2024-06-02 聞くことは力

2024年 6月 2日 礼拝 聖書:エレミヤ23:16-29

 皆さんは、「主との交わり」や「神様との交わり」と聞くとどのようなことだと考えるでしょうか。また「主との交わりの時間を持っていますか」と聞かれたら何と答えるでしょうか。

若い頃、クリスチャンキャンプに参加したりすると、「神様との交わりの時間を大事にしなさい」「習慣にしなさい」とよく言われました。聖書を読んで祈る時間を持つように、ということだと思いました。良い雰囲気の中にあれば、何となく神様を近くに感じるのですが、家に帰って日常に戻ると、ただ聖書のことばを目で追って、簡単に祈って終わりで、神様との交わりを持っているという実感は沸いてきません。続きを読む →

2024-05-26 約束の証印

2024年 5月 26日 礼拝 聖書:エペソ1:3-14

 「ハンコレス」ということが言われるようになったのは2000年頃からだそうです。最近ではとくにコロナ禍でテレワークが増えたり、感染症対策の観点からハンコレスが拡がったと言われます。確かに、かつてはいろいろな場面で「認印」を忘れたりする手続きが出来ずに慌てたり、ハンコを取りに戻ったりなんてことがありましたが、最近はハンコなしで済むことが多くなり、「あれ?こんなに簡単なんだっけ」と思うこともしばしばです。。

しかしながら契約を結ぶ場合にはやはりハンコが必要です。しかもちゃんと役所に登録した実印が必要です。日本では戦国時代くらいから今のような使い方で個人が印章を持つようになり、江戸時代に商人や町人が持つようになったそうです。ただ、ハンコ自体はもっと古い時代に遡り、有名なのでは国宝に指定された金印ですが、昔の印章は個人が「売ります、買います」の意思表示を保証する意味ではなく、王や権力者の地位を象徴するものとして持つものであったそうです。続きを読む →

2024-05-19 私たちを生かす聖霊

2024年 5月 19日 礼拝 聖書:エゼキエル37:1-14

 今日は教会暦で「ペンテコステ」と呼ばれる記念日です。ユダヤ教では過越の祭から七週が過ぎた時に行われる「シャブオット=七週の祭」という祭の日です。シナイ山で律法が与えられたことを記念します。しかしキリスト教においては、その過越の祭の時にイエス様が十字架につけられ死んでよみがえり、それから50日、ちょうど七週の祭の時にイエス様が約束された聖霊がくだり教会が誕生した日として新しい意味でペンテコステを祝います。続きを読む →

2024-05-05 失敗した者のために

2024年 5月 5日 礼拝 聖書:出エジプト32:7-14

 みなさんは誰かのために「とりなしの祈り」をしたことがあるでしょうか。ご病気の方の回復を祈ったり、困難の中にある方の解決のために祈ったりすることも含まれるかもしれませんが、「とりなしの祈り」でもっとも重要なのは、失敗してしまった人、過ちを犯した家族や兄弟姉妹のための祈りです。

それはどういう祈りであるべきでしょうか。どういうつもりで祈ったらいいのでしょうか。続きを読む →

2024-04-28 天国で歌う歌

2024年 4月28 日 礼拝 聖書:黙示録15:2-4

 皆さんは未来に希望を持っているでしょうか。未来に希望を持てるかどうかは、今を生きる力に大きな影響を及ぼします。

先日、将来消えてしまうかもしれない市町村についての調査結果が公表され、ちょっとざわざわしたようです。人口減少が続く日本については、労働力の低下や経済力の低下など、あまり明るい未来は描けないような様々なデータや将来予測が出されています。中には自分の町が消滅する可能性のある自治体として名前が挙げられたことに文句を言う首長もいたそうです。そんなことで腹を立てている場合ではないとも思いますが、あなたの町に未来はないみたいに名指しされたら、プライドが傷付いたり、企業や住民が町から逃げ出すんじゃないかと恐れるのかもしれません。

私たちの人生についてはどうでしょうか。今日開いている黙示録は、迫害の中にあった教会を励ますために使徒ヨハネが書いたものです。ヨハネ自身もパトモス島という小さな島にいわゆる島流しになっている時に神様が見せた幻を書き記したものです。続きを読む →

