こういう時はゆっくり目で

みなさん、おはようございます。
降り始めたと思ったら本気の降り方の雪で、車のスピードもだいぶゆっくり目で、ちょっとした渋滞も出来ていました。中にはちょっと慎重過ぎるんじゃないかと思うのもありますが、どれくらいが自分にとって安全な速度かは個人差がありますから仕方がありません。いずれにしても雪道、氷道のような危険な時はいつもよりゆっくり、安全運転が大事ですね。
人生の困難な時も、気持ち的には「はやく過ぎ去って欲しい」と思いますが、除雪が追いつかない雪道のようなものですから、ゆっくり目で歩んだ方がよいのかも知れません。困難な時にこそ襲ってくる誘惑や迷いがあるし、問題にばかり目が行ったり急ぎすぎて大事な標識を見落とすこともあります。忍耐は要りますが、ゆっくり目で、を心がけましょう。

“たましいに知識がないことは良くない。
急ぎ足の者は罪に陥る。” 箴言 19:2

佐々木真輝

雪が降れば思い出す

みなさん、おはようございます。
ようやく本格的に雪になり、昨日の朝は久しぶりの雪かきにだいぶ時間を取られたのではないでしょうか。立ち往生や事故もあったようです。雪が降るとちょっと(日によってはかなり)大変ですが、やっぱり冬らしさを感じます。朝窓を開けた時、「きれいだなあ」と最初に思います(すぐ大変だなとも思いますが)。
白い雪によって庭に残っていた紅葉の落ち葉もすっかり覆われ、春までの間に雪の下で新しい命の芽ばえの準備がされています。そんなふうに雪がふると、聖書の中に出てくる数少ない雪にまつわる箇所を思い起こします。イエス様によって私たちの罪と闇が真っ白く覆われ、その間に古いものが過ぎ去り、新しいいのちが息づき力強く息づいくのです。

“「さあ、来たれ。論じ合おう。
──主は言われる──
たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとえ、紅のように赤くても、
羊の毛のようになる。” イザヤ1:18

今日は小野邦子****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

2020-12-13 主はあわれみを忘れず

2020年 12月 13日 礼拝 聖書:ルカ1:39-56

 アドベント3週目となりました。今日は、先週の続きの箇所です。マリアが、救い主を身籠もるという御使いの驚くようなお告げを、信仰をもって受け止めた後の話です。今日も二千年前の聖書の世界に思いを馳せましょう。

御使いが去ってほどなく、マリアは御使いの話しの中に出てきたエリサベツのもとを訪ねることにしました。たぶん、このときにはすでにヨセフにも天使が現れ、事の次第を説明し、恐れないでマリアを妻として迎えなさいという励ましがあり、二人でこの大事な務めを果たすために心を一つにしていたのではないかと思います。続きを読む →

蜜のように甘く

みなさん、おはようございます。
昨日はTさんとの週一度の聖書の学びがありました。個人的にでもグループでも、神学校のクラスとしてでも聖書を一緒に学べるのはとても楽しく、励まされ、そして今なお自分が教えられ続けるので、どんなに忙しくても楽しみです。
一対一の学びも何人かでの学びも、じっくり学ぶのも、短い時間で味わうのもそれぞれに良さがあります。そして、何か一つでも気づきがあって、教訓になったり、慰めになったり、励ましになったりすれば、大きな喜びです。そういう感動や発見があまり感じられないという時もありますので、あまり効率は良くない感じもしますが、人の心が養われ、変えられるのは時間をかけてなされる営みですからちょうど良いのです。

“あなたのみことばは
私の上あごになんと甘いことでしょう。
蜜よりも私の口に甘いのです。” 詩篇119:103

昨日は横山裕香さんの誕生日でした。遅ればせながら祝福を祈ります。
今日は第二週ですので夕拝があります。

佐々木真輝

師走感

みなさん、おはようございます。
昨日ラジオを流しながら車を運転していたら「師走感がない」という言葉が耳に入って来ました。教会ではクリスマスの飾り付けをし、アドベントのロウソクを毎週一本ずつ火をつけていますが、日本人としてもっと身近な歳末の感じをいまいち感じません。セールにもいかないし、忘年会のお呼びもかからないし、お正月に誰かが帰って来るという期待感もあまりないし、クリスマスのイベントが減ったためにその準備に追われるということもあまりありません(暇というわけではないのですが)。師走感がないというのはそういうことかも知れません。
それでも気付けばあと3週間で怒濤の2020年も終わり、この我慢の日々もそのままに新しい年を迎えることになります。ある意味で、これだけ切羽詰まった感じなしに年を締めくくれるのであれば、いつにもまして感謝して、クリスチャンらしく希望をかかげ、クリスマスにふさわしい温かい心と思いやりをもって年末の時期を過ごしましょう。

