ひとつの良い知らせ

みなさん、おはようございます。
クリスマス直前だというのに、気持ちの落ち込むようなことが続いていましたが、昨日は良い報告を聞くことができました。郵便局で勤めているTさんが、正社員登用試験に合格し、4月から正社員として働けることになったそうです。何度かチャレンジしていたことは知っていましたが、これまでの努力が報われて本当に嬉しかったです。
たとえ自分のことでないとしても、一つの良い知らせには一気に心のありようを変える力があります。救い主がお生まれになったという知らせは、羊飼いたちの心をどれほど大きく変えたことでしょうか。

“目の光は心を喜ばせ、
良い知らせは人を健やかにする。” 箴言 15:30

今日は****さん、****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

またしても

みなさん、おはようございます。
昨日、また訃報が届きました。同年代でもあり、どういうわけか私に対してもとても親しみを持っていてくださって、元気になったら協力したいとも言ってくださっていましたが、尽くす手もなく主のもとに召されてしまいました。非常に優秀な方で、人の痛みもよく分かる、謙虚で、素朴さを失わず、山形訛りがよく似合う、親しみやすい方でした。お話ししたいこともたくさんあったのに、働きが変わってからはなかなかお会いする機会が持てず、残念でなりません。
まもなくクリスマスです。年々、イエス様がおいでくださったのは、こういう寂しさや嘆きに満ちた世界に慰めと喜びをもたらすためだということがじわじわと心に染みます。

“「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。
──あなたがたの神は仰せられる──” イザヤ 40:1

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

みことばを味わう

みなさん、おはようございます。
後遺症があるとが聞いていましたが、(多分)ごく軽い後遺症があるようです。咳がなかなか抜けきらないとか、味覚がちょっとおかしいとか。決してぜんぜん味がわかならいとか、すべてが不味く感じるわけではありませんが、確かに感じ取れない味があり、へんな感じです。それでも栄養はあるはずなので食べます。美味しいものを美味しいと感じながら食べられるのが一番ですが。
「みことばを味わう」という言い方があります。時には味がわからないように聖書のことばの意味が分からなかったり、その深みまでたどり付けないことがあります。また栄養はあるに違いないけれど苦く感じたり、美味しく感じられないことがあります。それでも聖書のことばには私たちを養い、食べ続けることで滋養を与え、力に変わっていきますから、その時々の感じ方は様々であっても、味わい続けていきましょう。

“あなたのみことばは
私の上あごになんと甘いことでしょう。
蜜よりも私の口に甘いのです。” 詩篇 119:103

佐々木真輝

2022-12-18 仕える者となったお方

2022年 12月 18日 礼拝 聖書:マルコ1:9-15

 先週は私が新型コロナに感染してしまって、ご心配をおかけしました。辻先生の協力や役員の皆さんを中心に礼拝がしっかりと献げられたことに本当に感謝しています。お祈りに支えられて順調に回復できました。医学的には軽症という分類になるそうですが、まあまあ苦しみました。入院の必要な方がどれほど大変な症状かとほんの少しでも苦しみを身近に感じることができました。

さて話しは変わりますが、最近の流行の音楽には「イントロ」がないか、すごく短いものが増えているそうです。いきなり歌から始まるのです。前のものは確かに割と長いイントロがありました。レコードやCDでの販売ではなく、サブスクやティックトックなんかで宣伝するのが普通なので、悠長にイントロを流しているとすぐ聴いてもらえなくなるということのようです。続きを読む →

何でも聞いてくださる方

みなさん、おはようございます。
昨日から社会復帰しました。少し疲れやすさがあるのと、空咳が残ってはいますが、何とか一日を終えることができました。体の辛さもですが、心の辛さもかなり身にこたえます。秘密を守るということはそれほど難しくはないのですが、いらいらや何とも言いがたいもやもやのはけ口を見いだせずに心が疲労していしまうことがあります。
県外から教会に度々電話をしてこられる方がいるのですが、その方はよく「イエス様はどんなことでも聴いてくれますか?」と訪ねます。その都度私は忍耐強く「はい、何でも聴いてくださいます」と答えるのですが、それは私自身に向けられるべき言葉だなと思わされました。

