タイミングよく

みなさん、おはようございます。
先週、注文していた宅配ボックス(留守にしていても宅急便などが受け取れるというやつ)が教会に届き、昨日、お休みだったNさんに取り付け工事をしていただきました。配達時に留守にしていたために受け取りに窓口まで行くというような手間はさほど苦ではないですが、配達員の方に何度も来てもらうのはほんとに申し訳ないと、いつも気になっていたのです。時間指定できる場合はできるだけ確実に受け取れるように気をつけていますが、いつもそう上手く行くとは限りません。今はまだコロナ禍が収まっていませんから、余計に大事です。
ネットショッピングだけでなく、差し出された神様の恵みや祝福も、タイミングをのがさず確実に受け取りたいですね。神様は私たちが受け取り損ねたからといって面倒くさがったりはしないと思いますが、折りにかなった助けや恵みというのは「その時」だからこそ意味がありますから、ちゃんと受け取りに行きましょう。

“ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。” ヘブル 4:16

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。また今日の礼拝はペンテコステ礼拝となっています。

佐々木真輝

2021-05-23 風のように

2021年 5月 23日 礼拝 聖書:ヨハネ3:1-8

キリスト教の暦では、本日はペンテコステと呼ばれる記念日です。ペンテコステはギリシャ語で50日目という意味ですが、もともとはユダヤ人のために旧約聖書で定められていた過越の祭から五十日目に行われる収穫を祝う祭の日を指しています。

この日に起こった出来事については礼拝の最初の聖書朗読で司会者の方に読んでいただいた、使徒の働きに記されています。イエス様が天に挙げられる時に、使命を託した弟子たちに「聖霊がくだるのを待ちなさい」と言われました。イエス様が教え、なさった働きを教会が引き継いでいくためには人間の力ではなく、聖霊の力が必要だと言われたのです。続きを読む →

これだから愛おしい

みなさん、おはようございます。
先日、とあることでパスワードを思い出さなければならない状況になったのですが、どうしても思い出せず大弱りでした。最近のスマートフォンはとても便利で、たいがいのことは顔認証で自動的にIDやらパスワードが入力されるのですが、その便利さゆえに一旦忘れてしまうと思い出せないということが起こります。そんなわけでパスワードを書き留めたメモを残しておかねばならないという、セキュリティ的にはどうなんだ、という状況になってしまいます。
世の中、どんどん技術が発達し、デジタルトランスフォーメーションとか聞き慣れない言葉もよく耳にするようになりました。そういうのは便利に使えば、いろいろな可能性があり、多くの人に利益をもたらすことができるかもしれませんが、人間自身の能力にはやはり限界があり、それがまた人間らしさを作っていたりもします。そういうところが面倒でもあり、面白くもあり、愛おしくもあるわけです。「神のかたち」に造られた人間は画一的な模造品ではなく、めいめいが特別です。

“人とは何ものなのでしょう。
あなたが心に留められるとは。
人の子とはいったい何ものなのでしょう。
あなたが顧みてくださるとは。” 詩篇 8:4

佐々木真輝

話すのに時がある

みなさん、おはようございます。
新型コロナのワクチン接種が始まり、少しずつ「受けた」という話しを聞くようになりました。それとともに、毎日、ネットやテレビには「こんなトラブルがありました」という話題が目に付きます。もちろん、そういうことが改善のためのヒントになることもあるから必要なことではあります。ただ、そういうの目にすると自分の中にも「ああればいいんじゃないか」「なんでそうなるって予測できないかなあ」と文句を言いたくなる気持ちが起こって来ます。言論の自由があるから、そういうことを周りの人に愚痴ったり、SNSに投稿する権利はあります。でも、その発言が良い結果を生み出すかは別問題です。
意見は正しい場所に向けないと何かを変えることにはつながりませんし、自分の中にある不満や怒りを出したいだけなら、社会に向けてしまうと怒りが増幅するので、身近なところで留めておいたほうが無難です。言葉はいやすことも刺すこともできるので上手に使えるようになりたいですね。

“裂くのに時があり、縫うのに時がある。
黙っているのに時があり、話すのに時がある。” 伝道者の書 3:7

今日は****さん、****さんの誕生日です。祝福を祈ります。
婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

タイミング良く

みなさん、おはようございます。
昨日までのオンラインの総会と研修会も無事に終わりました。集中力がなかなか続かず、しゃべりたい人に気軽に声を掛けることもできないもどかしさはありますが、それでも各地の先生がたのお顔を久しぶりに拝見することができて良かったです。来年はリアルで会えるかなと思いつつ、オンラインだからこそ参加できる人もいるだろうなと思うと、こちらもハイブリッドになるのかな、なんて想像しました。研修会のほうは、お二人の専門家の方にそれぞれのテーマでの学びでしたが、とても興味深いもので、今まさに必要としていることだったのでとても有意義でした。
多くの方が、タイミング良く必要としていた言葉や知恵が与えられるという経験をしたことがあるのではないかと思います。それはたまたまのことではなく、約束に基づいた神様の恵みのひとつだなあと実感しています。

