2022-06-05 神のかたちであることを忘れた者を

2022年 6月 5日 礼拝 聖書:第一ヨハネ3:1-3

 以前も話したことがありますが、アフリカの飢餓で苦しむ子どもたちのために、アメリカの著名なアーティストたちが一晩でレコーディングした有名なレコードがあります。当時仙台で下宿生活を送っていた私は、今湯沢で牧会しているK先生とレコードプレーヤーの前に二人で正座してじっくり聞き入ったのを思い出します。

歌詞の中に「私たちは神の大きな家族の一員」「私たちは神の子どもたち」というフレーズが出て来ます。クリスチャンもそうでない人も含めた人類みな兄弟、みな神の家族という意味で言っています。聖書はイエス様を信じた人たちを「神の子ども」と呼びますから、二人で「これはどうなんだろうねえ」と微妙な顔をしまた。

しかし、今はもう少し別の視点でこういう歌詞を味わうことができます。続きを読む →

何が待ち受けていても

みなさん、おはようございます。
夕べ、来週行われるイベントの打合せで3人のお医者さんたちと「がん検診」についてお話をしていました。その中で、最新の遺伝子解析による検査では50種類以上のがんについて罹りやすさを調べられるのだそうです。健康保険の適用外なのでかなりの高額にはなりますが、それでも知りたいという人はいるようです。ただし、治り易いか治り難いかまで分かってしまうそうなので、十分心の備えをした上で検査を受けるよう勧められるのだそうです。
科学や医療が進歩して様々な事が分かったり、予測できたり、あるいは難しい病気が治るようになっていったとしても、その人がより良く生きられるかはまた別のことだなあと思わされました。何が待ち受けるにしても、主にあって最善の生き方はできるものです。

“…時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。…” 2テモテ 4:2

今日は***さんの誕生日です。祝福を祈ります。
婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

コーヒーの謎

みなさん、おはようございます。
海の中で熟成させたというコーヒーというものをいただきました。コーヒーだけでなくいろいろなものを熟成させているのだそうです。その科学的な仕組みははっきり分かっていませんが、海の中で熟成させると、味がまろやかになったり、香りも良くなったりするのだとか。実際に飲んでみたところ、少し味に深みがあるような気がしました(私はそこまで味が分かる人ではないのですが、きっと本当だと思います)。
何でも科学的に説明できるわけではありません。しかし多くのことはやがて解明されるでしょう。反対に信仰は思い込みや気休めということではなく、聖書にはきちんと説明されていたり、多くの実例や証言が伴っています。しかし、時にはただただ信頼するしかないということがあります。海中熟成の味はともかく、たくさんの事実を並べるよりひとつの信頼が「大丈夫だ」と確信させるというのはすごいことですね。

“さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。” ヘブル 11:1

佐々木真輝

経年変化

みなさん、おはようございます。
趣味で愛用しているアウトドア用のコップがあります。チタンという金属で出来たもので、軽くて丈夫。火にも強いので直火でお湯を沸かすこともできるという優れものです。長く使っていると、焼けた跡や傷がついたりします。特に熱が加わると「チタンブルー」と呼ばれる美しい青色に変色します。そういう経年変化はどれひとつとして同じものはなく、美しく、味わい深いものです。
信仰も歩みが長くなると、辿ってきた道のりの分だけ、味わい深く、美しいものになってきます。傷跡や何かの痕跡も、やがてその人の一部となり、その人を形造る大事な部分になっていきます。経年劣化ではなく、経年変化です。肉体はおとろえても、そうやって形造られる内なる人は日々新たにされるのです。

“ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。” 2コリント 4:16

今日は午後から墓園の草刈をします。ご協力ください。

佐々木真輝

2022-05-29 再び幸いをくだそう

2022年 5月 29日 礼拝 聖書:ゼカリヤ8:9-17

 乱気流という言葉を聞いたことがあると思います。かなりの高さの空で空気の流れが激しく乱れることを言いますが、人生や感情の浮き沈みの激しさを言い表すのに乱気流という言葉を使うことがあります。

実際に乱気流というほどのものを経験したことはありませんが、飛行機に乗っていてCAさんに「機体が揺れますのでベルトをしてください」などと言われると結構緊張します。たぶん、慣れた人には「これくらいまだまだ」と言うことかも知れませんが、滅多に飛行機を利用することがない私のような人間には、あのふわっと揚がって、急にストンと落ちるような感覚はなかなかスリリングで、ちょっと気持ち悪くなります。

ゼカリヤ書にはそういう乱気流のような、読む者を混乱させるところがあります。実は、福音書に描かれるイエス様の様子ととても関連の深い預言が記されているのですが、全体としては脈絡のつかみにくい幻が次々と現れ、振り回される感じがするのです。続きを読む →

