2022年 2月 27日 礼拝 聖書:ミカ6:3―8
現代は士師記の時代のようだなと思わされます。士師記の時代、モーセやヨシュアのような指導者を失った人々は「めいめいが自分の良いと思ったこと」を行って生きていました。その結果はさんざんなものです。
ウクライナでの戦争はひどいものですし、この機に乗じて自分たちの利益になるよう、ずるく立ち回る国々や組織、権力者があります。しかも、めいめいが自分にとって良いと考えることをしているわけです。
何が良いことなのか、良いこととは何なのか。この世界を良いものとして造られた、良いお方である神様の示す指針なしに、めいめいが良いと思うことをやりあっているだけなら、当然、利害がぶつかり、力の強い方が得をし、弱い者は追いやられてしまいます。続きを読む →