再挑戦

みなさん、おはようございます。
この間、タマネギで「オニオンリング」を作ってうまくいかなかった話しを書きましたが、前回の経験をふまえて再挑戦しました。
結果は…この間よりはましになりました笑。だいぶ良くはなったのですが、まだ理想には及びません。味付けはまあまあですし、タマネギの甘さも引き出されていますが、衣にもう一工夫が必要なようです。
急きょ舞台に立つことになった若手俳優がベテランの役者に「どうしたら上手い役者になれるか」と聞いたら、「恥をかいて、恥をかいて、そうやって少しずつ上手くなっていくしかないんだ」と言ったそうです。油物が続くのは体にも良くないので、オニオンリングはしばらくお休みするかも知れませんが、何事も成長には時間がかかりますし、その殆どが失敗です。失敗することは決してダメなことではなく、成長に欠かせない経験です。

“私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。” ピリピ 3:12

佐々木真輝

2021-06-27 主の恵みと真実

2021年 6月 27日 礼拝 聖書:詩篇89:1-14

 皆さんは、大切な約束をやぶってしまったり、また逆に約束を破られてしまったことはあるでしょうか。もちろん、私たちは不完全で、思いも掛けない事態に直面することもしばしばですから、大なり小なりそういうことはあります。子どもとの約束を忘れてしまったり、奥さんとの約束をすっぽかしてしまったりすることがあります。仕事上の大事な約束を忘れて大きな問題になることもあるかも知れません。

私もある時、詳しいことは話しませんが、ある約束をしてもらったことがあります。中身としては大したものではありませんが、約束が守られるなら誠実さが証明されるような、意味としては大きい約束でした。しかし、その約束が果たされることはありませんでした。その時、私が感じたことは「ああ、あれはその場しのぎの口約束だったんだ。その程度なんだ」というものでした。それ以来、その人に何かを期待するということはしなくなりました。「あの約束はどうなったのか」と完全に白けてしまったのです。続きを読む →

打ち明け話

みなさん、おはようございます。
ここしばらくの悩みの種となっていたことを、とうとう奥さんに打ち明けました(何か悪さをしたわけではありません。誤解されると良くないので、念のため笑)。自分でも考えの整理がなかなかできず、気持ちに折り合いを付けられず、ずるずると引きずっていた重荷でしたので、「話せていない」という重荷からは自由になりました。
早く相談したり、打ち明けた方がいいことってありますが、そういうことに限ってなかなか言い出せないことも多いですね。でも、話したからといって楽になったり解決したりしないことであっても、恐れを超えてちゃんと言葉にすべきだし、祈るべきなんです。そこには問題解決より大事な、愛の関係があるからです。

“愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。…” ヨハネ第一 4:18

佐々木真輝

素材ごとに

みなさん、おはようございます。
先日、ジャガイモのいただきものがありました。美味しいとジャガイモだということでどんなふうにして食べようかと思っていましたが、昨日はフレンチフライにました。難しい料理ではないので美味しくできましたが、せっかく油をあっためたので、オニオンリングも作ることにしました。某ハンバーガー店の人気の味を再現するというレシピをネットで見つけたので真似をしたのですが、こちらはどうもうまくいきません。奥さん曰く、タマネギの輪切りが薄すぎたんじゃないか。なるほど、そうかもしれません。同じ揚げ物でも、素材によって違う扱い方をしないと美味しくいかないんですね。
私たちも、いってみればそれぞれに違う素材です。神様はそんな私たちを一様にではなく、それぞれにふさわしい仕方、丁度良い仕方で取り扱い、導いて、新しい人へと造りかえてくださいます。失敗はありません。

“しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。” エペソ 4:7

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木

交わりの時間

みなさん、おはようございます。
数日ぶりの朝メールです。いつも、一日の終わりに次の朝の分を書くようにしているのですが、夜になってもやることがあったり、疲れていたりすると、「ネタ」はあっても考えがまとまらないということもありますし、電池が切れるみたいに、まるで頭が働かないということもあります。
ところで、日曜日の夕方、市内の教会の牧師たちが集まって月に一度行われている「市内牧師会」が行われました。特別なことはせず(最近はコロナ禍のためにお茶菓子も出ません)、会場教会の牧師が賛美をリードし、みことばを開いて短くお勧めをし、その後、お互いの様子や祈りの課題を分かち合い、みんなで順番に祈って、主の祈りを一緒に祈って終わりです。だいたいはその後、結構長い時間居残っておしゃべりをします。良いこともあれば悲しい事もあり、上手くいったことも失敗したことも話しますし、悩みごとを打ち明けることもあれば、良いアイディアがもらえる時もあります。お互いに言い訳することもなく、意見が違っても新しい視点をもらえたと思え、また一ヶ月、それぞれの場所でがんばりましょう!という気持ちにさせてくれます。こういうのが主にある交わりだなと思わされる時間です。

“彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。” 使徒 2:42

佐々木真輝

梅雨入り

みなさん、おはようございます。
少し遅めですが、いよいよ梅雨入りしましたね。梅雨入りを忘れたんじゃないかというような夏の暑さもあったのですが、ちゃんと季節は巡ってきましたね。梅雨時は寒い日もあるので、ストーブも出したままにしていますし、気分的にも下がり気味になるという人もいるかもしれませんが、この雨があるからこそ緑も育ち、作物も豊かに実ることができるというものです。恵みの雨です。
人生にも雨の日、じとじとした不快な日々もありますが、それもまた大切な季節に違いないと受け止め方を変えてみたいと思います。神様は晴れの日も雨の日も変わることなく愛と恵みに富んでおられる方です。

“王は 牧草地に降る雨のように
地を潤す夕立のように下って来ます。” 詩篇 72:6

佐々木真輝

2021-06-20 私たちの王なる方

2021年 6月 20日 礼拝 聖書:詩篇72:1-20

 聖書にはたくさんの王様が登場しますが、私たちは王という存在を具体的に知りません。私たちにとって王様は、物語や童話の中での存在で、理想的な良い王様か、逆に愚かな存在として描かれます。そのためもあってか、私たちが詩篇の中で王について歌われた詩を味わうときに、これをどう読んだら良いのか、とまどいも感じます。王のために祈られたこれらの詩を、自分の国のリーダーたちや、あるいは似ているかも知れない存在として天皇に当てはめ、同じような気持ちで祈るのは、なかなか難しく感じます。続きを読む →

趣味仲間

みなさん、おはようございます。
SNS上の趣味のサークルのようなものがあり、同じメーカーのカメラを愛用いる方々の写真と参加者との多少の交流を楽しんでいます。他の人の優れた写真を見ては「これはどうやって撮っているんだろう」「同じカメラなのに」と思ったりもしますが、使っているレンズを見ると、プロレンズと呼ばれる高価なレンズを使っている方々が結構おられるのに気づきます。中古のものばかり探している私いはまるで手が届きません。良いレンズは確かにとても綺麗に写るのですが、もちろんレンズの良さだけでなく撮影の技術やセンスも間違いなく素晴らしい方々が多く、驚かされます。
人との比較で自分の価値を過大評価したり自己卑下したりするのは愚かですが、人との比較の中で自分の実力や長所、成長すべき点などを見つけられるのも事実で、それらに目をつぶるのも愚かです。自分が今どこにいて、どこまで到達しているのか。信仰においても大切な問いです。

“ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。” ピリピ 3:16

佐々木真輝

虹を見上げて

みなさん、おはようございます。
昨日も雷で、しかも雹まで降ったとか(気づきませんでしたが)。かなりの大雨になったところもありましたが、皆さんのところはどうだったでしょう。稲妻の写真はまたしても撮れませんでしたが、夕方、二重にかかった虹を見上げてちょっと幸せな気持ちになりました。
虹を見るとなんだか希望がわいてきます。具体的に明日何かいいことがあるという縁起の良い予兆とは違いますが、ノアの洪水の後に現れた時以来、私たちの生きる世界には厳しさもあるけれど、神様のあわれみと恵み、救いの希望の中に置かれていることを思い出させるしるしと言うことはできます。

“わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。…虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い起こそう。” 創世記 9:14,16

今日は***さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

沼にはまらぬように

みなさん、おはようございます。
昨日は午後から時折カミナリが鳴り出し、夜まで雷雨でした。苦手な人にとってはつらい日でしたね。私は、いつか夜空に輝く稲妻を写真に収めたいと思ってはいるのですが、いつも落雷にあったら嫌だなあと、部屋の中からだと方角が合わないとか、なかなかうまく行きません。そんなにがんばらなくても美しい落雷の写真は世の中にあふれているのですが、やはり「自分でやってみたい」という気持ちは簡単には消えませんし、どうやればあんなふうにきれいに撮影できるのだろうかと考えたり調べたりするのも楽しいです。
好奇心は私にとっては新しいことを発見したり、経験したりするための原動力ですが、また同時に誘惑でもあることを自覚しています。よく趣味の世界では「沼」という言葉を使います。好奇心や探究心が行き過ぎて底なし沼に引きずり込まれないように気をつけないといけないですね(片足つっこんでるなと思うことはありますので)。

“わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。” 伝道者12:12

佐々木真輝