三人寄れば

みなさん、おはようございます。
「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあります。凡人でも三人集まれば何かしら良いアイディアが生まれるもの、ということですね。夕べ、もう間近に迫っているリレーフォーライフのイベント担当での会議があり、久しぶりにオンラインでなく対面で打合せをしました(オンラインの方々もいましたが)。冗談を言い合ったり、ちょっと脱線したりしながら、話しているうちに段々かたちが見えて来て、良い話し合いになりました。
聖書にはよく「互いに」という言葉が出て来ます。優れた誰か一人でではなく、同じように罪も弱さもある私たちが互いに励まし会ったり、助け合ったりして生きていくことが神様の願いです。それを辛く感じる時は相当心や体が弱っている時なので休息が必要です。でも、通常は一緒に集まることを止めたりしないで、共にあることを大切にしましょう。

“ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。” ヘブル 10:25

今日は***さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

種まきもせずに

みなさん、おはようございます。
空の鳥は蒔きもせず、刈り取りもしないのに、神様が必要を満たしてくださるというのはイエス様の有名なたとえです。我が家の庭に毎年実る野いちごが、今年も実を付け始めました。もちろん種まきはしません。手入れも特にしませんし、何なら草刈機で他の雑草といっしょに刈ってしまうこともあるくらいですが、毎年この時期になると花を咲かせ実を結びます(今年はちょっと実が大きい)。
野いちごだけでなく、多くの方々に気にかけていただき、祈られていますし、時にはちょっとした贈り物(ちょっとどころではないときもありますが)で励まされることもあります。目を開いて見れば、神様の恵みはそこらじゅうにあふれているのです。

“空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。” マタイ 6:26

佐々木真輝

まさか

みなさん、おはようございます。
「人生には三つの坂がある。『上り坂』、『下り坂』、そして『まさか』」。結婚式のスピーチで誰かが言うのを聞いたことがあるかもしれません。夫婦の問題ではありませんが、そのまさか(先に言っておきますが、大した話しではありません)。先月、うちのワンコたちの狂犬病の予防注射を受けるために、なじみの動物病院に行ったら、スタッフが新型コロナに感染したため休業中の張り紙が。その時は「ああ、そういうこともあるよね」と帰って来ました。昨日時間が取れたので、今度こそと思いワンコたちを乗せて車で出かけると、駐車場に車が一台もありません。「ん?まさか?」と思って入り口に目をやると何やら張り紙。「……終了しました」と書いてあるような…。水曜日の午後も診療がお休みになりました、というまさかの診療時間変更のお知らせ。
イエス様が帰って来られる時は「思いがけない」時だと教えられていますし、クリスチャン生活に降りかかる苦難を「思いがけないことが起こったかのように考えるな」とも教えられています。「何かが起こる」ことは知らされていますが、なかなか想像が及ばす、備えも足りていないことが多いのが私たち。だから気をつけていなさいと言われているのですよね。

“愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。” 1ペテロ 4:12

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

人のゴミを拾う

みなさん、おはようございます。
日地域のゴミ当番だったとき、集積所に回収されないペットボトルや空き缶の入った袋がそのままになっていました。地域の決まりでは、ルール違反で回収されなかったゴミは当番の人が責任をもって処分するということになっています。仕方がないので家の資源ゴミと一緒に処分しました。他人が責任を負わなければならない問題を代わりに負ってしまうことを「他人のゴミを拾う」とたとえることがあります。そんなことを考えながら「なんだかなあ」と悶々とした気分でいました。
一方で、聖書は私たちに一人で負いきれない重荷、一人で背負うべきではないほどの大きな荷物は一人に背負わせず、一緒に負い合うようにと教えています。そうすることは正しいことであり、聖書の精神を全うすることになります。問題は、一人で負うべきか、誰かに助けてもらうべきか区別が時々分からなくなることかも知れません。そういうときは自分だけで悩まず、誰かに聞いてみることです(ゴミの分別の仕方も聞いてくれればいいのに…)。

“互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。” ガラテヤ 6:2

佐々木真輝

よい習慣を取り戻す

みなさん、おはようございます。
今日は一週間ぶりに家に帰ります。木曜日まで総会やチームワークミーティングが開催されたシオン錦秋湖で滞在していたため、三日間の自主隔離でした(あんまり意味がなさそうだけど)。外泊したときの大きな問題はわりと長続きしている「16時間断食(オートファジー)」が途切れてしまうことです。そもそも、16時間断食といっても、そこまで真面目にやっているわけではなく、血圧の薬を飲むために、朝はバナナを三分の一くらいは口にしてます。でも、錦秋湖ではしっかり朝ご飯が出ますので、それはちゃんと食べます。問題は帰って来てから習慣を元に戻すのがなかなか辛いということ。朝になると今まで以上にお腹が空いてしまいます。
一度途切れた習慣を元に戻すのはなかなか大変なことです。動機づけがあやふやなものはそのままなし崩しに失われてしまうかもしれません。16時間断食は万人に勧められるものではありませんが、私たちの心と身体、霊的な健康に役立つ習慣は、ちゃんと取り戻したほうがいいです。一時の怠け心や気楽さと引き換えに失うものが案外大きいことを、あとあと思い知らされることになりますから。

“真理を買え。それを売ってはならない。
知恵と訓戒と分別も。” 箴言 23:23

今日は佐藤光代さんの誕生日です。祝福を祈ります。
今日はまたオンラインでの岩手の牧師会です。私が学びの担当になっています。お祈りください。

佐々木真輝