遅れて来たクリスマスカード

みなさん、おはようございます。
昨日になって一通のクリスマスカードが届きました。消印は去年の12月4日になっています。香港チームの皆さんが所属している教会からのカードです。毎年届いていましたが、今シーズンは届いていなかったので気がかりでした。何しろ、今香港で起こっている事が、普通の人々の暮らしや教会にどんな影響が及んでいるか考えると、こちらから連絡を取るのもはばかられます(外国とつながりがある人が逮捕されているなんてニュースを聞いていますので)。もしかしたら新型コロナの影響もあったのかも知れません。ともかく、届きました。
メッセージを寄せて下さった方々の中には、北上に来てくださった方々の名前も見られます。そして、その一つ一つの言葉は、クリスマスの挨拶ですが、希望や慰め、コロナ禍での守り、祝福を祈るものばかりです。彼らのためにこそ必要な言葉、祈りだと思いますが、それを私たちに届けてくれました。本当に感動です。

“彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。” コリント第二 8:2

佐々木真輝

巣ごもり

みなさん、おはようございます。
昨日は何の予定もいれないお休みにしました。天気も良かったので、白鳥の写真を撮りに出かけようか、それとも雪景色の滝を撮りにちょっと遠出しようか、などとぼんやり考えていましたが、結局一歩も家の外に出ずに過ごしてしまいました。今風に言うなら巣ごもりでしょうか(ちょっと意味が違う気もしますが)。1月の冬期休暇明けからいきなりフルスロットルで、休みなしでしたので、心身ともにぼーっとすることが必要だったみたいです。
詩篇の作者は敵の攻撃や迫害の中に置かれていましたが、そこまで酷い状況でなくても、いろいろなストレスやプレッシャー、あるいはひたすらくり返される日常から逃げ出して、隠れたいと思うことはありますね。それは恥じる事でも悪いことでもありません。皆さんも、追い詰められる前に休養を取れますように。

“私は言いました。
「ああ 私に鳩のように翼があったなら。
飛び去って 休むことができたなら。
ああ どこか遠くへ逃れ去り
荒野の中に宿りたい。
嵐と疾風を避けて 私の逃れ場に急ぎたい。」” 詩篇55:6-8

佐々木真輝

2021-01-31 主は敬虔な者の足を守る

2021年 1月 31日 礼拝 聖書:サムエル記第一 2:1-10

 戦国武将の明智光秀を主人公にした大河ドラマも、いよいよ来週で終わるということで、どんな結末になるのか楽しみにしています。もちろん、歴史的な結末は分かっているですが、どんな視点で描かれるのかとても興味深いです。

なんでそんな話しをするのかと言いますと、サムエル記は聖書の中の「大河ドラマ」と呼ぶに相応しい物語になっているからです。もちろん、登場人物も、出てくる出来事も、実際にあったことですが、それが巧みに描かれ、またある一定の教訓が読み取れるような構成で描かれているのです。続きを読む →

祈りが届くために

みなさん、おはようございます。
昨日、知らない電話番号から何度か着信がありました(気づかずに受け取ってはいなかったのですが)。何度か目の着信で、電話を取ると宅配業者からの問い合わせでした。でも、名前も違うし、宛先の住所も全然違います(盛岡市内の住所のようでした)。明らかに間違いですね、ということで終わりましたが、きっと伝票に書かれていた電話番号がそもそも間違っていたんでしょうね。その後、正しい相手とちゃんと連絡取れたんでしょうか。
連絡を取りたい相手にちゃんと届くためには正しい電話番号が必要なように、祈りが届くためには、正しい相手と正しいルートが必要です。祈りを聞いてくださる神様に向けて、イエス様の御名によって祈ることが大事です。もちろん、神様は私たちが祈る前から私たちの心の奥にある願いも必要も知っていてくださるので、これは神様のためというより、私たちのためです。誰に向かって、どなたを通して祈っているか、ちゃんと分かって祈ることが大事です。

“…まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。” ヨハネ 16:23

佐々木真輝

回復のために祈ってください

みなさん、おはようございます。
昨日、Kさんの東京におられる息子さんが新型コロナに感染し、症状も出ているとの知らせがあり、皆さんに祈って欲しいとの連絡がありました。どんな経路で感染に至ったのか、どの程度の症状の重さかははっきり分かりませんが、だいぶ辛いということではあるそうです。きっと本人も病状の辛さだけでなく、家族や職場など周りの人たちに負い目を感じる辛さもあるでしょう。Kさん夫妻にとっても駆けつけることもできませんから心配されていることでしょう。まずは回復のために祈りましょう。

“主が 病の床で彼を支えられますように。
彼が病むとき 寝床から起き上がらせてください。” 詩篇 41:3

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

動いたから出会えた

みなさん、おはようございます。
昨日の夜、急でしたが、シンガポールで行われたオンラインのミーティングに参加させていただきました。去年は一度も来ることができませんでしたが、震災後、ずっと被災地での働きのために毎月チームを送ってくださっている(そして殆どが何度も日本に来ている)方々と久しぶりに、オンラインではありましたが顔を合わせることができました。先週召されたKさんのことも紹介され、一緒に宮古に行ってくださった方々は、Kさんのことを良く覚えていて、一緒に悲しみを分かち合ってくださいました。
Kさんの絵手紙の中に「動かなければ出会えない」という一文があったのを思い出します(あれは絵がなかったかな)。言葉も通じない関係だったかもしれませんが、ああやって行動したから与えられた出会いであり、祈りがあり、遠くからの慰めの言葉もあったのです。神様は良いものを用意してくださるし、失敗や間違いも益と変えてくださるのですから、思い切って積極的に動く、というのは新しい何かが生まれるきっかけになりますね。

