想像力

みなさん、おはようございます。
物語を読んでいて実際の景色や味はどんなだろうなと想像を膨らますことがあります。昨日、ある有名な冒険小説に登場する「種入り焼き菓子」を実際に作るというテレビ番組があるというので楽しみに見ました。ほんとうに美味しそうですが、そこはテレビです。目では見られましたが、味はやはりまだ想像するしかありません。でも、楽しいです。
想像力は神様が人間に与えた素晴らしい賜物で、天地を造られた創造主の性質を分け与えられたものです。最悪を想像しすぎると恐怖にもなりますが、楽しいことを想像すれば喜びに、危機を想像すれば危険回避に、完成した姿を想像すればビジョンになります。せっかく与えられた賜物を良いかたちで用いたいですね。

“烏のことをよく考えなさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。それでも、神は養っていてくださいます。あなたがたには、その鳥よりも、どんなに大きな価値があることでしょう。” ルカ 12:24

今日は全国キリスト災害ネットワークのオンライン全体会があります。

佐々木真輝

2021-04-18 私たちは誰か

2021年 4月 18日 礼拝 聖書:歴代誌第二 36:11-23

 先週に引き続き、歴代誌の後半、第二を今日は取り上げます。

前回もお話しましたが、歴代誌は捕囚となっていたバビロンから人々が帰還した時代に記されました。一度滅びた祖国を再建しようとしている時代です。

かつての祖国に暮らしていた人たちにとっては荒れ果てても懐かしい土地に違いありませんが、バビロンで生まれ育った人たちや、捕囚の中で生活を確立した人たちにとっては、瓦礫を片付け神殿を再建したり、町の再建のために頑張る、はっきりした動機付けが欲しいところかもしれません。続きを読む →

対話

みなさん、おはようございます。
少し時間が経ってしまいましたが、先週とその前の月曜日に地元FM局のラジオで、二週にわたって市内の住職さんと一緒に収録した番組が放送されました。放送ではあんまり感じられませんでしたが、収録時には倍以上お話をし、もうちょっと対談っぽい感じにもなりました。Youtubeでも聞くことができますので、よろしかったらどうぞ。
考えや感じ方が異なる相手と対話することは自分自身の世界を広げることになります。牧師と住職の対話も面白さや学ぶことはありますが、家族の中でそうした話しになるときは、だいたい何か大きな課題がある時なので、対話に感情が絡み合って思うような話しができなかったり、言い争いになってしまう事もありますね。福音を伝えることが目標であっても、伝えることと押しつけることは違うので、まずは相手の考えや気持ちを理解しようと聴くことが大事です。言う程簡単ではありませんが、大事にしたいことです。

“偽りの証人は滅びる。
しかし、よく聞く者は正しく語り続ける。” 箴言21:28

佐々木真輝

知ってほしい

みなさん、おはようございます。
この間、お休みの日に岩沢にあるミズバショウ群生地に行って来ました。毎年似たような写真を撮ってますが、今回も写真を撮ってSNSに挙げました。そうしたら、「○○にある群生地にもどうぞ」とお誘いを頂きました。自分の知っているところ、お気に入りのところは見て欲しい、と思うものですよね。ぜひ行ってみたいと思わされました。
感動したこと、嬉しかったこと、美しいと感じた事などを他の人にも知って欲しい、見て欲しいというのは自然なことです。神様からいただいた恵み、救いの素晴らしさ、祝福を誰かに知ってもらいたいって思え、実際にそれを味わって貰えたら、受けた喜びは2倍にも3倍にもなります。

“「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。」” ヨハネ 4:29

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

マスターズ

みなさん、おはようございます。
昨日の朝、アメリカのポールさんからゴルフのマスターズ・トーナメントで松山選手が頑張っているとメールがあり、テレビをつけたら残り2ホールというところでした。普段はそんなにゴルフに興味があるわけではなく、ずっと昔にパターゴルフをやったことがあるくらいなのですが、それでもマスターズがすべてのゴルファーにとって特別な大会であることくらいは知っています。そして、ものすごい技術と集中力を要するスポーツであることも伝わって来ました。まさに「マスターズ(名人、達人)」という名にふさわしいなと思います。
私たちはゴルフの選手ではありませんが、自分の仕事や役割については経験に応じた熟練が求められます。私たちは世界的な名人ではなくても、自分が任されている領域(家庭であれ大きなプロジェクトを任されるような仕事であれ)ではプロフェッショナルであるようにしましょう。そのように目指すことは、任せてくださった神様、仕えている人たちや一緒に働く仲間に対して誠実であろうとすることに違いありません。

“あなたは務めにふさわしいと認められる人として、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くしなさい。” テモテ第二 2:15

今日は****くんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

2021-04-11 さあ主の宮を

2021年 4月 11日 礼拝 聖書:歴代誌第一 22:6-16

 おそらく、どの教会の牧師たちも、信仰を持ったばかりの人に信仰生活とはどのようなものかについて最初に教えること、そして一番大事なこととして「日曜日の礼拝」を挙げるのではないかと思います。

