すべてが絶景

みなさん、おはようございます。
なにげなく動画サイトを見ていたら、どういうわけかオススメ動画に北上市内にあるサイクリングロードの紹介動画が出てきました。自転車の趣味はないのですが、その筋の方々には有名な方(日本人初のツール・ド・フランス完走者だそうです)が監修し、北上市としてもけっこう力を入れて整備したものだそうです(全然知りませんでした)。そのコースを実際に自転車で走って動画にまとめた方もフォロワーが20万人以上いる有名な方のようでした(この方のことも知りませんでした)。でも、その方が北上市内のサイクリングロードを走り、どこを走っても全部絶景だったと、大絶賛でした。私たちがよく見ている光景なんですけどね。
素晴らしい景色も見慣れていると、その価値になかなか気づきません。私たちが神様からいただいているたくさんの恵みも、慣れっこになって気づかなかったり、価値を忘れたりしているかもしれません。でも、他の人の目には、その素晴らしさにはっとしたり、心を動かされたりするものです。そういう素晴らしいものを与えられているということを忘れてはいけませんね。

“私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。” コリント第二 4:2

今日は神学校のオンライン・クラスがあります。どうぞお祈りください。

佐々木真輝

思い出を語る

みなさん、おはようございます。
昨日で葬儀と火葬も終わり、水曜日の深夜から続いた弔いのための時も一区切りです(といっても、私にとってはということですが)。葬儀の時だけでなく、弔問の時などにも、***さんにまつわる様々な思い出が語られました。皆に共通して覚えられていることもあれば、その人だけの特別な思い出もありました。人数制限のあった火葬場でも、けっこうたっぷりな時間、思い出を語り合いました。
生きている間はもちろん良いことばかりでなく、喧嘩したり、面白くない思いをすることもあります。でも、このような思い出を語ることで、亡くなった方と過ごした日々が意義深い物語になっていきます。もちろん思い出を語り始めるのにすごく時間がかかる場合もあります(あまりに辛い経験だったりするとそうなります)。ただ、私たちはそうした過去の様々な経験や出会いを思い出す中で、神様の愛の御手や特別な守り、導きがあったことにも気づかされます。それは悲しみや喪失を和らげてくれる効果もあります。

“私は昔の日々を思い起こし
あなたのすべてのみわざに思いを巡らし
あなたの御手のわざを静かに考えています。” 詩篇 143:5

佐々木真輝

2021-01-24 悲劇から喜びへ

2021年 1月 24日 礼拝 聖書:ルツ記1:15-18

 水曜日の深夜に電話があり、***さんが亡くなったことを知った時、ほんとうに驚き、半分信じられない思いでした。確かに、昨年の秋頃から、今までのような元気さがちょっとないなあと思う事はあっても、重大な病気があったわけでもなく、先週の日曜日もいつものように教会に来ていましたし、暖かくなればまた前のようになるかな、なんて簡単に考えていました。とにかく足元が悪いこの季節、転んだりしないでさえいてくれれば、と思っていましたし、本人も十分気をつけていました。

しかし、別れは突然やって来ました。**さんも気づいた時にはもう手遅れだったそうですから、どれほどショックだったことでしょうか。

イギリスの作家、CSルイスは、中年になってから結婚した若い奥さんを骨髄癌で失い、激しい悲しみと絶望的な喪失を通って、ようやくたどり着いた真理として、悲しみは愛することの一部だと書きました。続きを読む →

嵐のような日々に

みなさん、おはようございます。
昨日の吹雪にはまいりました。夜中の風の音にある程度覚悟はしていましたが、先日せっかく除雪していただいたところもまた雪が積もり、家と教会の除雪にだいぶ時間を取られてしまいました。そのため予定していた市内牧師会は結局パスすることになってしまいました。少々疲れを覚えているところで、衝撃的な知らせが届きました。まだ幼いお嬢さんのいる友人の奥様が亡くなられたということでした。昨年春にがんがみつかり、手術と抗がん剤治療に取り組んで来られましたが、回復することなく天に召されたのだそうです。午後やろうとしていた事はなかなか手につかず、何か言葉を伝えようと思っても言葉が出てきません。
突然の冬の嵐のような、厳しく激しい試練の時には、説明することや自分の感情を表すことが難しく、「祈ってほしい」と周りに訴える言葉もなかなか出て来ないかも知れません。幾分風が和らぎ、日差しが戻って来てから、ようやくポツポツと語れるということもあるものです。そういうときに(またそういう状況の人を思い浮かべる時に)思い出すのは、言葉にならないうめきによって取りなしてくださる聖霊の神様の恵みです。

“同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。”

今日は*****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

きっと素晴らしいことが

みなさん、おはようございます。
昨日は牧師会がありました。いつもなら温泉で新年会をしているのですが、昨年からずっとオンラインでの開催。でも、せっかくだからお昼ご飯を一緒に食べながらやりましょう、ということで「オンライン・ランチ」を体験しました。各自のパソコンの前にはそれぞれがお昼ご飯を広げ、お互いが食べている様子を画面越しに眺めながら食べるという不思議な体験でした(面白い体験ではありましたが、「またやろう」というほどの気分にはなりませんでした)。
お互いに昨年を振り返り、また新しい年への願いを分かち合いました。それぞれコロナ禍にあって悩んだり工夫したりし、大変だったことも疲れたこともありながら、それでも、さまざまなことを通して、確かに神様が生きて働いておられることをはっきりと感じながら感謝や喜びをいただいことを確かめられて良かったです。先の見えない一年だけれど、きっと素晴らしいことが待っているんだなと思える時でした。

