恩返し

みなさん、おはようございます。
昨日の朝オンラインで行われた会議で青森の豪雨被害とその地域で諸教会が取り組んでいる支援活動の様子をお聞きしました。11年前の大震災の時にいちはやくかけつけてくださった先生たちの教会が被災した方々の支援にあたっています。青森県内のいくつかの教会や数名ですが日本の各地からボランティアにかけつけ、床上浸水した家々の泥だしや片付けに取り組んでいるそうです。岩手からも少しずつ支援に動き始めています。
受けた恩は他の誰かに送る、という「恩送り」のことは時々口にしてきましたが、受けた相手が助けが必要になったらちゃんと恩返しをするのは当然のことです。彼らと全く同じことは出来ないかも知れませんが、出来ることでお返しをする時が来たと思っています。

“このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」” 使徒 20:35

今日は****さんと****さんの誕生日です。祝福を祈ります。
また今日の婦人会と祈祷会は都合によりお休みになります。

佐々木真輝

おしみなく

みなさん、おはようございます。
昨日、車の点検でしたので、いつものお店に持って行ったのですが、いつものようになじみの整備士の方が担当してくださいました。終わった後で、「勝手にサービスしておきました」と言われ、保管しておくべきちょっとした部品を手渡されました。ちょっとピンとこなくて「何だろうなあ」と思っていましたが、良く見れば外見がちょっとカッコ良くなっています。いやいや、これはちょっとしたサービスというレベルではありません。
そういえば、ここのところ野菜や桃や高級そうな食品などをいただく機会が多く、ほんとうに有り難いなあと思っています。「たくさん作っているから」とか「お世話になっているから」と言ってくださいますが、その惜しみなさに教えられます。誰かに仕えるとき、与えるとき、贈るときは自分も惜しみなく、気持ち良く、心からしたいものだと思わされました。

“彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。” 2コリント 8:2

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。
私は仙台に出張です。運転だけでなく、新型コロナの感染からも守られるようお祈りください。

晴れ間

みなさん、おはようございます。
夏らしい日があまりないうちにいつの間にか夏が終わった感じがして、天気予報を見てもずっと雨マークや曇りマークが続いています。残暑の厳しさを免れているとは言えるので、有り難い面もありますが、作物の生長に悪い影響がなければいいなとか、あちこちで聞かれる水害がひどい事にならなければ良いなとか、気がかりなこともあります。それだけにちょっとした晴れ間はとても嬉しく、気持ちがいいです。
人生も雨が降ったり晴れたり。天気と同じで自分の力ではコントロールできません。ただし、雨の日のために傘を用意しておけるように、対処はできますし、より周到に準備すれば災害級の雨でも生き延びることができます。晴れの日にはその幸いを喜び、感謝し、私たちの目にどのように映ろうとも、すべてが神様の御手の中にあることをしっかり心に留めましょう。

“順境の日には幸いを味わい、
逆境の日にはよく考えよ。
これもあれも、神のなさること。
後のことを人に分からせないためである。” 伝道 7:14

今日の礼拝では東久留米の森本泰三先生がメッセージの奉仕をしてくださいます。午後は大船渡の礼拝です。

佐々木真輝

聞き耳

みなさん、おはようございます。
夕べ、遊び終えたワンコたちがようやく静かになってまったりしていると、テレビの画面から犬の鳴き声が聞こえて来ました(動物の子どもたちの番組をやっていました)。不安そうなその鳴き声に、我が家のワンコたちがすぐさま反応し、がばっと起きて耳をピンと立てて玄関の方を見ています(方向的には真逆なんですけど)。誰が来るのか?敵か、味方かを見定めようとするかのようにしばらくそうしていました。
さっきまでスヤスヤ寝ていたのに、テレビの音だってそんなに大きくはなかったのに、すごいなあと思いながら、私たちは神様の静かな語りかけをちゃんと聴き分け、反応しているだろうかと思いました。皆さんはいかがですか。

“主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。” 1サムエル 3:10

今日と明日、全国放送伝道懇談会がオンラインで開催されます。婦人会と祈祷会はお休みになりますが、トーンチャイムの練習が行われます。

佐々木真輝

昔の出来事

みなさん、おはようございます。
石巻におられる知り合いの牧師が、キリシタンの足跡を訪ねて北上に来ていたとのことでした。お会いすることはかないませんでしたが、その後、訪問の様子を聞かせてもらいました。今回は特に、後藤寿庵の最期の地と言われる岩崎のあたりを訪問したようです。これまでも東北の各地を訪ね歩いて、キリシタン時代の学びを続けておられ、いろいろと貴重な資料も送ってくださいました。
中学や高校の頃は歴史が苦手でした(とにかく年号が覚えられなかった)。それが変わったのは神学生の時代にキリスト教の歴史を勉強するようになってからでした。単に歴史上の出来事を知るということではなく、それぞれの時代に生きた人たちが直面した困難や悩み、神様が彼らのためになさった御わざを知ることです。それはとりもなおさず、今の私たちの生きている時代、世界で神様がなさろうとすることを知り、また希望を持てることをも教えてくれるわけです。

