2021-02-07 地に住み、誠実を養え

2021年 2月 7日 礼拝 聖書:詩篇37:1-6

 「いろはかるた」というのがあります。「いろはにほへと ちりぬるを」という「いろは歌」のそれぞれ一文字から始まる諺なんかでカルタ取りをするものです。「い・犬も歩けば棒に当たる」「ろ・論より証拠」「は・花より団子」といった感じですね。やったことのある人も多いと思いますが、あれの良さはゲームの楽しさもさることながら、言葉を覚えられるということですね。

この詩篇37篇も「いろはかるた」のように、ヘブル語のアルファベット順に始まる詩が順序よく並べられた形になっています。内容としては格言集である箴言にもよく似ていて、人生についての様々な知恵を覚えやすいように工夫したものです。続きを読む →

スノーバスターズ

みなさん、おはようございます。
昨夜のうちに積もった雪で、今朝は皆さん大変だったことでしょう。通行止めなどもあったようですが影響なかったでしょうか。除雪作業をしながら、昔、西和賀に住んでいたころ「スノーバスターズ」という地域の除雪ボランティアに参加したことを思い出しました。活動日となかなかスケジュールが合わず、実際に参加できたのは数える程でしたが、独居世帯の除雪を数人がかかりでやります(豪雪地帯なので、放っておけば出られなくなったり家がつぶれたりします)。皆さん、自分の家の除雪はもちろんですが、除雪が出来ない方々も地域で支えるというのは良いことだなと思いました。
震災の後、あるインタビューに応えて、被災地でのボランティアは雪かきみたいなものだと応えた事があります。放っておいてもどうにもならないし、自力で出来なければ助け合う。すごく特別なことではなく、そんな当たり前のことをしようとした、という気持ちだったと思います。まあ、今はいっぱいいっぱいですが。

“ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。” マタイ 7:12

佐々木真輝

晴のち雪

みなさん、おはようございます。
昨日の朝は、素晴らしい朝焼けだったのに、午前中からまた雪が降り始め、たびたび雪かきに出動しなければなりませんでした。家に帰ったら玄関にたどり着くのに苦労した、という方もおられたかもしれませんね。ここ数年の冬が楽すぎたということなのか、自分の体力が衰えて来たのか、その両方か。とにかく立春が過ぎたとはいえ冬は冬です。
私たちの人生にも、やっと希望の朝が訪れたと思ったのもつかの間、またしても嵐の中に放り出された!なんてことがあるかもしれません。それでも、一瞬の晴れ間が、私たちに嵐は必ず過ぎ去ることを思い出させてくれますし、つかの間であっても息をつける時を与えてくれます。

“また、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところに行き、あなたがたとともに、憩いを得ることができるように、祈ってください。” ローマ 15:32

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

なくしたものありませんか

みなさん、おはようございます。
実は火曜日の朝に教会に行ったとき、駐車場で白いイヤフォンを見つけました。iPhone用のものです(端子の形が平らなやつ)。誰か探しているかも知れないと、連絡があるのを待っていましたが、落としたことに気づいていないかもしれませんね。お心当たりの方はどうぞご連絡ください。探しものが見つかる時ってほんとにホッとしますし、嬉しいですね。
神様が私たちを探し求める姿は聖書の中で「なくしたものを見つける」姿にたとえられています。大切な銀貨だったり、迷子の羊だったり、家を飛び出した息子だったりします。私たちは落とし物をしたことや、無くしたこと自体に気づかずにいたり、忘れてしまったりしますが、神様は探し求めている人間のことを忘れたりはしません。たかがイヤフォン、されどイヤフォン。どうぞ、無くしたものを見つける喜びを神様と共に喜んでください。

“見つけたら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。” ルカ 15:9

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

遅れて来たクリスマスカード

みなさん、おはようございます。
昨日になって一通のクリスマスカードが届きました。消印は去年の12月4日になっています。香港チームの皆さんが所属している教会からのカードです。毎年届いていましたが、今シーズンは届いていなかったので気がかりでした。何しろ、今香港で起こっている事が、普通の人々の暮らしや教会にどんな影響が及んでいるか考えると、こちらから連絡を取るのもはばかられます(外国とつながりがある人が逮捕されているなんてニュースを聞いていますので)。もしかしたら新型コロナの影響もあったのかも知れません。ともかく、届きました。
メッセージを寄せて下さった方々の中には、北上に来てくださった方々の名前も見られます。そして、その一つ一つの言葉は、クリスマスの挨拶ですが、希望や慰め、コロナ禍での守り、祝福を祈るものばかりです。彼らのためにこそ必要な言葉、祈りだと思いますが、それを私たちに届けてくれました。本当に感動です。

“彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。” コリント第二 8:2

佐々木真輝

巣ごもり

みなさん、おはようございます。
昨日は何の予定もいれないお休みにしました。天気も良かったので、白鳥の写真を撮りに出かけようか、それとも雪景色の滝を撮りにちょっと遠出しようか、などとぼんやり考えていましたが、結局一歩も家の外に出ずに過ごしてしまいました。今風に言うなら巣ごもりでしょうか(ちょっと意味が違う気もしますが)。1月の冬期休暇明けからいきなりフルスロットルで、休みなしでしたので、心身ともにぼーっとすることが必要だったみたいです。
詩篇の作者は敵の攻撃や迫害の中に置かれていましたが、そこまで酷い状況でなくても、いろいろなストレスやプレッシャー、あるいはひたすらくり返される日常から逃げ出して、隠れたいと思うことはありますね。それは恥じる事でも悪いことでもありません。皆さんも、追い詰められる前に休養を取れますように。

“私は言いました。
「ああ 私に鳩のように翼があったなら。
飛び去って 休むことができたなら。
ああ どこか遠くへ逃れ去り
荒野の中に宿りたい。
嵐と疾風を避けて 私の逃れ場に急ぎたい。」” 詩篇55:6-8

佐々木真輝

2021-01-31 主は敬虔な者の足を守る

2021年 1月 31日 礼拝 聖書:サムエル記第一 2:1-10

 戦国武将の明智光秀を主人公にした大河ドラマも、いよいよ来週で終わるということで、どんな結末になるのか楽しみにしています。もちろん、歴史的な結末は分かっているですが、どんな視点で描かれるのかとても興味深いです。

なんでそんな話しをするのかと言いますと、サムエル記は聖書の中の「大河ドラマ」と呼ぶに相応しい物語になっているからです。もちろん、登場人物も、出てくる出来事も、実際にあったことですが、それが巧みに描かれ、またある一定の教訓が読み取れるような構成で描かれているのです。続きを読む →

祈りが届くために

みなさん、おはようございます。
昨日、知らない電話番号から何度か着信がありました(気づかずに受け取ってはいなかったのですが)。何度か目の着信で、電話を取ると宅配業者からの問い合わせでした。でも、名前も違うし、宛先の住所も全然違います(盛岡市内の住所のようでした)。明らかに間違いですね、ということで終わりましたが、きっと伝票に書かれていた電話番号がそもそも間違っていたんでしょうね。その後、正しい相手とちゃんと連絡取れたんでしょうか。
連絡を取りたい相手にちゃんと届くためには正しい電話番号が必要なように、祈りが届くためには、正しい相手と正しいルートが必要です。祈りを聞いてくださる神様に向けて、イエス様の御名によって祈ることが大事です。もちろん、神様は私たちが祈る前から私たちの心の奥にある願いも必要も知っていてくださるので、これは神様のためというより、私たちのためです。誰に向かって、どなたを通して祈っているか、ちゃんと分かって祈ることが大事です。

“…まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。” ヨハネ 16:23

佐々木真輝

回復のために祈ってください

みなさん、おはようございます。
昨日、Kさんの東京におられる息子さんが新型コロナに感染し、症状も出ているとの知らせがあり、皆さんに祈って欲しいとの連絡がありました。どんな経路で感染に至ったのか、どの程度の症状の重さかははっきり分かりませんが、だいぶ辛いということではあるそうです。きっと本人も病状の辛さだけでなく、家族や職場など周りの人たちに負い目を感じる辛さもあるでしょう。Kさん夫妻にとっても駆けつけることもできませんから心配されていることでしょう。まずは回復のために祈りましょう。

“主が 病の床で彼を支えられますように。
彼が病むとき 寝床から起き上がらせてください。” 詩篇 41:3

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

動いたから出会えた

みなさん、おはようございます。
昨日の夜、急でしたが、シンガポールで行われたオンラインのミーティングに参加させていただきました。去年は一度も来ることができませんでしたが、震災後、ずっと被災地での働きのために毎月チームを送ってくださっている(そして殆どが何度も日本に来ている)方々と久しぶりに、オンラインではありましたが顔を合わせることができました。先週召されたKさんのことも紹介され、一緒に宮古に行ってくださった方々は、Kさんのことを良く覚えていて、一緒に悲しみを分かち合ってくださいました。
Kさんの絵手紙の中に「動かなければ出会えない」という一文があったのを思い出します(あれは絵がなかったかな)。言葉も通じない関係だったかもしれませんが、ああやって行動したから与えられた出会いであり、祈りがあり、遠くからの慰めの言葉もあったのです。神様は良いものを用意してくださるし、失敗や間違いも益と変えてくださるのですから、思い切って積極的に動く、というのは新しい何かが生まれるきっかけになりますね。

“私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。” ピリピ 4:13

佐々木真輝