2024-04-21 日々新たにされて

2024年 4月 21日 礼拝 聖書:コリント第二4:13-18

 皆さんは今幸せですか。幸せだと思えていますか。もしそうだとするなら、何に幸せを感じているでしょうか。

反対に不幸だと思う理由は何でしょうか。

こんな質問をするのは、クリスチャンは、特に長くクリスチャンとして生きていると、自分を騙すことがうまくなる場合があるからです。様々な苦難に出会って、それでも「神様に感謝しなくちゃ」と口では言うし、心でもそう思っていると自分では考えているのですが、「では幸せなんですね」と訊ねられたら「とんでもない!」とか「たぶん」といった反応になることがあります。

今日の聖書箇所には「感謝が満ちあふれ」という言葉が出てきますが、この言い方は私たちの感謝や喜びが頭で「これは感謝なことだ」「喜ぶべきことだ」と納得するだけでなく、心から沸き起こって来るような感謝、心から幸せだと思えるようになれるということが示されています。続きを読む →

2024-04-14 私を見てくださる神

2024年 4月 14日 礼拝 聖書:創世記 16:1-16

 子どもが小さい頃、他の子と仲良くなってずいぶん長い時間遊んだあとで、「誰と遊んだの?お名前なんていってた?」と聞いたら「知らない」と返事することが度々ありました。

旧約聖書には神様のお名前が記されていますが、ユダヤ人が長い間、神の名を口にすることを禁じていたために正確な発音が分からなくなってしまったという話しを前にしました。「主よ」とか「神様」と呼びかけることはありますが、それは称号であって名前ではありません。

しかし、今日の箇所にも出て来ますが、神様に対する呼び名はいくつもあります。いずれの呼び名にも、そのように呼ぶことになった印象深い物語があるものです。

今日は「エル・ロイ(私を見てくださる神)」という呼び名ですが。神様が私を見ていてくださる。そのことに大いに慰められ、励まされたハガルの物語をご一緒に見ていきましょう。続きを読む →

2024-04-07 新しい人生を信じる

2024年 4月 7日 礼拝 聖書:ヨハネ20:19-29

 大事な場面に居合わせないと、なんだか仲間はずれになった気分になります。今日開いている箇所は、イエス様がよみがえられた日の夕方、弟子たちが集まっている時に復活イエス様がお会いになった場所に居合わせなかったトマスが、「そんなことを信じられない」と意地を張りますが、次の週にイエス様に会うという、話しとしてはとても面白いというか、興味深い内容になっています。

トマスの意地の張り方やイエス様に実際に会ったときの態度がとても人間くさいのでついついそっちのほうに目が行きますが、今日の箇所を丁寧に読んでいくと、二週にわたる同じような場面でイエス様が語ったことばにもっと注目すべきことが分かってきます。続きを読む →

2024-03-31 弱き者を立ちあがらせる方

2024年 3月 31日 イースター礼拝 聖書:サムエル記第一2:1-8a

 イースターおめでとうございます。今日は主イエス様が十字架で死なれ、三日目によみがえられたことを記念しお祝いする日です。

大切な友人の牧師が昨年から体調を崩して数ヶ月間休養しておりました。つい最近、仕事に復帰して、今日が復帰最初の礼拝メッセージをするということで、多くの人たちがその復活を喜んでいます。私も昨年、教会に戻って来られた時の喜びを思い出して、復活の主イエス様をお祝いできることの幸いを噛みしめています。続きを読む →

2024-03-24 この思いを抱いて

2024年 3月 24日 礼拝 聖書:ピリピ2:5-11

 皆さんは、誰か憧れの人や見習いたいと思っている人はいるでしょうか。「自分のライバルは自分です」みたいなタイプの人もいるでしょうが、「こうなりたい」と思わせてくれる人に出会えるのは素晴らしいことです。私が中学生の頃は今で云う中二病に見事に冒されていたので、ブルース・リーの強さに憧れていましたが、大人になるにつれて、特定の誰かのようにとは思わなくなりました。その代わり、個人的に知り合えたり書籍を通して尊敬できる様々な人たちとの出会い、強い影響を受けて来たと思います。

私たちの人格形成において、モデルや憧れの存在はともて大切です。たとえ周りに良い模範となる人がいない不幸な環境だったとしても、それでも必ず影響は受けるものです。逆に言えば、この社会にいる限り、自覚がなくても私たち自身が次の世代の良い模範になったり悪い模範になったりしています。続きを読む →