素材ごとに

みなさん、おはようございます。
先日、ジャガイモのいただきものがありました。美味しいとジャガイモだということでどんなふうにして食べようかと思っていましたが、昨日はフレンチフライにました。難しい料理ではないので美味しくできましたが、せっかく油をあっためたので、オニオンリングも作ることにしました。某ハンバーガー店の人気の味を再現するというレシピをネットで見つけたので真似をしたのですが、こちらはどうもうまくいきません。奥さん曰く、タマネギの輪切りが薄すぎたんじゃないか。なるほど、そうかもしれません。同じ揚げ物でも、素材によって違う扱い方をしないと美味しくいかないんですね。
私たちも、いってみればそれぞれに違う素材です。神様はそんな私たちを一様にではなく、それぞれにふさわしい仕方、丁度良い仕方で取り扱い、導いて、新しい人へと造りかえてくださいます。失敗はありません。

“しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。” エペソ 4:7

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木

交わりの時間

みなさん、おはようございます。
数日ぶりの朝メールです。いつも、一日の終わりに次の朝の分を書くようにしているのですが、夜になってもやることがあったり、疲れていたりすると、「ネタ」はあっても考えがまとまらないということもありますし、電池が切れるみたいに、まるで頭が働かないということもあります。
ところで、日曜日の夕方、市内の教会の牧師たちが集まって月に一度行われている「市内牧師会」が行われました。特別なことはせず(最近はコロナ禍のためにお茶菓子も出ません)、会場教会の牧師が賛美をリードし、みことばを開いて短くお勧めをし、その後、お互いの様子や祈りの課題を分かち合い、みんなで順番に祈って、主の祈りを一緒に祈って終わりです。だいたいはその後、結構長い時間居残っておしゃべりをします。良いこともあれば悲しい事もあり、上手くいったことも失敗したことも話しますし、悩みごとを打ち明けることもあれば、良いアイディアがもらえる時もあります。お互いに言い訳することもなく、意見が違っても新しい視点をもらえたと思え、また一ヶ月、それぞれの場所でがんばりましょう!という気持ちにさせてくれます。こういうのが主にある交わりだなと思わされる時間です。

“彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。” 使徒 2:42

佐々木真輝

梅雨入り

みなさん、おはようございます。
少し遅めですが、いよいよ梅雨入りしましたね。梅雨入りを忘れたんじゃないかというような夏の暑さもあったのですが、ちゃんと季節は巡ってきましたね。梅雨時は寒い日もあるので、ストーブも出したままにしていますし、気分的にも下がり気味になるという人もいるかもしれませんが、この雨があるからこそ緑も育ち、作物も豊かに実ることができるというものです。恵みの雨です。
人生にも雨の日、じとじとした不快な日々もありますが、それもまた大切な季節に違いないと受け止め方を変えてみたいと思います。神様は晴れの日も雨の日も変わることなく愛と恵みに富んでおられる方です。

“王は 牧草地に降る雨のように
地を潤す夕立のように下って来ます。” 詩篇 72:6

佐々木真輝

2021-06-20 私たちの王なる方

2021年 6月 20日 礼拝 聖書:詩篇72:1-20

 聖書にはたくさんの王様が登場しますが、私たちは王という存在を具体的に知りません。私たちにとって王様は、物語や童話の中での存在で、理想的な良い王様か、逆に愚かな存在として描かれます。そのためもあってか、私たちが詩篇の中で王について歌われた詩を味わうときに、これをどう読んだら良いのか、とまどいも感じます。王のために祈られたこれらの詩を、自分の国のリーダーたちや、あるいは似ているかも知れない存在として天皇に当てはめ、同じような気持ちで祈るのは、なかなか難しく感じます。続きを読む →

趣味仲間

みなさん、おはようございます。
SNS上の趣味のサークルのようなものがあり、同じメーカーのカメラを愛用いる方々の写真と参加者との多少の交流を楽しんでいます。他の人の優れた写真を見ては「これはどうやって撮っているんだろう」「同じカメラなのに」と思ったりもしますが、使っているレンズを見ると、プロレンズと呼ばれる高価なレンズを使っている方々が結構おられるのに気づきます。中古のものばかり探している私いはまるで手が届きません。良いレンズは確かにとても綺麗に写るのですが、もちろんレンズの良さだけでなく撮影の技術やセンスも間違いなく素晴らしい方々が多く、驚かされます。
人との比較で自分の価値を過大評価したり自己卑下したりするのは愚かですが、人との比較の中で自分の実力や長所、成長すべき点などを見つけられるのも事実で、それらに目をつぶるのも愚かです。自分が今どこにいて、どこまで到達しているのか。信仰においても大切な問いです。

“ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。” ピリピ 3:16

佐々木真輝

虹を見上げて

みなさん、おはようございます。
昨日も雷で、しかも雹まで降ったとか(気づきませんでしたが)。かなりの大雨になったところもありましたが、皆さんのところはどうだったでしょう。稲妻の写真はまたしても撮れませんでしたが、夕方、二重にかかった虹を見上げてちょっと幸せな気持ちになりました。
虹を見るとなんだか希望がわいてきます。具体的に明日何かいいことがあるという縁起の良い予兆とは違いますが、ノアの洪水の後に現れた時以来、私たちの生きる世界には厳しさもあるけれど、神様のあわれみと恵み、救いの希望の中に置かれていることを思い出させるしるしと言うことはできます。

“わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。…虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い起こそう。” 創世記 9:14,16

今日は***さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

沼にはまらぬように

みなさん、おはようございます。
昨日は午後から時折カミナリが鳴り出し、夜まで雷雨でした。苦手な人にとってはつらい日でしたね。私は、いつか夜空に輝く稲妻を写真に収めたいと思ってはいるのですが、いつも落雷にあったら嫌だなあと、部屋の中からだと方角が合わないとか、なかなかうまく行きません。そんなにがんばらなくても美しい落雷の写真は世の中にあふれているのですが、やはり「自分でやってみたい」という気持ちは簡単には消えませんし、どうやればあんなふうにきれいに撮影できるのだろうかと考えたり調べたりするのも楽しいです。
好奇心は私にとっては新しいことを発見したり、経験したりするための原動力ですが、また同時に誘惑でもあることを自覚しています。よく趣味の世界では「沼」という言葉を使います。好奇心や探究心が行き過ぎて底なし沼に引きずり込まれないように気をつけないといけないですね(片足つっこんでるなと思うことはありますので)。

“わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。” 伝道者12:12

佐々木真輝

2021-06-13 主の教えが私を生かす

2021年 6月 13日 礼拝 聖書:詩篇19:1-14

 私たちにとって聖書とはどのような書物なのでしょうか。

毎日、少しずつ聖書を読んでいる方もおられるでしょうし、こうして毎週の礼拝で割と長い時間、聖書からの話しを聞き続けるわけですが、それによって皆さんの心に何がもたらされているでしょうか。その質問の答えは、説教者としては聞くのが怖い面もありますが、大事なポイントです。

みことばは、果たして私たちを生かし、自由にするものなのか、それとも自分らしさを殺し、縛るものなのでしょうか。続きを読む →

期待通りでなくても

みなさん、おはようございます。
毎年今の時期は庭に生えているワイルドベリーが実を付けます。ジャムを作ったり、たまにパイにするのが楽しみです。今年は家内が綺麗に雑草を片付けてくれたので収穫しやすそうだなたと楽しみにしていましたが、どうも収穫量が例年の半分くらいな感じです(正確には分かりませんが、感覚的にはだいぶ少ないなという感じです)。でも、2ビンくらいのジャムは作れそうなので十分ですから感謝していただきます。
神様からの祝福が、期待した通りでないことってあります。願って祈った祈りが期待通りにはかなえられないこともあります。それでも、もらえて当然のものではないのですし、私には十分な恵みであると受け止め、感謝したいと思います。

“しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。” コリント第二 12:9

佐々木真輝

寄り添うための信仰

みなさん、おはようございます。
最近宣教師として日本からヨーロッパに渡ったご夫妻がおられますが、奥様の方が体の変化を感じて検査をした結果、大きな病の可能性があり、詳細な検査をしなければならないので祈って欲しいとの知らせが届きました。本格的な働きはこれからという矢先の事ですし、ご夫妻ともども大きな衝撃を受けています。よく知っている方ですので心を痛めながら祈っています。
神様のなさることには分からないこともありますが、神様がお許しになることについてはもっと分からない時があります。どこへ導かれるのか半ば恐るおそるではありますが、なんとかやり過ごしたり、立ち向かいます。そういうときに「それでも神様は信じるで、良い方だ」という信仰を押しつけられるのはなかなかしんどいけれど、そのような確信に立って寄り添い、そっと祈りつづけてくれる人がいることは大きな励まし、力になることは経験しています。

“友はどんなときにも愛するもの。
兄弟は苦難を分け合うために生まれる。” 箴言 17:17

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