“私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。” ピリピ 4:13

佐々木真輝

すべてが絶景

みなさん、おはようございます。
なにげなく動画サイトを見ていたら、どういうわけかオススメ動画に北上市内にあるサイクリングロードの紹介動画が出てきました。自転車の趣味はないのですが、その筋の方々には有名な方(日本人初のツール・ド・フランス完走者だそうです)が監修し、北上市としてもけっこう力を入れて整備したものだそうです(全然知りませんでした)。そのコースを実際に自転車で走って動画にまとめた方もフォロワーが20万人以上いる有名な方のようでした(この方のことも知りませんでした)。でも、その方が北上市内のサイクリングロードを走り、どこを走っても全部絶景だったと、大絶賛でした。私たちがよく見ている光景なんですけどね。
素晴らしい景色も見慣れていると、その価値になかなか気づきません。私たちが神様からいただいているたくさんの恵みも、慣れっこになって気づかなかったり、価値を忘れたりしているかもしれません。でも、他の人の目には、その素晴らしさにはっとしたり、心を動かされたりするものです。そういう素晴らしいものを与えられているということを忘れてはいけませんね。

“私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。” コリント第二 4:2

今日は神学校のオンライン・クラスがあります。どうぞお祈りください。

佐々木真輝

思い出を語る

みなさん、おはようございます。
昨日で葬儀と火葬も終わり、水曜日の深夜から続いた弔いのための時も一区切りです(といっても、私にとってはということですが)。葬儀の時だけでなく、弔問の時などにも、***さんにまつわる様々な思い出が語られました。皆に共通して覚えられていることもあれば、その人だけの特別な思い出もありました。人数制限のあった火葬場でも、けっこうたっぷりな時間、思い出を語り合いました。
生きている間はもちろん良いことばかりでなく、喧嘩したり、面白くない思いをすることもあります。でも、このような思い出を語ることで、亡くなった方と過ごした日々が意義深い物語になっていきます。もちろん思い出を語り始めるのにすごく時間がかかる場合もあります(あまりに辛い経験だったりするとそうなります)。ただ、私たちはそうした過去の様々な経験や出会いを思い出す中で、神様の愛の御手や特別な守り、導きがあったことにも気づかされます。それは悲しみや喪失を和らげてくれる効果もあります。

“私は昔の日々を思い起こし
あなたのすべてのみわざに思いを巡らし
あなたの御手のわざを静かに考えています。” 詩篇 143:5

佐々木真輝

2021-01-24 悲劇から喜びへ

2021年 1月 24日 礼拝 聖書:ルツ記1:15-18

 水曜日の深夜に電話があり、***さんが亡くなったことを知った時、ほんとうに驚き、半分信じられない思いでした。確かに、昨年の秋頃から、今までのような元気さがちょっとないなあと思う事はあっても、重大な病気があったわけでもなく、先週の日曜日もいつものように教会に来ていましたし、暖かくなればまた前のようになるかな、なんて簡単に考えていました。とにかく足元が悪いこの季節、転んだりしないでさえいてくれれば、と思っていましたし、本人も十分気をつけていました。

しかし、別れは突然やって来ました。**さんも気づいた時にはもう手遅れだったそうですから、どれほどショックだったことでしょうか。

イギリスの作家、CSルイスは、中年になってから結婚した若い奥さんを骨髄癌で失い、激しい悲しみと絶望的な喪失を通って、ようやくたどり着いた真理として、悲しみは愛することの一部だと書きました。続きを読む →

嵐のような日々に

みなさん、おはようございます。
昨日の吹雪にはまいりました。夜中の風の音にある程度覚悟はしていましたが、先日せっかく除雪していただいたところもまた雪が積もり、家と教会の除雪にだいぶ時間を取られてしまいました。そのため予定していた市内牧師会は結局パスすることになってしまいました。少々疲れを覚えているところで、衝撃的な知らせが届きました。まだ幼いお嬢さんのいる友人の奥様が亡くなられたということでした。昨年春にがんがみつかり、手術と抗がん剤治療に取り組んで来られましたが、回復することなく天に召されたのだそうです。午後やろうとしていた事はなかなか手につかず、何か言葉を伝えようと思っても言葉が出てきません。
突然の冬の嵐のような、厳しく激しい試練の時には、説明することや自分の感情を表すことが難しく、「祈ってほしい」と周りに訴える言葉もなかなか出て来ないかも知れません。幾分風が和らぎ、日差しが戻って来てから、ようやくポツポツと語れるということもあるものです。そういうときに(またそういう状況の人を思い浮かべる時に)思い出すのは、言葉にならないうめきによって取りなしてくださる聖霊の神様の恵みです。

“同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。”

今日は*****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