気持ちを合わせて

みなさん、おはようございます。
日曜日のコイノニアの時間にトーンチャイムの演奏を楽しませていただきました。ほとんどが事前収録で、実際には撮影や編集で何度も見てはいるのですが、それでも皆さんと一緒に見て、あらためて感心しました。トーンチャイムは一人では演奏できない楽器です(ハンドベルもそうですね)。一人で何本も扱うことはあっても、やはり何人かで一緒にやらなければなりません。その時にいちばん大事なのは、やっぱり気持ちを合わせるということでしょう。それぞれが正しいと思うタイミングでは合いませんし、自分のリズム感が正確だと自信があっても、一緒に演奏する人たちと呼吸を合わせないと一つの曲になりません。
曲全体の中での自分の役割を理解し、互いの呼吸を合わせたり、お互いの音を聞いたりするのは、教会の交わりによく似ているなと思いながら聞いていました。

“わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。” ヨハネ 13:34

佐々木真輝

2021-07-11 私を心に留めてください

2021年 7月 11日 礼拝 聖書:詩篇106:1-12

 先週は、2年ぶりに墓前での召天者記念礼拝を捧げることができて本当に感謝でした。

遺族にとっては自分の家族、そして教会にとっては主にある兄弟姉妹であったり、教会家族のつながりの中にある大事な一人一人です。そうした方々が生きた証しやイエス様を信じて生きた姿を思い起こす機会にもなりますし、私たちが何を信じ、どんな望みを持って生きるのかを確かめたり、証しする機会にもなります。葬儀や記念会は、生きている者にとってこそ大事な意味があるものです。

さて、葬儀といえば、今回取り上げる詩篇の第四巻は、詩篇90篇の「モーセの祈り」から始まります。大抵の葬儀で、どこかのタイミングで読む詩篇の一つです。死にあらがうことのできない、決定的な弱さ、限界を持つ私たちが神のあわれみゆえの慰めを望み、与えられている限りある日々をよりよく生きる力を願うのです。続きを読む →

心を留めてほしいこと

みなさん、おはようございます。
先日の召天者記念礼拝の時に、いつものように召天記念会員の方や納骨堂に埋葬されている方々のお名前を読み上げました。今年は27名分だったのですが、お名前を読み上げながら、そのうち半分以上いの方の葬儀をさせていただいたことにあらためて感慨深い思いがしました。教会員だけでなく、クリスチャンではないご家族の方もおられました。子どもの頃からよく知っている方や自分の家族もいれば、直接はお話ししたことがなかった方もおられます。
日本の文化では葬儀と毎年の記念はとても大事にされるので、その都度、心を込めて葬儀をしてきました。毎年の記念礼拝には、普段教会に来られない方も、この時には来てくださいます。教会には「何回忌」という考え方、習慣はありませんから、何年たっても続けて行きますが、何よりの願いは、亡くなった方々の信仰が指し示していた救いと希望に心が向けられることですね。いつの日か自分も辿る道ですから。

“祝宴の家に行くよりは、
喪中の家に行くほうがよい。
そこには、すべての人の終わりがあり、
生きている者が
それを心に留めるようになるからだ。” 伝道者 7:2

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

検索

みなさん、おはようございます。
昨日調べ物をしていて、何度も何度もグーグルに検索条件を変えては答えを探していました。ようやく知りたかったことを見つけてホッとしましたが、身の回りの人に聞いても多分分からないことを調べられるというのは確かにすごい技術だなと思います。その昔、今では当たり前のインターネットでの検索サービスというのが始まった時代、「これからは検索の時代だ」とか「検索サービスを抑えて企業が世界を制する」とか言われていて「何のこと?」とピンと来ませんでしたが、確かにそうなってしまいましたね。人に聞く、本で調べる、図書館に行く、自分で勉強する、といった知識を得るための努力と時間は相当効率化されました。良い面だけじゃないとも思いますが、、便利ではあります。
「救いの道」については検索すれば、真っ当な答えからとんでもない珍説まで見つかりますが、救いの道そのものを見出し、自分がその道を歩んで行くことは、昔ながらのやり方しかできません。便利でもないし、自分自身とも向き合わなければならない面倒で心探られる時がありますが、得られるものは単なる知識ではなく、永遠のいのちです。

“イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。” ヨハネ 14:6

佐々木真輝

かもしだす雰囲気

みなさん、おはようございます。
昨日、とあるお店で妹とばったり会いました。お互いマスク姿だったので、声を掛けようかと思いながらも「似てるなあ、でも別人だったりして」とちょっと迷いましたが、ほぼ同じタイミングで「やっぱり、そうだよね」と声をかけあいました。そして迷った理由もやはり同じでマスクのせいです。でも、マスクで隠れてはいても何かしら分かるポイントはあるものですね。
ときどき見ず知らずの人でも、ちょっとした発言で「この人、もしかしたらクリスチャンかな」と思うことがあります。いかにもクリスチャンっぽい単語の使い方というより、発言の背後に感じられる考え方や人に対する態度にクリスチャンらしさを感じることがあるのです。もちろん、そうでない場合もあるのですが、「ああ、やっぱりそうだった!」ということがあります。自分の中にも、かもしだす雰囲気の中にキリストの姿が重なっていたら嬉しいですね。

