2021-02-14 揺るぎなき王座

2021年 2月 14日 礼拝 聖書:サムエル記第二7:8-17

 現代の私たちにとって国は、かっこうの非難のターゲットです。経済が悪くなれば、経済政策がなっていないと批判し、新型コロナの感染拡大がやまないと国の動きはいちいち遅い。どこそこの県知事のほうが総理大臣に相応しいんじゃないかとまで言われたりします。うまくやれていることも結構あると思うのですが、それが誉められることは滅多にありません。

普通の人々が国に求めるのは、様々な脅威から安全を保証され、いろいろな悩みや困難がひっきりなしにやってくる人生の中で安心して生活できるような様々な制度や仕組みをちゃんと作ってやってくれることです。

前回はサムエル記第一を見ました。まさにそのような国を目指し、しかも神を中心とする王国を願って、サウル王が立てられましたが、彼の傲慢さは破滅を招き、次の王としてダビデが選ばれました。サウルに命を狙われながらも誠実さを保ち続けたダビデはどんな王様になっていくのでしょうか。続きを読む →

まだ2月ですから

みなさん、おはようございます。
先週はわりと気温のあがる日が多く、堅くしまった雪もだいぶ溶けてくれました。教会前の歩道に固まった雪や、車道側に張り出した雪の塊を崩しながら、「このまま春になってくれたらなあ」と思い、実際、口にもしてしまいます。でも、まだ2月です。これからも寒さが戻り、雪が降る日もあるでしょう。冬というのはそういうものですから。
イエス様が私たちにもたらしてくれた救いは、春の希望のようです。私たちを閉じ込めていた冬のような罪と死はすでに破られました。私たちの人生は春を待ちのぞんでいる季節のように、時々春を思わせる小さな勝利や喜びを味わい、このまま、この喜びが続けばいいのにと思います。しかし、本当の春である救いの完成の日が来るまでは、寒さが時々戻るように、私たちを悩ます罪や死はくり返されるでしょう。でも、確かに春が近づいていることもまた事実で、そこに私たちの希望があるのです。

“ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。” ヤコブ 5:7

夕べは大きな地震でしたが大丈夫でしたか?
今日は第二週ですので、夕拝があります。

佐々木真輝

大事なことを忘れてませんか

みなさん、おはようございます。
昨日はいろいろなことを忘れていたり、思い出せなくて、困ったり慌てたりしました。特に、とてもお世話になった方なのに、名前がなかなか出て来ませんでした。親しく思っているはずの人の名前を忘れるというのはけっこうショックなことです。実際に会える回数が激減してしまったとはいえ、SNSなどでよく名前も見かけるし、その人の趣味の話しも楽しみに読んでいるのですが。
神様とはじかにお会いするということではありませんが、聖書を読んだり、祈ったり、礼拝を捧げたりといった習慣を通してその存在や心に触れることができますが、そうしたことから離れてしまうと忘れてしまいがちです。名前を忘れるというより、神様の思いや考えに心を寄せることを忘れてしまうのです。私たちにとって大事なことですから、忘れないようにしたいですね。

“ただ、あなたはよく気をつけ、十分に用心し、あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。そしてそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。” 申命記4:90

今日は朝から全キ災の世話人会があります(これも実は昨日の夜に資料が送られて来るまで、すっかり忘れていました)。

佐々木真輝

神を畏れ、王を敬う

みなさん、おはようございます。
今日は「建国記念”の”日」です。日本は、独立記念日とか、民族解放の記念日のようなものがないので、日本神話に登場する初代天皇が即位したと言われる日を元に、建国を記念し祝う日として定められました。歴史的な事実として確定した日付ではないので「の」がついています。
政治の体制や統治の考え方の土台になっているものは様々で、賛成できるものも賛成しかねるものもあります(独裁主義とか国家主義は勘弁です)。しかし、どんな統治であろうと、そこに生きる人々が願うのは安全に暮らせること、安心して暮らせることです。そうした役割が権力者には神様から委ねられています。同時に本当の意味で確かな守りと平安を与えるのは救い主であり、国家も権力も神様の代わり、救い主の代わりにはなりません。そのことを踏まえて、神を畏れつつ、私たちが生きる社会を尊重し、また権力者が正しく統治できるように祈りましょう。

“すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。” ペテロ第一 2:17

今日の婦人会と祈祷会はお休みです。

佐々木真輝

コロナ憎し

みなさん、おはようございます。
昨日、連絡網でお祈りくださいとお願いした、***さんのお姉さんはあのあと、残念ながら亡くなられたとのことです。まだ64歳だったそうです。とても仲の良い家族で、兄弟姉妹どうしが助け合って暮らしていたので、***さんの悲しみも悔しさも計り知れません。遠く離れた日本にいて何もできませんが、国に帰っていたとしても日本よりずっと厳しい制約がある中では、もっと辛い思いをしたのかも知れません。それでも側に居たかったという気持ちは痛いほど分かります。
昨日の午後、お家を訪ねてお祈りさせていただきましたが、その時、詩篇42篇を読みながら涙が出て来ました。「コロナ憎し」という言葉が始めて実感として感じられました。そして気持ちが塞ぎ、内にこもりそうな時に、自分自身に語りかけるようにして、それでも主に望みを置こうとする詩人の姿を通して祈る力を得た思いです。

