誰でも違う一面はありますが

みなさん、おはようございます。
「仲の良い家族だと思ってました」「温厚そうな旦那さんでした」とは、何か事件があったときに容疑者として捕まった人や家族に対する印象としてしばしば登場する言葉です。そして私たち夫婦や私に対する過分な評価として、クリスチャンではない友人たちからいただくことのある言葉なので、ちょっとどきっとすることもあります。もちろんそういう仮面を被っているつもりはないので、そのように見られていることは素直に嬉しく思いますが、同時にそうではない場面があることも自覚しています。
人間ですから、普段とは違う一面があるのは当たり前のことです。それ自体は異常なことでも、偽善的なことでもありません。ただ、自分の中の闇の部分を知っていて目をつぶり、ないかのように振る舞って自分を偽っているなら、そこに霊的な歪みがあり心や魂、そして身体にさえ歪みをもたらします。ある種のイメージを保つために自分を偽るのと、自分の足りない面や弱さを自覚しつつも目指す姿・あり方を目指して生活することとの違いには天と地ほどの差があります。

“私は不信実な人とともに座らず
偽善者とともに行きません。” 詩篇 26:4

今日は神学校の用件でいわきまで日帰り出張です。行き帰りの道のりが守られるようお祈りください。

佐々木真輝

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA