2021-11-21 主の名を呼び求める者は

2021年 月 日 礼拝 聖書:ヨエル2:25-32

 「温故知新」という言葉があります。「古きをたずねて新しきを知る」という論語に由来する言葉ですが、それ自体、大分古い言葉ですね。古い知恵や過去の経験を学び直して新しい視点、新しい知恵を得るということは、情報化時代の現代でも大事なことです。

ヨエル書は温故知新を地で行くような書物で、おそらくエズラやネヘミヤの時代に活躍した預言者です。ヨエルは過去の預言者たちの書物に精通していて、それらの預言のことばを自在に引用しています。そうやって彼の時代や後の時代のために、今置かれている状況を正しく見て、正しい応答をすることができるようにとこの書を書くよう主に導かれました。続きを読む →

MVP

みなさん、おはようございます。
「確実」と言われていても、実際に発表があるまではちょっとドキドキしてました。そうです、我らが岩手出身の大谷翔平選手が米国メジャーリーグで最も活躍した選手としてMVPに選ばれました。しかも投票した30人全員一致ということですから、いかに素晴らしい活躍であったかが分かるというものです。何の縁もゆかりもありませんが、とても誇らしい気持ちです。
メジャーリーグでMVPは年に一人だけですが、天国では私たち一人一人に、それぞれに栄誉や報いが与えられます。きっとお互いに「よく頑張ったね、よく戦ったね、よく忍耐したね」とたたえ合い、ねぎらい、すべては神様の恵みだったと賛美するに違いありません。実際にもらえるまでちょっとドキドキしますが、これは約束されたことです。たぶん冠そのものが大事なのではなく、私たちの労苦や人知れない忍耐やがんばりを神様はちゃんとご覧になっていてくださり、認めてくださっていることが分かったり、自分でも知らなかった貢献なんかが分かり、すべてが報われたと心から思えることが大事なのでしょう。

“あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。” 2テモテ 4:8

佐々木真輝

結び方

みなさん、おはようございます。
中高生の頃、様々なロープの結び方を自由自在にできる人にあこがれ、真似をしていくつか結び方を覚えたのですが、最近またその熱がよみがえって来ました。実際に生活の場で使う場面があまりないのでまた忘れちゃうかもしれませんが、何種類か練習しています。場面や状況によって非常にたくさんの結び方があり、上手く使えるととても役立ちますが、下手な使い方をすると後で面倒だったり、思いもしない時に緩んで危険になったりもします。
クリスチャンの交わりは教会の「結び目」です。これもまた様々な結び方のように、いろいろな交わりの方法があり、関わり方、関わりの深さも様々です。多様な交わり、つながり方を楽しみ、味わい、喜び、教会が生き生きと歩んでいけるようにと願います。

“キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。”エペソ 4:16

今日は婦人会と祈祷会があります。午後、神学校の理事会にオブザーバー参加します。

佐々木真輝

微調整

みなさん、おはようございます。
ある時からふと思いつきで始めた「16時間断食」で、体重もウェストも順調に減らすことができ、今年の健康診断では多分去年より良い結果が出るのではないかと期待しています。夕飯のあと16時間間を開けてから次のご飯を食べるというだけのことで、朝ご飯を抜いておけば済むので慣れると何てことはありません。ですが、ある時からどうにも午前中に猛烈な眠気に襲われるようになりました。思い当たることは、朝、薬を飲むときに多めの水だけで飲んでいたことです。やはり少しは何か食べないとということで、バナナを三分の一だけ食べてから薬を飲むようにしました。それが良かったのか、午前中からひどい眠気に襲われることはなくなりました。まあ、こういう健康法は本当に体に良いかは分かりません(たぶんお医者さんに聞いたら、朝ご飯はちゃんと食べたほうが良いと言うんじゃないかと思います)。
良いと思ったことでも、意固地になって何がなんでもやり続けるより、状況に応じて調整したり、場合によって止めたりすることは大事です。大切なことは方法ではなく目的です。私たちが良いことと信じたり、習慣として行っていることも、神様の目的にかなったことであるかよくよく考えて必要に応じて柔軟に調整できるようにしたいですね。

“しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。” ユダ 1:20

昨日は****さんの誕生日でした。遅ればせながら祝福を祈ります。

佐々木真輝

2021-11-14 あなたを癒やし、喜ぼう

2021年 11月 14日 礼拝 聖書:ホセア14:4-9

 ホセア書のテーマは、神様の人間に対する、あきらめない愛と言って良いのではないかと思います。

そのようなことが強調される背景には、人間の真逆の性質、頑固で、冷めやすく、愛に背を向けてしまう性質があるからです。続きを読む →

もどかしさ

みなさん、おはようございます。
教会のこともそうですが、様々な外部の働きや団体の「来年の」計画について話し合われています。去年はまだ新型コロナが落ち着きが見えない状況でしたので「たぶんだめかも知れないな」とある程度覚悟しながらいろいろ計画を立て、実際、多くのことが出来ずに終わりました。けれども、連日新規感染者が「ゼロ」の日が続き、国全体でも落ち着いている今、なかなか判断が難しいです。手探りであるのは変わりないのですが、ちょっと性質が変わって来ていますね。出口が見えそうで見ないもどかしさがあります。
すでにおいでくださったイエス様によって成し遂げられた救いと、再びおいでくださるときの完成の中間に生きる私たちには、様々な意味で中途半端な状態を経験せざるを得ません。このような感染症との付き合い方だけでなく、自分自身のうちにある罪や様々な感情も、持て余し、戸惑い、もどかしいのですが、神様の恵み深さだけは確かなものとして握りしめていたいです。

