2021-05-02 信仰が語るもの

2021年 5月 2日 礼拝 聖書:ヘブル11:1-4

 今年度の主題は詩篇37:5の「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」というみことばによって『主に信頼して』となりました。しかし、主に信頼して生きるとか、信仰によって生きるとはどういうことなのでしょうか。続きを読む →

あてにならない感覚

みなさん、おはようございます。
自分の生活や働きのペースがゴールデンウィークとあんまり関係ないので、病院やら銀行やらが休みになるということをすっかり忘れていました。まあ、銀行関係はATMもあるし多分大丈夫ですが、あと数日で切れる薬をもらうためにいつも行っているクリニックが休みになるととても困ります。ぎりぎり今日はまだ間に合うので滑り込みで行けそうです。思い込みや自分の感覚に頼っていると怖いですね。
世の中は自分の思い通りには動いてくれないのはもちろんですが、「これが普通だろう」とか「常識」だと思っていることや、感覚的に大丈夫と思っていることも結構あてにならないものです。日常生活をつつがなく送るために便利に使うことは必要な知恵ですが、頼ってしまうと思わぬしっぺ返しがあります。自戒も込めて、確認すること、聞く事、教わること、違う考えや見方から学ぶ事を大事にしたいと思います。

“自分の心に頼る者は愚かな者、
知恵をもって歩む者は救われる。” 箴言 28:26

佐々木真輝

今日は何の日

みなさん、おはようございます。
今日は「昭和の日」ですね。以前は「天皇誕生日」でしたが、天皇の代替わりとともに「みどりの日」になりましたが、「みどりの日」が5月4日になったため、今度は「昭和の日」になりました。平成のころ「天皇誕生日」だった12月23日は、代替わりに伴い休日ではなくなりました。まだご存命だからだと思います。その他にも、かつては日付が固定されていた「成人の日」「敬老の日」「体育の日」はハッピーマンデーというやつのせいで第○月曜日に変わりました。さらに去年と今年はオリンピックの関係で休日がさらに移動になって、去年のうちに買っていた手帳のカレンダーとは違っています(不便極まりない)。年々覚えるのが大変になってきてる気がします。
国民の休日は法律で定められ、それぞれにちゃんと意義や目的があるんですが、正直あんまり関係なく過ごしている、という人が多いかも知れませんね。そもそも仕事のシフトが休日とは関係ない、という人も多いですし。でも時には休日や祝日は、とても強い政治的な意図をもって利用されることもあり、それに対する反対議論なども巻き起こったりします。ただただ体と心を休めたいという人にはどうでも良い話しかも知れませんが、ちょっとは心に留めておきたいことではあります。ともあれ、今日お休みの方はあいにくの天気ですが、どうぞゆっくり過ごしたり、普段できないお家のことをしてください。今日もお仕事の方はお疲れさまです。十分な休息をちゃんととれますように。

“ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。” ローマ 14:5

今日は****さんと*****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

「もっと」

みなさん、おはようございます。
昨日の朝メールで「夜空を見上げてみてはいかがでしょうか」と書きましたが、雲がかかっている時間が多かったみたいですね。私は、日没と月の昇る時間がだいぶ近かったので、もしかしたら夕焼けの光で本当にピンク色の満月が観られるんじゃないかと、あわよくばカッコイイ写真を撮りたいとカメラを準備して期待していたのですが、残念ながらその時間帯は東の空に雲がかかって全く見えませんでした。あまり欲をかいても良くないですね。夜になって、シンガポールの皆さんとのオンラインミーティングを終えてから窓の外にうっすら雲がかかった満月が見えたので、それで満足しました。
期待や望みは高いほうが良いように思いますが、一方で高望みは良くないとか、欲をかくとろくなことがないとも言われます。「もっと」という欲は成長の糧になりますが、罪の種にもなります。その辺の自分の中での線引きが難しいなあと時々感じます。皆さんはどう考えますか?

“そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」” ルカ12:15

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。
明日の婦人会と祈祷会はお休みとなります。

佐々木真輝

日と年のためのしるしとなれ

みなさん、おはようございます(気づけば何日かぶりの朝メールになってしまいました)。
昨日、教会から帰る道すがら雲のない東の夜空に素晴らしい月が昇っているのが見えました。4月の満月は「ピンクムーン」と呼ぶのだそうですが、ピンク色に見えるということではありません(それはそうですね)。ピンクムーンと呼ぶのはアメリカ発祥ですが、アメリカでは4月にピンク色の花が咲くからだそうです。もともとはネイティブアメリカンたちが季節を把握するために名づけていたのが始まりだそうです。なるほど、そういえば日本でも旧暦では和名が使われていましたね。4月は「卯月(うづき)」と言われていました。卯木(ウツギ)の花が咲く頃とか、田植えをする季節だからということらしいです。
聖書には「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。」と太陽や月を置かれたことが書かれていますが、どの時代も、どの文化でも、その通りに用いられているんですね。今日の夜も良い月が見られそうですので、夜空を見上げてみてはいかがでしょうか。