“同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。” ローマ 8:26-27

昨日は****さんの誕生日でした。遅ればせながら祝福を祈ります。

佐々木真輝

悲しみと怒り

みなさん、おはようございます。
昨日の夜、市内の老人ホームに入居されていた****さんが召されたとの知らせを受け取り、ショックとともに小さな怒りを覚えました。誰かに対するものではなく、今のこの状況に対するぶつけようのない怒りの感情です。新型コロナの流行が拡大してから施設への面会はかなわなくなり、厳しい規制が多少緩んでも「家族限定」だったりします。神様の家族ではあっても越えられない一線があります。そんなふうに気に掛かりつつ祈ってはいても実際に声を聴くことも顔を見ることもできないまま、新型コロナによっていのちを奪われてしまったというやるせなさ。しかも、自分自身が新型コロナに感染しているためにこんな時に駆けつけることも、傍らで祈ることもできない情けなさ。
けれども、神の家族の絆が地上のどんなつながりにもまして霊的に強固なつながりであるように、私たちのいのちと復活の希望は地上の寿命や物理的な障害を越えた希望です。ただこのことにひたすら慰めと望みを持って受け止め、やるべきことを心を込めてやっていきたいと思っています。

“眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。” 1テサ 4:13

佐々木真輝

どこでもらったかは分かりませんが

みなさん、おはようございます。
先週水曜日に新型コロナ(covid)に感染し発症していることが確認されたため、昨日の礼拝は役員の皆さんを中心にご奉仕の皆さんにお任せすることになりました。皆さんに感謝です。かなり回復して来ていますが、まだ数日は自宅に留まらなければなりません。まったく感染経路が思い当たらないので、何をどうすれば良かったのか全然検討もつきません。こういう場合はあれこれ考えてもしかたがないので、身近な人にうつさないことと、回復に務めることに力を使うべきです(今のところ妻も含め教会の皆さんに拡がっている様子が聞こえて来ないのが感謝です)。
私たちの人生に度々訪れる不幸や悲しい出来事には「なぜ」という質問に答えがない場合があります。「なぜ」に捕らわれて嘆いたり、怒ったりすると主への疑いに至ることがあります。それより、主に信頼して、その不幸のゆえに他に悪いものをもたらさないよう気をつけたり、傷が癒えるよう主に頼ることが信仰においても感情においても健康的です。

“神よ 私が嘆くとき 私の声を聞いてください。
敵の脅かしから 私のいのちを守ってください。” 詩篇 64:1

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

2022-12-11 『教会に仕える教会』への感謝

説教者:辻和希牧師(蔵王キリスト教会)

聖書箇所 ローマ15:1-3

ローマ15:1–3「私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。キリストもご自分を喜ばせることはなさいませんでした。…」続きを読む →

積み重ねられた経験

みなさん、おはようございます。
サッカーW杯は今回もベスト8の壁を越えることができずに敗退してしまいました。でも1994年の「ドーハの悲劇」と今でも言われる、史上初の本戦出場を目前にした最後の試合でリードしていながら終了間際に同点に追いつかれ、出場を逃してしまった、あの頃から比べると確実に成長しているのは感じられました。メンバーはもちろん代わっていますが、積み重ねられた経験やさらに上を目指そうとする姿勢は受け継がれているのに感動しました。
教会の歩みも、最初から完成されたものでなく、みことばを土台に世代を繋ぎながら成長し、成熟していくものです。今私たちが不完全で迷ったり悩んだりすることも、失敗することも、次の世代の祝福のための糧となります。新型コロナのことでいろいろ悩んだり迷ったことも、青年たちがなかなか教会に来られない社会の仕組みにどう対応していけるのか迷っていることも、みことばを土台に知恵を求め、できることを一つずつ誠実になっていくなら間違いがあったとしても必ず意味のあるものになります。

“ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。” 1コリント 15:58

今日は中井美喜子さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

聖書は録画を見ているよう

みなさん、おはようございます。
先日のサッカーW杯対スペイン戦の録画を見ました。テレビの中継で見るのはスタジアムで応援しながら見るときの熱狂は少なくなります。ましてや録画したものを、すでに結果を知った上で見るとなるとワクワク度合いもずいぶん下がります。一方すでにゴールの場面や守備の重要な場面も耳に入っていたので、全体の流れが良く分かりました。
結果や大事な場面を分かった上でサッカーの試合をビデオで見るのは聖書を読むのに似ているなと思いました。イエス様によってもたらされた救いやそのためにイエス様が何をしてくれたか分かっていますし、そこに至るまでの大きな物語の重要なポイントも知っていると、聖書全体の流れとメッセージが把握しやすくなるのです。しかも、再生停止、巻き戻しが自由自在なように、何度も立ち止まったり、読み返したりできます。その時代に生きた人たちには分からなかったことがちゃんと分かるのもの有り難いことです。

“神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。神は御子を万物の相続者と定め、御子によって世界を造られました。” ヘブル 1:1-2

今日は菊池千代子さんの誕生日です。祝福を祈ります。
アドベント第二週の礼拝ですが、コイノニアの時間にはクリスマスカードへのメッセージ書きをします。

佐々木真輝