“まことに 神である主は太陽 また盾。
主は恵みと栄光を与え
誠実に歩む者に良いものを拒まれません。” 詩篇 84:11

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。
今日は市内牧師会があります。

佐々木真輝

2021-01-17 王なき時代

2021年 1月 17日 礼拝 聖書:士師記2:11-23

 昨年からのコロナ禍の中で、世界各国のリーダーたちが批判されたり称賛されたりしています。こういう予想外の、簡単には解決策が見いだせない状況の中では、指導者に対するあたりが強くなりますので、政治家にとっては支持率を上る機会にもなりますが、猛烈な批判にさらされるリスクにもなります。

さて、今日とりあげるのは士師記です。士師記は、士師とか「さばきつかさ」と呼ばれる指導者たちを中心とする神の民の歩みを記したものです。さばきつかさたちは、ヨシュアの後の時代の各部族ごとの指導者で、危機の時に神様が起こし、遣わした人々です。続きを読む →

助けを求めて

みなさん、おはようございます。
休みがあけた昨日、教会に行ってみると、除雪車が置いていった雪の塊が駐車場の出入り口をふさぐように山になっていました。朝方だいぶ冷え込んだこともあったのか、手作業ではなかなか進まず、急きょNさんに重機で出張っていただきました。昨日だけでは終わらず、今日の午前中も来てくださるということで、本当に有り難いことです。
自分で出来ることは自分でやりたいところではありますが、人の手を借りないと出来ないことはたくさんあります。また自分で出来るけれど、人に任せた方が良い時もあります。そして人間の力の及ばないことはいくらでもあります。そのような私たちにいつも目を掛けてくださっている神様に、すなおに助けてくださいと言い、周りの人にも手を貸してくださいと言える者でありたいと思います。

“主は 貧しい人の苦しみを蔑まず いとわず
御顔を彼から隠すことなく
助けを叫び求めたとき 聞いてくださった。” 詩篇22:24

佐々木真輝

保存食

みなさん、おはようございます。
冬休みを終えて、今日が「仕事始め」です。お祈りありがとうございました。
休みの間に、出来ずにいたことをいろいろやったのですが、けっこう時間と手間をかけたのは、頂きもののリンゴを、保存の利くジャムやコンポートにする作業。人にあげる分もちょっと作りましたが、だいたいは冬の間の朝ご飯になるかと思います。新鮮なものを新鮮なうちに食べるのも良いですが、塩や砂糖をつかったり、発酵させたり、燻製にしたり、乾燥させたり手間を掛ける保存食は、長持ちするだけでなく、味わいも深くなりますね。
神様のことばである聖書も「生」のままではなく、いってみれば保存食のようなものです。語られた時代の出来事の中に折り込まれたり、詩や物語として語られたりすることで、どんな時代にも聞く事ができ、しかも味わいの深い保存食のようになっています。これからも、このみことばを長く、深く、味わって行きましょう。

“味わい 見つめよ。
主がいつくしみ深い方であることを。
幸いなことよ 主に身を避ける人は。” 詩篇 34:8

佐々木真輝

今日は嵐?

みなさん、おはようございます。
今日から明日にかけてかなり荒れるらしいということですが、北上にはどの程度の影響があるでしょうね。どうぞお気を付けてお過ごしください。婦人会や祈祷会も危険そうだと思ったら無理をなさらないようにしてください。
危険を察知したり予測し、回避する能力は神様がくださったものです。自然現象や車の運転、機械のトラブルなどだけでなく、夫婦の会話や職場の人とのコミュニケーションの中でのトラブルなんかも、経験の差や得意不得意はあっても、感じ取り、回避できます。前進し、正面からぶつかり、危険を背負うだけが正しい道ではありませんね。霊的に、あるいは精神的に厳しい時、追い詰められた時も避け所である神様のもとに心を注ぎ出して助けていただきましょう。健康で安全に過ごしていればこそ、より良く他の人の役に立てますから、危険が迫っている時はどうぞ安全第一で。

“民よ どんなときにも神に信頼せよ。
あなたがたの心を 神の御前に注ぎ出せ。
神はわれらの避け所である。” 詩篇 62:8

今日は婦人会と祈祷会がありますが、どうぞそれぞれの道路事情や天候を見てお気を付けください。
明日から冬期休暇をいただきます。

佐々木真輝

それでも凍っちゃう

みなさん、おはようございます。
この間の日曜日、教会のトイレの蛇口の一つが凍って、結局そこだけ一日水が出ませんでした(後日ちゃんと出るようになりました)。水道管には凍結防止のヒーターがついていますが、寒さが厳しいと追いつかない時があるようです。台所の方も水道管自体は大丈夫でも蛇口や給湯器の中が凍ってしまうことがあります。建物の作りや設備の古さもあって、これはもう仕方がありません。やむを得ないですから、念のための水落は欠かせません。
私たちは不完全で弱さがあります。だから知恵も工夫も必要ですが、そうしたものではカバーしきれない、決定的な弱さがあります。だからすべてを越えて働き、私たちのために良きものを備えてくださる神様の恵みが何よりも必要なのです。そのような恵みによって支えられ、覆われることは、恥ではなく大きな喜びです。

“しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。” コリント第二 2:9

佐々木真輝