“私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。” コリント第二 2:15

佐々木真輝

2021-07-04 救いのために

2021年 7月 4日 礼拝 聖書:ヘブル11:7

 ふだん威勢の良いことを言ったり、偉そうな態度をしていても、いざ本気度が試される場面になると急に威勢の良さが失われ、他人の影にこそこそ隠れるような人がいます。

信仰者も、普段は立派な、信仰深そうな、聖書の知識が豊かにあるふうで話しをするのに、いざという時だめになる人がいます。それはかつての自分の事なのですが、信仰について、教会について聞かれてもどうどうと話せなかったり、もごもごと誤魔化したりするようなところがありました。続きを読む →

手探りで求める人

みなさん、おはようございます。
昨日「聖書を買いたい」という方からお電話をいただきました。どこで買えるか、金額はどれくらいかと話した後で、教会にはプレゼントできる新約聖書もあるというお話をしたら「ぜひ」ということで、しばらくしてから教会にいらっしゃいました。わりと近くに住んでおられる方で、教会案内と、ここのところあまり出番のない名刺も一緒にさしあげました。
こんなふうにわざわざ電話して来られるのですから、何らかの関心、興味があってのことでしょうから、ぜひ福音に触れ、イエス様に出会って欲しいです。そして、私たちの周りには、まだ出会っていない、求める心のある人たちがいるに違いありません。

“それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。” 使徒 17:27

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

正直であること

みなさん、おはようございます。
数年前に北海道に旅行に行った際、楽しみにしていたのは札幌の時計台です。「行ってがっかりする観光スポット」によくランクインされるそうですが、私たちにとってはそんなことはなく、いろいろと感動するポイントがありました。ところで、札幌の時計台とともに、「日本最古の時計台」を名乗ってきた時計台が兵庫県にありました。札幌時計台と同じ明治14年に動き出したのですが、実は正確な日付が分からずにいたそうです。気になった町内のそば屋さんのご主人が調べて、ついに古い小学校に残されていた古い日誌から日付が分かりました。なんと、札幌時計台から27日後の事だったのだそうです。そば屋のご主人は、これを公表したら「日本最古」と誇りに思っていた町の人たちがどう反応するか少し心配だったそうです。しかし正直にお伝えしたところ、皆さん「確かなことが分かって良かった」「よく調べてくれた」「うそを言わなくて良かった」と受け止めてくださったのだそうです。140年前の27日差ですから、もう札幌と一緒に「日本最古」でもいいじゃないかと私なんかは思うのですが、「日本で二番目」と名乗ることにしたそうです。
プライドや恐れのために正直さを犠牲にすると心が縛られますが、プライドを捨て、相手を信頼して正直であるなら心は自由でいられますね。

“直ぐな人を悪い道に迷わす者は、
自分の掘った穴に陥る。
しかし、誠実な人たちは幸せを受け継ぐ。” 箴言 28:10

佐々木真輝

再挑戦

みなさん、おはようございます。
この間、タマネギで「オニオンリング」を作ってうまくいかなかった話しを書きましたが、前回の経験をふまえて再挑戦しました。
結果は…この間よりはましになりました笑。だいぶ良くはなったのですが、まだ理想には及びません。味付けはまあまあですし、タマネギの甘さも引き出されていますが、衣にもう一工夫が必要なようです。
急きょ舞台に立つことになった若手俳優がベテランの役者に「どうしたら上手い役者になれるか」と聞いたら、「恥をかいて、恥をかいて、そうやって少しずつ上手くなっていくしかないんだ」と言ったそうです。油物が続くのは体にも良くないので、オニオンリングはしばらくお休みするかも知れませんが、何事も成長には時間がかかりますし、その殆どが失敗です。失敗することは決してダメなことではなく、成長に欠かせない経験です。

“私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。” ピリピ 3:12

佐々木真輝

2021-06-27 主の恵みと真実

2021年 6月 27日 礼拝 聖書:詩篇89:1-14

 皆さんは、大切な約束をやぶってしまったり、また逆に約束を破られてしまったことはあるでしょうか。もちろん、私たちは不完全で、思いも掛けない事態に直面することもしばしばですから、大なり小なりそういうことはあります。子どもとの約束を忘れてしまったり、奥さんとの約束をすっぽかしてしまったりすることがあります。仕事上の大事な約束を忘れて大きな問題になることもあるかも知れません。

私もある時、詳しいことは話しませんが、ある約束をしてもらったことがあります。中身としては大したものではありませんが、約束が守られるなら誠実さが証明されるような、意味としては大きい約束でした。しかし、その約束が果たされることはありませんでした。その時、私が感じたことは「ああ、あれはその場しのぎの口約束だったんだ。その程度なんだ」というものでした。それ以来、その人に何かを期待するということはしなくなりました。「あの約束はどうなったのか」と完全に白けてしまったのです。続きを読む →