“最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。” ペテロ第一 3:8

入院中だったMさん、無事に退院されました。感謝。

佐々木真輝

遅れを取り戻す

みなさん、おはようございます。
いろいろな仕事や約束が遅れたり、期限が差し迫って来たりして、一生懸命遅れを取り戻そうとしているところです。時間も体力も集中力も限られているので何かを優先させれば他の何かを捨てるか後回しにしなければなりません。某マンガの台詞じゃないですが「何かを得るためには同等の対価が必要になる」ものです。あれもこれもやり遂げようと休息や睡眠時間を削ると、翌日の仕事の能率を落とすことになり、結局はまた何かを犠牲にすることになります。
そういう見方からすれば、神様が私たちに赦しと祝福を与えるために、対価を私たちに要求するのではなくイエス様が代わりに払ってくださったということは本当にすごいことだと思います。私たちはいろいろと足りないように思えても、実はすでに大きな豊かさの中にあるこことを思い出して今日も励みたいと思います。

“しかし、恵みの賜物は違反の場合と違います。もし一人の違反によって多くの人が死んだのなら、神の恵みと、一人の人イエス・キリストの恵みによる賜物は、なおいっそう、多くの人に満ちあふれるのです。” ローマ 5:15

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

山路越えて

みなさん、おはようございます。
だいぶ久しぶりになってしまいました。このあいだからホームページの再構築にだいぶ時間を取られて朝メールを書くゆとりがありませんでした。まだ全部は終わっていないのですが、ちょっと大きな山を一つ越えたかなというところです。
実際の山上りもそうですが、人生においても山上りのような時があって、一山越えてちょっと一息ついても、道の先にはまた上りがある、なんてことは良くあることです。それでも、一つの峯を越えることは一つの節目だし、ちゃんと前に進んでいる証しですし、希望もありますね。またぼちぼちと朝メールも書き始めて行きたいと思います。

“主は私のたましいを生き返らせ
御名のゆえに 私を義の道に導かれます。”詩篇 23:3

佐々木真輝

2020-12-06 あなたのおことばどおり

2021年 12月 6日 礼拝 聖書:ルカ1:26-38

 先週からアドベントが始まりました。先週はクリスマスカードをお送りし、12月に入ったら急に寒くなって来て、いよいよクリスマスが近いなあという気分になってまいりました。

さて今月のみことばは、マリアの受胎告知の場面から取り上げました。マリアに告げられた、祝福の言葉がどのように現実のものとなっていったのか、おなじみの箇所ではありますが、今年も味わってみましょう。続きを読む →

お宝発見

みなさん、おはようございます。
昨日の夜、家に帰ってから残っているホームページの復旧にとりかかっている中で、失われたと思っていた「朝メール」の過去分のデータが残っていることに気づきました。ほかの人にとってはそれほど価値がなくても、日記を付ける習慣がついぞ身につかなかった私にとっては、様々な出来事を経験しながらみことばから教えられたり、意味を思い巡らしたり、気づかされたことの記録なので、埋もれていた資料の山から貴重な記録を見つけたような、お宝を発見したような気分です。ただ、それをどうすれば使えるように復元できるかがまだ分からず、中身があるのは分かっているけれど金庫を開けられずにいるようなもどかしさもあります。でも、なんとか取り出したいと思います。
イエス様の譬え話の中にも、畑に宝を発見した人の話しが出てきます。その人は宝を秘密にし、手に入れるために持っているものを全部売り払って畑ごと買い取るだろうと言われました。それが今まで持っていたものよりずっと価値があるからです。イエス様のくださった救いと恵みは、それほどに価値があるものです。

“天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。”
マタイ 13:44

今日は*****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

侵入

みなさん、おはようございます。
しばらく朝メールを出せずにいました。先週末、教会やネットワークのホームページを置いているサーバーに不正なアクセスがあり、一部まったく更新も修正もできない状態になりました。サーバー会社に問い合わせたところ、対処方法としては全部一旦削除して、作り直すというもの。どこかの誰かが何らかの良からぬ企みでばらまいたものに、たまたま引っかかってしまっただけなのかもしれませんが、こちらとしては大迷惑です。およそ10年分の朝メールのバックアップも飛んでしまいました(泣)
どういう形であっても他者の領域に勝手に入り込むことは悪です。侵入する方はそれほど悪いと思っていなかったり、ほんの少しだけのつもりだったりするかもしれません。しかし、相手が受ける傷や被害は、その本人でないと分からないものです。私たちの心に語りかけるイエス様でさえ、心のドアの外で叩いて、私たちのほうからドアを開けるのを待っていてくださるのです。私たちはなおさら、理由はどうあれ他者の領域、心に勝手に踏み込むことは良くありませんね。ただ素晴らしい喜びと親密さは、こちらからイエス様を心に迎え入れる時に与えられるということも忘れてはいけません。

“見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。”
今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