2020-09-27 主イエスとともに
2020年 9月 27日 礼拝 聖書:マタイ28:16-20 さきほど歌った「イエスはわたしの友」という讃美歌の歌詞は「いつくしみ深き」という古い讃美歌の原曲の歌詞を訳しなおして、新しいメロディをつけたものになっています...
2020年 9月 27日 礼拝 聖書:マタイ28:16-20 さきほど歌った「イエスはわたしの友」という讃美歌の歌詞は「いつくしみ深き」という古い讃美歌の原曲の歌詞を訳しなおして、新しいメロディをつけたものになっています...
2020年 9月 20日 礼拝 聖書:マタイ28:1-15 2016年の暮れ頃から読み始めたマタイの福音書も、いよいよ残すところ、今日を含め2回となりました。今日の箇所は、普段なら春のイースターの頃に取り上げられる箇所...
2020年 9月 13日 礼拝 聖書:マタイ27:57-66 皆さんの多くは葬儀や埋葬の場面に立ち会ったことがあるかと思います。牧師になってからは司式者として遺族に寄り添うことが多いので、遺族への気遣いや式そのものへの...
2020年 8月 23日 礼拝 聖書:マタイ27:51-56 「気付いた時にはもう遅い」ということがあります。しかし他方で、「気付くのに遅すぎることはない」とも言います。 起こってしまったことはもう元に戻せませんが、元...
2020年 8月 16日 礼拝 聖書:マタイ27:39-50 「死に際」という言葉があります。朝から重い言葉ですが、人は、誰かが亡くなった時に、その死に際がどうであったかにとても惹かれます。岩手には、義経伝説があります...
2020年 8月 9日 礼拝 聖書:マタイ27:27-38 イエス様の最後の一週間の出来事をたどり始めたのが昨年の11月半ばです。一週間の出来事をかれこれ9ヶ月かけてたどっています。最後の晩餐の日から翌朝の裁判のわずか...
2020年 7月 26日 礼拝 聖書:マタイ27:15-26 今日は礼拝の中で使徒信条をお読みしまたが、その中に「ポンテオ・ピラトのもとで十字架につけられ」という一文があったことを覚えておられるでしょう。 その出来事が...
2020年 7月 19日 礼拝 聖書:マタイ27:1-14 私たちにとって、どんな時でも神がともにおられるという信仰は、心と人生の大きな支えです。しかしそういう私たちにも、足元が揺らぎ、信仰がぐらつくような事があります...
戦国時代末期から江戸時代に、キリスト教、当時のキリシタンへの弾圧が厳しくなり、隠れキリシタンと呼ばれる人たちが表面上は普通の人として暮らしながら、密かにキリスト教信仰を保って来ました。普通の人として暮らす、ということは江...
2020年 6月 28日 礼拝 聖書:マタイ26:57-68 皆さんは、身に覚えのないことで責められたり、とんだ誤解によってひどく非難されたような経験があるでしょうか。なければ幸いですが、あったならその辛さ、怒り、悔し...