“私は 主のみわざを思い起こします。
昔からの あなたの奇しいみわざを思い起こします。” 詩篇 77:11

佐々木真輝

勝利を祝う

みなさん、おはようございます。
昨日の甲子園決勝戦で仙台育英が勝利し、高校野球が始まって以来(104年だそうです)ようやく東北地方のチームが優勝しました。堂々たる試合運びで、こういうチーム作りや戦い方がこれからの高校野球の一つのモデルになるんじゃないかとさえ思いました。監督や選手たちの勝敗を超えたがんばりやコメントにも感動しましたが、東北の人間として素直に勝利を喜びました(テレビの前で涙ぐんでしまいました)。
長い間「やっぱり東北のチームに優勝は無理かも」と言われながらも長年待ち望んだ勝利がこんなにも嬉しく、感動を巻き起こすものだとしたら、私たちが天の御国に行ったときに味わう勝利の喜びはいったいどれほどのものなのでしょうか。いろんなことが報われ、がんばりをたたえ合い、勝利してくださったイエス様をみんなで祝う日を待ち望んでいます。

“しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。” ローマ 8:37

佐々木真輝

食欲不振

みなさん、おはようございます。
私のことではなく、わがやのワンコのことです。昨日の朝、いつものように朝ご飯をあげたのですが、なんだか食べるスピードがふだんの10倍くらいゆっくりです。ちょっと口に入れてはしばらく噛んでから飲み込み(いつもならよく噛みもしないでガツガツいくのです)、ちょっとためらってから次の一口。そうやってずいぶん時間をかけて三分の二くらい食べたところで食べるのを止めてしまったのです。こんなことまずないので本当に心配しました。とりあえず様子を見ることにしました。日中もとくに異常なところはなく、夕方のご飯の時には普段通り食べていたそうなので、一時的なものだったようです。
誰でも原因が良く分からないけれど元気のないとき、調子の悪いときがあります。すぐに病院にいったほうが良い場合はもちろんありますが、様子を見ていい時もあります。ただ、様子を見るのは放置することではないので、とにかく小さな変化を見逃さないことも大事です。失敗も含めたさまざまな経験を通して知恵も身につきますし、他人のアドヴァイスが役立つこともあります。

“知恵のある者は聞いて洞察を深め、
分別のある者は導きを得る。” 箴言 1:5

佐々木真輝

願いと練習

みなさん、おはようございます。
高校野球の全国大会もいよいよベストフォーが出そろいました。準決勝でははじめて東北勢同士の戦いになるということで、明日の試合が楽しみな反面、別々に勝ち上がって決勝でぶつかって欲しかったとも思います。まあ、それは欲張りすぎな展開かも知れません。「白河の関」を越えるのはいつか、ということはずうっと前から言われていました。少なくとも私が高校生の頃と比べると確実に現実味を帯びて来ています。なにしろ40年前は「一回戦突破」が目標だったりしましたからね。それが今ではプロ野球選手はもちろんのこと、二人もメジャーリーガーを輩出する「注目県」になっています。勝負優先の部活動のあり方には賛否両論がありますが、少なくとも勝ちたい、成長したいという願いと練習なしには何の結果も生まれませんね。
信仰の歩みも(誤解を恐れずに言えば)成長が全てではありません。立ち止まることや、休息すべき時もあるからです。それでも、全体としての歩みはキリストに似た者とされたい、神様のご愛に応えたい、隣人を愛せるようになりたいという願いや訓練がなければ、ずるずると後退していくことになるかもしれませんね。

“イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」” ヨハネ5:6

佐々木真輝

より良くあるために

みなさん、おはようございます。
休暇を終えて昨日から日常にもどりました。休みの間はほとんど雨でしたし、奥さんの4回目ワクチン副反応もあって家でのんびりする時間が多かったです。それはそれで特に不満はなく、むしろ日頃の疲れが出たのか昼寝が楽しみでした。まとまった休みの時にしようと思っていたことや読もうとしていた本にもいくつか取り組むことができました。全部思い通りではないけれど、十分休養し、リフレッシュもできて感謝です。
皆さんはいくらか休みをとれたでしょうか。普段から忙しく、休日も思うように取れていない若い方々が多いことがとても気がかりでいます。身体的にも、精神的にも、そして霊的にも健やかでいられることが、より良くあり続けるために必要です。守られますよう、お祈りしています。

“するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである。” マルコ 6:31

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

足を運べなかった理由

みなさん、おはようございます。
広島の平和公園にはまだ行ったことがないのですが、長崎の平和公園には数年前に長崎出張の折に立ち寄らせていただきました。今日は77年前、広島からわずか三日後、長崎に原爆が投下された日です。長崎には有名な平和祈念像や泉がある公園だけでなく、爆心地公園など、足を運ぶべき場所がたくさんありました。でも、実は「原爆資料館」には行きませんでした。あまりにも重くて足を運ぶことが出来なかったのです。広島に行く機会があったらちゃんと向き合いたいと思っています。
悲惨な戦争の記憶だけでなく、自分の中の闇や目を背けたくなるような世の中の闇に向き合うことは勇気のいることですし、そこで何かを知ることは、知識を得るのに留まらず責任を負うことを意味します(だからこそ怖い)。けれど、それなしには救いも前進もありません。

“主は彼らを闇と死の陰から導き出し
彼らのかせを打ち砕かれた。” 詩篇 107:14

明日から夏休みをいただきます。皆様もどうぞお元気でお過ごしください。

佐々木真輝