“主はいつくしみ深く
その恵みはとこしえまで
その真実は代々に至る。” 詩篇 100:5

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

レジリエンス

みなさん、おはようございます。
前の晩、寝相が悪かったのか背中から首にかけて痛みがあり、一日悩まされました。寝相が悪いのは昔からのことなのですが、最近、時々こういうことがあるのは年齢とともに体の柔軟性が失われたのか、復元力が弱くなったのか…。
最近「レジリエンス」という言葉が流行っています。困難な状況に対する心のしなやかさや回復力、復元力というような意味です。問題があることは避けられないし、そこで痛むことがあるのも避けられないとしたら、ダメージが最小限になるよう、しなやかに受け流す能力や精神的に回復する力を持つことは大事なのでしょう。体だけでなく、心もしなやかさを主の恵みによって保っていたいものです。

“彼の道を見たが、
それでもわたしは彼を癒す。
わたしは彼を導いて
彼とその嘆き悲しむ者たちに、
慰めを報いる。” イザヤ 57:18

今日は婦人会と祈祷会があります。午後は神学校の教師会です。

佐々木真輝

ひと雨ごとに

みなさん、おはようございます。
昨日は時折雨が強く降る日で、今週はこのあともぱっとしない日が続きそうですね。先日、ラジオで気象予報士の方が雨が降って最低気温が高めな日が続いた後は気温が下がる兆候、というようなことを行っていました。ひと雨ごとに秋が深まる(というか冬が近づく)ということですね。
雨は恵みをもたらし、私達が生きていくのに必要な水、実りを与えてくれるだけでなく、季節ごとの雨は美しい情景を見させ、さらに次のシーズンへの備えを促してくれます。

“神よ あなたは豊かな雨を注ぎ
疲れたあなたのゆずりの地を堅く立てられました。” 詩篇 68:9

2021-11-07 信仰が変える人生

2021年 11月 7日 礼拝 聖書:ヘブル11:23-29

 多くの人にとって、人生は順風満帆な日々が続くということはなく、予想外の波風に翻弄されることが多いかも知れません。

聖書の中にも、そうした波乱万丈な人生を送った人たちがたくさん出て来ますが、今日とりあげるモーセもその代表的な人物だったのは間違いないでしょう。

生まれは奴隷化された民族の出身でありながら王宮で成長しました。大人になってから民族意識が高まり、使命感に駆られますが、義憤からとはいえ人を殺してしまい逃亡者となってしまいます。外国に身を隠して生活し、羊飼いとなりました。もう老人になったころになって神の民を救い出すリーダーになれと神様から迫られます。頑固で言うことを聞かない群れを率いねばならず、数々の試練、困難、苦労の末にようやく約束の地を見渡せるところまでたどり着きます。しかし、約束の地を目の前にしながら、お前はもうこれ以上進めないと神様に釘を刺され、生涯を終えました。

ヘブル書の著者が、アブラハム、イサク、ヤコブといった族長たちに続いて、このモーセを取り上げたのはもっともなことです。続きを読む →

はじまりの場所

みなさん、おはようございます。
ときどき行きたくなる場所というのがあって、その一つが展勝地から川を挟んだ対岸にある河川敷です。ちょっとした駐車場があり、さくらまつりの頃には渡し船の船着き場になる桟橋があります。川の流れや対岸の展勝地を見渡せる景色もお気に入りですし、水鳥の羽ばたきも風情があります。そろそろ白鳥も見られる季節です。でも、そこがお気に入りな大きな理由は、その景色が私たちの教会のはじまりの場所だからです。その風景が見える場所から伝道の働きが始まりました。そこにいくといろいろなことについて大きな視点で考えたり、うまく整理できるような気がします(気がする、というところが肝ですね)。
私たちには時々立ち戻ったほうが良い場所というのがあるのではないでしょうか。信仰を決断した場所、人生を大きく変えるような選択をした場所、大切な人と出会った場所などなど。その頃のことを思い出すのもいいですが、そこに実際に足を運んで新たな視点で眺めて見たり、当時の気持ちを取り戻したり、ということが時々必要だと思います。

“彼はネゲブからベテルまで旅を続けて、ベテルとアイの間にある、最初に天幕を張った場所まで来た。” 創世記 13:3

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りいたします。

佐々木真輝