“神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。” 創世記 1:14

今日の夜、シンガポールEPJMのオンラインミーティングに参加します。よい交わりの時となるようお祈りください。

佐々木真輝

2021-04-25 「やり直すチャンス」

2021年4 月25 日 礼拝 聖書:エズラ記3:8-13

 私たちの人生には、大きな転換点や、人生をやり直すチャンスがめぐって来る時があります。

今日はエズラ記をご一緒に見て行きます。歴代誌第二の続きで、内容も歴代誌第二の終わりの部分とエズラ記の出だしはほぼ同じ文章になっています。どちらもエズラが書いたものだという意見もありますし、別な人がまとめた歴代誌の続きとしてエズラが書いたのだという人もいます。いずれにしても内容としては、歴代誌の続きものとして書かれています。神様が、ペルシャ王キュロスによって再び神の民の歴史の時計を動かし始め、それがどうなったかを記して行きます。エズラ記の中心は、エルサレムに帰還した民がいかに神殿再建に取り組んだかということですが、よく読めば、単に建物としての神殿再建だけの話しではないことが分かります。続きを読む →

先人の足跡

みなさん、おはようございます。
今日の夜、神学校のオンラインクラスがあるのですが、2週間に一度というペースにまだ慣れていない上に、忙しさや精神的にもタフな一週間で、気合いを入れ直しているところです。そんな時に思い出すのが30年以上前の神学生時代の先生たちの姿です。どの先生も自分の教会の牧会をしながら週に一度(先生によっては複数の科目を担当)の授業を担当してくださっていました。今にして思えば、きっと教会でもいろいろあったでしょうし、家庭での悩みやひょっとしたら夫婦ゲンカとかもあったに違いないのですが、そういうことはおくびにも出さずに教えてくれました。
先人の足跡は小さな小径のようになっていて確かにそこにあることは分かりますが、よく見ると、立ち止まったり、迷ったり、転んだりした跡も見えて来ます。ああ、ここで同じように立ち止まったり、踏ん張ったりしたんだなあと分かることは励みにもなります。

“こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。” ヘブル 12:1

佐々木真輝

趣味の話し

みなさん、おはようございます。
昨日、Rさんのお父さんが訪ねてくださって、1時間ほど趣味のカメラのお話で盛り上がりました。お互いの写真を見せ合ったり、どういう場面でどんなふうに撮ったか、何のレンズを使ったか、どんな設定で撮るか等々、ほんとにただの趣味の話し(興味ない人には何のこっちゃというお話)。とても楽しかったです。趣味の楽しさは、それ自体の面白さはもちろんあるのですが、同じ興味関心のある人と話題を共有したり、一緒にやったりすることはもっと楽しいものです。
神様は人それぞれに興味や関心を惹く個性をくださいました。のめり込みすぎて人生に破滅をもたらすこともありますから「加減」は必要だと思いますが、それらは自分が楽しむためにも使えますし、人との関係を作るためにも使えます。もしかしたらそれが一生の仕事になったり、人生を豊かにする宝になったりもします。

“私は見た。人が自分のわざを楽しむことにまさる幸いはないことを。それが人の受ける分であるからだ。…” 伝道者 3:22

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

花が散った後こそ

みなさん、おはようございます。
展勝地の桜もだいぶ散ったらしいですね。さくらは花が散ってしまうとあまり見上げてもらえなくなりますが、葉っぱを茂らせ、実を結び、次の世代へと繋ぐための活動はこれからが本番なのでしょう。満開の見事さや散り際の美しさにばかり目が行きがちですが、命の営みはそこだけじゃなく、目立たず、注目されない時にこそ大事な営みがあるものなのかもしれません。
私たちの暮らし、仕事や奉仕などでも、華々しい活躍の場面はもちろん誇らしいですし、正当に評価されるべきことだとは思います。けれど人目につかないところでの忠実さや努力にこそ、私たちの本当の力や成長につながる真価があるのではないでしょうか。

“人に知られていないようでも、よく知られており、死にかけているようでも、見よ、生きており、懲らしめられているようでも、殺されておらず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。” コリント第二 6:9-10

佐々木真輝

想像力

みなさん、おはようございます。
物語を読んでいて実際の景色や味はどんなだろうなと想像を膨らますことがあります。昨日、ある有名な冒険小説に登場する「種入り焼き菓子」を実際に作るというテレビ番組があるというので楽しみに見ました。ほんとうに美味しそうですが、そこはテレビです。目では見られましたが、味はやはりまだ想像するしかありません。でも、楽しいです。
想像力は神様が人間に与えた素晴らしい賜物で、天地を造られた創造主の性質を分け与えられたものです。最悪を想像しすぎると恐怖にもなりますが、楽しいことを想像すれば喜びに、危機を想像すれば危険回避に、完成した姿を想像すればビジョンになります。せっかく与えられた賜物を良いかたちで用いたいですね。

“烏のことをよく考えなさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。それでも、神は養っていてくださいます。あなたがたには、その鳥よりも、どんなに大きな価値があることでしょう。” ルカ 12:24

今日は全国キリスト災害ネットワークのオンライン全体会があります。

佐々木真輝