引っ越し

みなさん、おはようございます。
日曜日は午後の大掃除、クリスマスの飾り付けと、限られた時間と人手の中、ありがとうございました。
ところで、日曜日の朝、そして午後と警察官や警備員が街角に立ち、何台も救急車が通るのを見かけました。某病院の入院患者の搬送作業ですね。いよいよ今日から診療を開始するということで、地域医療にとっては期待が大きい出来事です。
これまで何度も引っ越しをしていますが、その都度悩むのが、次の部屋や家に何を持っていくか、そして何を処分するか、ということでした。この機会に不要なものを処分しようと、けっこう頑張るのですが、それでも捨てきれずに結局また箱に詰めたまま眠らせておくものがあったりするんですよね(そんなことはしないというスパッとできる人がちょっと羨ましいです)。新しい生活に紛れ込む古いもの。思い出や記念品とは違う、あきらかに不要なものまで取っておいてしまうように、クリスチャンとしての新しい生活にも似たようなこと、不要なもの、捨てるべきもをなかなか捨てられない、ということがよくあります。それでも新しい生活は始まっています。「すべてが新しくなった」ということばを信じましょう。

“ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。” コリント第二 5:17

佐々木真輝

2020-11-22 きよい神の前で

2021年 11月 22日 礼拝 聖書:レビ記1:1-2

旧約聖書から聖書通読をはじめた人の多くが足踏みし、脱落してしまう箇所の一つがこのレビ記です。あまり人気があるとは言えず、「私、レビ記が一番好きです」という人は滅多にいません。

しかも、キリスト教の実際の生活では、レビ記に記されている様々な決まりごと、礼拝の中での献げものや食べ物の規定、汚れに関する規定や、それらを聖めるための手順などは不要とされています。それでもレビ記が聖書の一部であることに変わりはありません。極端な考えを持つ異端やカルト的な人たちの主張と別にすれば、2000年のキリスト教の歴史で、レビ記を聖書から外すべきだと言われたことはありません。

レビ記を昔々の古い規則集として読むと何の意味があるのか分からなくなりますが、レビ記を通して神が語ろうとしていることを理解すると、私たちに与えられている恵みがどれほど素晴らしいものかが分かって来ます。続きを読む →

タイミング

みなさん、おはようございます。
先日「しし座流星群」が観られるようだという話しを聞き、カメラをかついで夜外に出かけました。11月末まで観られるという話しですが、天気が良い日でないと観られないので、遅い時間でしたがちょっと頑張りました。1時間もしないで雲が出てきたこともあり、思ったほどには流星を観ることは出来なかったのですが、それでもわくわくして時間を過ごしました。
素晴らしいものを観たり体験するにはタイミングがとても重要です。自分のがんばりだけではどうにもならない面があります。というか、自分の努力以外の要素のほうが大きかったりしますね。だから私たちは自分の分を最善を尽くしながら、神様の導きや助けや奇跡を期待し祈らなければならないのです。

“どうか あなたの光とまことを送り
それらが私を導くようにしてください。
あなたの聖なる山 あなたの住まいへと
それらが私を連れて行きますように。” 詩篇 43:3

今日は午後から大掃除とクリスマスの飾り付けを行います。私は午後から大船渡に向かいます。

佐々木真輝

いつもありがとうございます

みなさん、おはようございます。
いつも皆さんに祈られ、励まされ、見守られ、いろいろ見逃していただき(笑)働きを続け、日々を過ごすことができています。今日は誕生日ということになりました。いつもは誕生日を迎えた方々の祝福を祈っていますが、今日は、普段支えていただいている感謝を伝えたいと思います。本当にありがとうございます。フライングでおめでとうメールをくださった方もありがとうございます。
私たちは誰一人、自分だけで生きていける人はいません。自助・共助・公助の順番がどうのこうのという議論もありますが、どれもが重要で、どれもが必要です。自分ですべきこと、助けてもらうべきこと、社会全体で支えるべきことはそれぞれ違いますからね。というわけで、皆さんに支えられながら、与えられた務めを果たしている(そうあろうとし続けられる)ことは本当に幸せなことだと思っています。

“私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。”
ピリピ 1:3-5

佐々木真輝

継承

みなさん、おはようございます。
先日の日曜の午後、墓園の雪囲い作業が行われました。雪がちらついたり、みぞれが降るような年もあるのですが、今年は素晴らしい青空が広がっていっました。私は少し遅れて現場に到着したのですが、すでに皆さんが散らばって作業がどんどん進んでいました。囲うべき植栽に支柱を立て、紐で縛るという作業が繰り替えされていました。毎年やってくださっている方も居ますし、Sさんの細かな指導がなくてもてきぱきと進めている様子に「技術の継承」は大事だなあと思わされていました。
私たちの信仰も、「何を信じるか」という中身はもちろん大事なのですが、「いかに生きるか」という信仰に立って生きる術を次世代に伝えることが大事ですね。もちろん時代が変われば通用しなくなる事もあるのですが、技術の底にある原則は時代や文化が変わっても変わることがありません。そういう継承が出来るようにと願います。

“それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家に座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。” 申命記 11:19

昨日は****さんの誕生日でした。遅ればせながら祝福を祈ります。

佐々木真輝

2020-11-15 あなたがたはわたしの宝

2020年 11月 15日 礼拝 聖書:出エジプト記9:1-6

 イエス様を信じてクリスチャンになり、その信仰の証しとしてバプテスマを受けると、皆におめでとう!と拍手で迎えられます。ところがその後、けっこういろいろなことをクリスチャンとして求められることに驚いたり、引いてしまう方もおられます。教会に来なさい、献金しなさい、何か奉仕をしなさい、友だちや家族に証しをしなさい、聖書を読みなさい、祈りなさい。もちろん、それらは強制されるものではないのですし、それをしなければクリスチャンの資格を失うとか、救いが取り上げられるということではありません。でもなぜ、そのようなことが求められるかというと、神様が私たちを救うのは私たち自身を救うためだけでなく、もっと多くの人に神様の祝福をもたらすためです。続きを読む →

学んだことを活かす

みなさん、おはようございます。
先日パーティションを試作し、いろいろと学習し、再度試作品を作りました。今度は前回の失敗を踏まえてよく考えて作りました。前回の失敗というのは、材料に選んだ素材の強度が足りなかったことと、制作の工程が若干面倒で何個も作るのが大変そうなことでした。今回のやりかたなら、設置も取り外しも簡単で、何より制作がものすごく簡単になりました。制作するというほどのことではないのでホントに楽です。予算的にもだいたい良い感じに収まりそうです。必要な分だけそろえば、礼拝後や婦人会の後に食事を共にしながらの交わりも少しずつ再開させていけそうです。
学んだことを活かすのは大事なことですね。こういう工作的なことはすぐに学習して次に活かせるのですが(でないと手間と労力が…)、人生の失敗や教訓って、なぜかなかなか身につかず、同じ間違いをくり返したりするんですよね。それでも忍耐強く付き合ってくださる神様や教会の皆さんが実にありがたいと思います。

“また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。” ペテロ第二 3:15

今日は婦人会と祈祷会があります。婦人会では、よろしければ昼食を各自お持ちになってください。

佐々木真輝

刀鍛冶

みなさん、おはようございます。
最近、刀鍛冶が日本刀を造り上げるまでの動画をよく見ます。実際には動画で流れる何倍もの作業量と熱量の中で仕事をしているはずですが、それでも熱しては鍛え上げる作業をくり返し、鉄の塊が見事な刀になっていくのはとても興味深いです。しかも、それで完成ではなく、別の専門家による研ぎの作業があり、これまた別の職人による鍔(つば)、柄(つか)、鞘(さや)などを作る工程が別にあります。ちょっとした好奇心で見始めただけでも素材から完成に至るまでは本当に多くの労力と、様々な人の協働があってのことだなということが分かります。
私たちも言ってみれば原石、素材のようなものです。様々な経験を通して訓練され、鍛えられ、また様々な人を通して形造られて完成を目指していくものです。一度や二度、鍛錬の中に引き戻されたとしても、それは当たり前といえば当たり前のこと。私たちは自分で思う以上に未熟で、未完成な者にちがいないのです。

“すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。”
ヘブル 12:11

佐々木真輝

試作品

みなさん、おはようございます。
教会での食事の交わりを再会させるために、テーブルにパーティションを設置することにしたのですが、あまりお金をかけられないので自作することにしました。昨日の午後、その試作品を作ってみました。一応設計らしいことはしておいたのでいろいろ予想していた事もありましたが、実際作ってみて分かることもあります。補強しなければならない部分、作りやすくするための工夫、実用的にするために必要なことも分かったので試してみて良かったです。
何事も考えているだけでは本当のところが分かりません。神様の言葉、そこに含まれる約束や戒めや教えが真実であるかどうかも考えるだけでなく、信じて従って見ることで本当のところが分かります。それどころか、私たちが想像する以上の恵みの豊かさと希望の確かさに感動させられるに違いありません。

“主よ あなたの恵みは天にあり
あなたの真実は雲にまで及びます。” 詩篇 36:5

今日は午後から関キ災(関西キリスト災害支援ネットワーク)のオンライン懇談会でショートメッセージをします。お祈りください。

佐々木真輝

2020-11-08 あなたを忘れない

2020年 11月 8日 礼拝 聖書:出エジプト2:11-25

 クリスチャンであるなら、誰でも救いの物語があります。まるでドラマの主人公であるかのような波瀾万丈の中でキリストと出会った人もいれば、クリスチャンホームに生まれ気付いた時には教会の交わりの中にあり、いつ信じたかよく分からないままバプテスマを受けたという人もいます。

物語として面白いかどうかは別として、それが神様があなたを救うために備えてくださった道であり、それぞれが尊いものです。

神の民として歩み始めたイスラエルの民にとってもそれは同じでした。神はどのようにして自分たちを救い出し、神の民として歩み始めさせてくださったのか。その、イスラエルの民にとっての救いの物語が、この出エジプト記です。続きを読む →