“わがたましいよ
なぜ おまえはうなだれているのか。
私のうちで思い乱れているのか。
神を待ち望め。
私はなおも神をほめたたえる。
御顔の救いを。” 詩篇 42:5

佐々木真輝

嫌な気分

みなさん、おはようございます。
久しぶりに温泉につかって良い気分になっていたら、後から入って来た年配の方が、体も洗わず、いきなり湯船に入って来て、あろうことかお湯の中でジャブジャブと体をこすり、頭にお湯をかぶってジャバジャバやりはじめたのです。たぶん、温泉に入るときのその人のルーティンなんでしょう。でも、近くにいた私にとってはたまったものではありません。入り続ける気も失せ、さっさと上がることにしました。
お湯の量はたっぷりありますから、一人のおじさんがその程度のことをしたくらいで温泉の水質が悪化したりはしないはずです。それは分かります。でも、合理的説明によって「嫌だなあ」という気持ちがそう簡単に変わるものではありません。自分が誰かに嫌な思いをさせてしまったときも「説明」したとしても、それは自分に都合良く合理化するだけに思われます。シンプルに、心を込めて「嫌な思いをさせてごめんなさい」と言い、行動を変えることが大事ですね。

“それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。” マタイ 3:8

今日は市内牧師会があります。

佐々木真輝

2021-02-07 地に住み、誠実を養え

2021年 2月 7日 礼拝 聖書:詩篇37:1-6

 「いろはかるた」というのがあります。「いろはにほへと ちりぬるを」という「いろは歌」のそれぞれ一文字から始まる諺なんかでカルタ取りをするものです。「い・犬も歩けば棒に当たる」「ろ・論より証拠」「は・花より団子」といった感じですね。やったことのある人も多いと思いますが、あれの良さはゲームの楽しさもさることながら、言葉を覚えられるということですね。

この詩篇37篇も「いろはかるた」のように、ヘブル語のアルファベット順に始まる詩が順序よく並べられた形になっています。内容としては格言集である箴言にもよく似ていて、人生についての様々な知恵を覚えやすいように工夫したものです。続きを読む →

スノーバスターズ

みなさん、おはようございます。
昨夜のうちに積もった雪で、今朝は皆さん大変だったことでしょう。通行止めなどもあったようですが影響なかったでしょうか。除雪作業をしながら、昔、西和賀に住んでいたころ「スノーバスターズ」という地域の除雪ボランティアに参加したことを思い出しました。活動日となかなかスケジュールが合わず、実際に参加できたのは数える程でしたが、独居世帯の除雪を数人がかかりでやります(豪雪地帯なので、放っておけば出られなくなったり家がつぶれたりします)。皆さん、自分の家の除雪はもちろんですが、除雪が出来ない方々も地域で支えるというのは良いことだなと思いました。
震災の後、あるインタビューに応えて、被災地でのボランティアは雪かきみたいなものだと応えた事があります。放っておいてもどうにもならないし、自力で出来なければ助け合う。すごく特別なことではなく、そんな当たり前のことをしようとした、という気持ちだったと思います。まあ、今はいっぱいいっぱいですが。

“ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。” マタイ 7:12

佐々木真輝

晴のち雪

みなさん、おはようございます。
昨日の朝は、素晴らしい朝焼けだったのに、午前中からまた雪が降り始め、たびたび雪かきに出動しなければなりませんでした。家に帰ったら玄関にたどり着くのに苦労した、という方もおられたかもしれませんね。ここ数年の冬が楽すぎたということなのか、自分の体力が衰えて来たのか、その両方か。とにかく立春が過ぎたとはいえ冬は冬です。
私たちの人生にも、やっと希望の朝が訪れたと思ったのもつかの間、またしても嵐の中に放り出された!なんてことがあるかもしれません。それでも、一瞬の晴れ間が、私たちに嵐は必ず過ぎ去ることを思い出させてくれますし、つかの間であっても息をつける時を与えてくれます。

“また、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところに行き、あなたがたとともに、憩いを得ることができるように、祈ってください。” ローマ 15:32

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

なくしたものありませんか

みなさん、おはようございます。
実は火曜日の朝に教会に行ったとき、駐車場で白いイヤフォンを見つけました。iPhone用のものです(端子の形が平らなやつ)。誰か探しているかも知れないと、連絡があるのを待っていましたが、落としたことに気づいていないかもしれませんね。お心当たりの方はどうぞご連絡ください。探しものが見つかる時ってほんとにホッとしますし、嬉しいですね。
神様が私たちを探し求める姿は聖書の中で「なくしたものを見つける」姿にたとえられています。大切な銀貨だったり、迷子の羊だったり、家を飛び出した息子だったりします。私たちは落とし物をしたことや、無くしたこと自体に気づかずにいたり、忘れてしまったりしますが、神様は探し求めている人間のことを忘れたりはしません。たかがイヤフォン、されどイヤフォン。どうぞ、無くしたものを見つける喜びを神様と共に喜んでください。

“見つけたら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。” ルカ 15:9

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