2021年 7月 4日 礼拝 聖書:ヘブル11:7
ふだん威勢の良いことを言ったり、偉そうな態度をしていても、いざ本気度が試される場面になると急に威勢の良さが失われ、他人の影にこそこそ隠れるような人がいます。
信仰者も、普段は立派な、信仰深そうな、聖書の知識が豊かにあるふうで話しをするのに、いざという時だめになる人がいます。それはかつての自分の事なのですが、信仰について、教会について聞かれてもどうどうと話せなかったり、もごもごと誤魔化したりするようなところがありました。続きを読む →
2021年 7月 4日 礼拝 聖書:ヘブル11:7
ふだん威勢の良いことを言ったり、偉そうな態度をしていても、いざ本気度が試される場面になると急に威勢の良さが失われ、他人の影にこそこそ隠れるような人がいます。
信仰者も、普段は立派な、信仰深そうな、聖書の知識が豊かにあるふうで話しをするのに、いざという時だめになる人がいます。それはかつての自分の事なのですが、信仰について、教会について聞かれてもどうどうと話せなかったり、もごもごと誤魔化したりするようなところがありました。続きを読む →
みなさん、おはようございます。
昨日「聖書を買いたい」という方からお電話をいただきました。どこで買えるか、金額はどれくらいかと話した後で、教会にはプレゼントできる新約聖書もあるというお話をしたら「ぜひ」ということで、しばらくしてから教会にいらっしゃいました。わりと近くに住んでおられる方で、教会案内と、ここのところあまり出番のない名刺も一緒にさしあげました。
こんなふうにわざわざ電話して来られるのですから、何らかの関心、興味があってのことでしょうから、ぜひ福音に触れ、イエス様に出会って欲しいです。そして、私たちの周りには、まだ出会っていない、求める心のある人たちがいるに違いありません。
“それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。” 使徒 17:27
今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。
佐々木真輝
みなさん、おはようございます。
数年前に北海道に旅行に行った際、楽しみにしていたのは札幌の時計台です。「行ってがっかりする観光スポット」によくランクインされるそうですが、私たちにとってはそんなことはなく、いろいろと感動するポイントがありました。ところで、札幌の時計台とともに、「日本最古の時計台」を名乗ってきた時計台が兵庫県にありました。札幌時計台と同じ明治14年に動き出したのですが、実は正確な日付が分からずにいたそうです。気になった町内のそば屋さんのご主人が調べて、ついに古い小学校に残されていた古い日誌から日付が分かりました。なんと、札幌時計台から27日後の事だったのだそうです。そば屋のご主人は、これを公表したら「日本最古」と誇りに思っていた町の人たちがどう反応するか少し心配だったそうです。しかし正直にお伝えしたところ、皆さん「確かなことが分かって良かった」「よく調べてくれた」「うそを言わなくて良かった」と受け止めてくださったのだそうです。140年前の27日差ですから、もう札幌と一緒に「日本最古」でもいいじゃないかと私なんかは思うのですが、「日本で二番目」と名乗ることにしたそうです。
プライドや恐れのために正直さを犠牲にすると心が縛られますが、プライドを捨て、相手を信頼して正直であるなら心は自由でいられますね。
“直ぐな人を悪い道に迷わす者は、
自分の掘った穴に陥る。
しかし、誠実な人たちは幸せを受け継ぐ。” 箴言 28:10
佐々木真輝
みなさん、おはようございます。
この間、タマネギで「オニオンリング」を作ってうまくいかなかった話しを書きましたが、前回の経験をふまえて再挑戦しました。
結果は…この間よりはましになりました笑。だいぶ良くはなったのですが、まだ理想には及びません。味付けはまあまあですし、タマネギの甘さも引き出されていますが、衣にもう一工夫が必要なようです。
急きょ舞台に立つことになった若手俳優がベテランの役者に「どうしたら上手い役者になれるか」と聞いたら、「恥をかいて、恥をかいて、そうやって少しずつ上手くなっていくしかないんだ」と言ったそうです。油物が続くのは体にも良くないので、オニオンリングはしばらくお休みするかも知れませんが、何事も成長には時間がかかりますし、その殆どが失敗です。失敗することは決してダメなことではなく、成長に欠かせない経験です。