もちろん、礼拝は日曜日でなくても出来ますし、聖書の中にも日曜日の礼拝でなければならないとは書かれていません。それでも、使徒たちやその後に続くクリスチャンたちは、イエス様がよみがえった日曜の朝を記念して「主の日」と呼びました。ユダヤ人が週に一度の安息日を大切にしたように、この日に集まって礼拝を捧げることを大切な習慣として守り続けて来ました。続きを読む →

共感してもらうこと

みなさん、おはようございます。
昨日の朝、Kさんから母国におられる3番目のお兄さんが新型コロナに感染し、思わしくない状態だということで、祈って欲しいとの連絡がありました。ついこの間、お兄さんを、その前にはお姉さんを亡くされたばかりですから、心中察してあまりあります。もちろん、いちばん苦しい思いをしているのは病気と闘っている本人なのですが、家族にとっても辛い経験です。私自身、祈る以外に出来ることがほとんどなく動揺してしまいました(動揺していたことは後で分かったことです)。
なかなか整理しきれない苦しい胸の内を具体的なことは伏せつつ、気持ちや考えをSNSで吐き出したら、いろんな方が共感してくださいました。コメントを読んでいると、心にフタをしていたのがちょっと外れていろんな感情が溢れて来ます。悲しさとか怒りとか、悔しさとか。そこで初めて、実はかなり動揺していたことが自覚できました。そして共感してもらうことでだいぶ救われました。悲しむ者とともに悲しむとは、必ずしも一緒に泣くことではなく、苦しくても相手の感情を受け止めていく静かで忍耐と寛容さを要する深い関わりだなあと思わされました。

“喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。” ローマ12:15

佐々木真輝

まだ季節の変わり目

みなさん、おはようございます。
今朝は予報どおり雪になりましたね。慌てるほどの降り方ではなかったにしろ、朝早く出勤される方は車の運転の時に緊張したかもしれませんね。どんなに観測史上もっとも早く桜が咲くような春でも、経験上、4月はまだ雪がふる日があるというのは嘘じゃありませんね。ほんとうに季節の変化が済んで雪の心配をしなくても良くなるのはもうすぐです。
私たちに与えられた救いというのは季節に喩えるなら「早春」です。青葉が芽ばえ、花が咲いて確かに季節は春に変わったのだけれど、日によっては雪もふっちゃうようなもので、救いの恵みのしるしはそこかしこに見られるのに、古いものが時々顔を出すのです。本物の季節の変化とはちがって、この変化の過程が私たちの人生全部を使うほどに長い、というのがくせ者です。油断してはいけませんが、確かなことはやがて完成に至るということです。

“あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。” ピリピ 1:6

今日は夜に神学校のオンラインクラスがあります。

佐々木真輝

品切れ問題

みなさん、おはようございます。
今週の金曜日から始まる神学校のオンラインクラスで教材に指定した書籍が、なんと「品切れで手に入りません」という悲痛なメールがいくつか届きました。キリスト教関連の書籍はもともと発行部数が少なめなのですが、本離れの影響は深刻で、特に学びに役立つような(つまりすごく売れるわけではない)本はなかなか重版されません。クラスは教材が間に合わなくても進められるように工夫はしますが、学ぶ方のことを考えると残念です。
そういえば、これまでも「ほしいなあ」と思いつつも値段の高さ(これも教会関係の書籍あるあるです)に迷っているうちに品切れになったというものが何冊もあります。本当に必要なものは手に入れられるうちに手に入れる。あるいは、良いことは機会あるうちに実行する。これは大事ですね。今は恵みの時とはいえ、機会はいつまでもあるものではないのですから。

“…機会を十分に活かし、知恵をもって行動しなさい。” コロサイ 4:5

今日は*****さんの誕生日です。祝福を祈ります。婦人会と祈祷会はいつもどおりです。

佐々木真輝

神ともにいまして

みなさん、おはようございます。
つい一時間程前に、南のほうに旅立つ**先生をお見送りして来ました(駅に入ること自体、一年以上ぶりでなんだか新鮮でした)。天気もよく、市内でもだいぶ早めに桜が咲く駅近くの公園では何輪かの桜の花が咲いていました。「いい日、旅立ち」です(古いですね)。昔は駅のホームで大勢集まって「神共にいまして」と歌って見送った、なんて場面があったことを思い出しもしました。そういうこともはばかられる時代になり、寂しいなあと思いつつ、ホームに飾られた展勝地の写真の前で記念写真を撮るのがせめてもの記念。
この春新しい歩みが始まった方々、子どもたちを覚えて、その歩みが祝福されるようにと祈ります。不安も緊張もあるかと思いますが、やがて慣れたり、親しい人が出来たりして解消していくことでしょう。神様は、備えてくださったその道のりを、共に歩んでもくださいます。大変な時もあるかもしれません。辛いときは逃げたり休んだりしても良いと思いますが、それ以上に神様は良いことを備え、思っているより素晴らしい事が待っていると信じて祈ります。

“あなたは私が歩くのも伏すのも見守り
私の道のすべてを知り抜いておられます。” 詩篇 139:3

佐々木真輝