“…「わたしはあなたの神、主である。
わたしはあなたに益になることを教え、
あなたの歩むべき道にあなたを導く。” イザヤ 48:17

佐々木真輝

待ち遠しい

みなさん、おはようございます。
昨日は秋に行われるチャリティイベントの宣伝用の写真撮影を行いました。毎月、実行委員会などで画面越しには顔を合わせていますし、個別には実際に会う人もいるのですが、皆で(全員ではなかったけど)集まるというのは半年ぶりくらいだったでしょうか。市内での感染状況やそれぞれの都合もあって、実際に会っている時間は10分ほどでしたが、それでも嬉しいものです。
教会でも、毎週礼拝が捧げられ、実際に集まれている人もいますが、ずっとオンラインだけという方、またお送りしている週報と説教原稿で時間を合わせてご自宅で、という方もおられます。同じ空の下、同じ神様の前で時間を共有していると分かってはいても、一緒に集まれるのがやはり待ち遠しいです。

“近いうちにあなたに会いたいと思います。そうしたら、直接話し合いましょう。平安があなたにありますように。友人たちが、あなたによろしくと言っています。そちらの友人たち一人ひとりによろしく伝えてください。” ヨハネ第三 14-15

今日は*****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。
夕方から市内牧師会があります。

佐々木真輝

2021-05-16 この時のために

2021年 5月 16日 礼拝 聖書:エステル4:13-17

 旧約聖書の中には、イスラエルの民が祖国を失い、外国で過ごした時代のものがいくつかあります。そのような物語や、その中で語られた言葉は、私たち日本のクリスチャンのように、圧倒的に少数派の人々がもっと注意して読むべきものだと思います。

現代よりももっと厳しく、時に残酷な時代に、どうやって信仰を守り通し、未来に希望を持ち続け、正しい道、良いことを選択することができたのか、教えられることがたくさんあるはずです。続きを読む →

安全点検

みなさん、おはようございます。
しばらく前に「法律に基づいたガス給湯器の安全点検を実施します」という通知があって、まあ念のためにと思って申し込んでいたのですが、すっかり忘れていました。昨日になって「近くまで来ているのでどうしますか?」と言うので、「ん?」と思い話しを聞くと、法改正があってある年以降に製造された器具が対象になっていて、有料の点検になるということでした(通知のハガキにも書いてありました)。メーカーの作業員の方が来て点検するものだそうで、実は「有料」と聞いて「じゃあ、いいです」と断る人も結構多いのだとか。10年目以降は毎年通知が来るそうですが、ほとんどの人は断るんだそうです。
器具自体は非常にきれいで、何の問題もないということで安心して使えるそうです。今回は、ゲストハウスの給湯器なので、普段人もいないし、事故があっては困ると思い、点検をお願いしたのですが、やらなくてもいい点検の通知(しかも古いものではなく新しいもの)ってなんだか意味がないような気もして複雑でした。聖書が「気をつけなさい」「かえりみてみなさい」「考えてみなさい」という点検を教える時は、やらなくてもいいものではなく、必ずすべきことです(ただし無料です笑)。

“ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。” コリント第一 10:12

佐々木真輝

やれるだけのことはやったか

みなさん、おはようございます。
先日、震災後に出来たある支援団体から働きを一旦終えるという内容の丁寧なお手紙が届きました。被災地での直接の支援活動というより、支援にあたっている方々をサポートする働きを中心に広範囲に用いられました。岩手のネットワークも昨年のコロナ禍が始まってからほとんど何も出来ない状況になってしまっていますし、この団体に代わり得る全国規模のネットワークも築かれつつありますので、このタイミングで働きを終えるというのは良い判断なのかも知れません。寂しいですけど。
神様の働きは永遠に続きますが、その中での私たちの働きは、神様が与えてくださったある期間だけなされるものです。人間としても肉体的・精神的に働ける年数に限りもあります。自分の分を終える時に良い形で次の世代や次の働きに委ねたり、引き継いだりできるように、心を込めて、やれるだけのことはやったと言えるようでありたいと思います。

“私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。” テモテ第二 4:7

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

注意深さ

みなさん、おはようございます。
運動不足解消のために、できるだけ歩いていけるところには歩いていくようにしてますが、昨日は午後に郵便局まで歩いていました。すると後ろの方から救急車のサイレンが聞こえて来ます。道路に目をやるとちょうど青に変わったタイミングで、信号待ちをしていた車がサイレンに気づいて路肩に寄せたのが見えました。そのとき、びっくりすることが起こりました。後ろにいた車が、すぐ近くまで救急車が来ているというのに、路肩に寄せた車を追い越して走り出そうとしたのです。たまらず救急車から「通りますから譲ってください」と声がかかり、その車は慌てて交差点の真ん中でへんな具合に停止させ救急車をやり過ごしたのでした。ほんの数秒の出来事ですが、きっと後ろから近づいているサイレンの音に全然気づいていなかったんでしょうね。
いろいろとおっちょこちょいで「注意力が足りない!」とお叱りを頂くことの多い者なので、気をつけなきゃと思いました。もちろん、生活上のさまざまな事や仕事だけでなく、クリスチャンとしての生き方においてもです。

“ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。” エペソ 5:15-16

佐々木真輝