オリンピック開催には否定的な意見がありながらも、開催にこぎ着けたオリンピックですが、選手たちを見ているとよく一年の延期を乗り切ったなあと感心します。去年だったらもっといいパフォーマンスが出来たという人もいるでしょうし、逆に延期になった影響で、結局有力と言われていた選手が出場の機会を逃してしまったり、体力や気力のピークを一年先に延ばすのに苦労した人もいたことでしょう。

しかも、直前までほんとうに開催されるのか、中止になってしまうのではないか、という先の見えない中で、信じて準備し続けるというのは本当に大変なことだったと思います。続きを読む →

はじめまして

みなさん、おはようございます。
この前の日曜日、いつものように月一度の大船渡教会での礼拝に向かうと、初めてお会いする方がおられました。お友だちに誘われて来たという方でした。たった一人いつもより増えただけですが、何か教会の交わりの雰囲気が変わったのか、最近礼拝が終わると割とすぐに帰っていた方もしばらく残って行き、何やらお話をしていたようです。私も初めてお会いしたその方とお話ができてとても嬉しかったです。続けて来られるといいなと心から願っています。
元来、人見知りでそれほど社交的でもない私ですが、さすがに鍛えられて、いくらかましになりましたので、初めてお会いする方がいると若干緊張しつつも嬉しさが勝ります。「はじめまして」の挨拶が「またお会いできて嬉しいです」に変わり、「おはようございます(こんにちは)」がいつもの挨拶にまでなったら本当に嬉しいです。

“すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。” マタイ 28:9

今日は****さんのお誕生日です。祝福を祈ります。
婦人会と祈祷会もあります。

佐々木真輝

新しい「普通」

みなさん、おはようございます。
カナダの*****先生夫妻(以前、香港のチームと一緒に来てくださった元宣教師)から夏の挨拶が届きました。カナダではようやく教会で普通にいろいろな集会を開くことができるようになったそうですが、その「普通」に慣れるのにまた時間がかかりそうだとのことでした。確かに、こんな状態が2年近く続くと、これがもう普通になってしまいますからね。元に戻すのが良いことか迷う部分もあったりします。とはいえ、お店やイベント関係は本当に元に戻ってくれるのを切実に待っていることでしょう。
私たちがクリスチャンになって、聖書に示される新しい生き方を身につけていこうとします。以前「普通」だったことから新しい「普通」を身につけていく途中では違和感や慣れない感じがつきものです。でも、コロナ対策がそうだったように、これが良い道なのだと信じて身につけ、新しい普通にしていく必要があります。マスクと違って慣れれば快適でもあります。

“また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、” エペソ 4:23

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