“私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。” ピリピ 3:12
佐々木真輝
2021年 6月 27日 礼拝 聖書:詩篇89:1-14
皆さんは、大切な約束をやぶってしまったり、また逆に約束を破られてしまったことはあるでしょうか。もちろん、私たちは不完全で、思いも掛けない事態に直面することもしばしばですから、大なり小なりそういうことはあります。子どもとの約束を忘れてしまったり、奥さんとの約束をすっぽかしてしまったりすることがあります。仕事上の大事な約束を忘れて大きな問題になることもあるかも知れません。
私もある時、詳しいことは話しませんが、ある約束をしてもらったことがあります。中身としては大したものではありませんが、約束が守られるなら誠実さが証明されるような、意味としては大きい約束でした。しかし、その約束が果たされることはありませんでした。その時、私が感じたことは「ああ、あれはその場しのぎの口約束だったんだ。その程度なんだ」というものでした。それ以来、その人に何かを期待するということはしなくなりました。「あの約束はどうなったのか」と完全に白けてしまったのです。続きを読む →
みなさん、おはようございます。
ここしばらくの悩みの種となっていたことを、とうとう奥さんに打ち明けました(何か悪さをしたわけではありません。誤解されると良くないので、念のため笑)。自分でも考えの整理がなかなかできず、気持ちに折り合いを付けられず、ずるずると引きずっていた重荷でしたので、「話せていない」という重荷からは自由になりました。
早く相談したり、打ち明けた方がいいことってありますが、そういうことに限ってなかなか言い出せないことも多いですね。でも、話したからといって楽になったり解決したりしないことであっても、恐れを超えてちゃんと言葉にすべきだし、祈るべきなんです。そこには問題解決より大事な、愛の関係があるからです。
“愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。…” ヨハネ第一 4:18
佐々木真輝
みなさん、おはようございます。
先日、ジャガイモのいただきものがありました。美味しいとジャガイモだということでどんなふうにして食べようかと思っていましたが、昨日はフレンチフライにました。難しい料理ではないので美味しくできましたが、せっかく油をあっためたので、オニオンリングも作ることにしました。某ハンバーガー店の人気の味を再現するというレシピをネットで見つけたので真似をしたのですが、こちらはどうもうまくいきません。奥さん曰く、タマネギの輪切りが薄すぎたんじゃないか。なるほど、そうかもしれません。同じ揚げ物でも、素材によって違う扱い方をしないと美味しくいかないんですね。
私たちも、いってみればそれぞれに違う素材です。神様はそんな私たちを一様にではなく、それぞれにふさわしい仕方、丁度良い仕方で取り扱い、導いて、新しい人へと造りかえてくださいます。失敗はありません。
“しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。” エペソ 4:7
今日は婦人会と祈祷会があります。
佐々木
みなさん、おはようございます。
数日ぶりの朝メールです。いつも、一日の終わりに次の朝の分を書くようにしているのですが、夜になってもやることがあったり、疲れていたりすると、「ネタ」はあっても考えがまとまらないということもありますし、電池が切れるみたいに、まるで頭が働かないということもあります。
ところで、日曜日の夕方、市内の教会の牧師たちが集まって月に一度行われている「市内牧師会」が行われました。特別なことはせず(最近はコロナ禍のためにお茶菓子も出ません)、会場教会の牧師が賛美をリードし、みことばを開いて短くお勧めをし、その後、お互いの様子や祈りの課題を分かち合い、みんなで順番に祈って、主の祈りを一緒に祈って終わりです。だいたいはその後、結構長い時間居残っておしゃべりをします。良いこともあれば悲しい事もあり、上手くいったことも失敗したことも話しますし、悩みごとを打ち明けることもあれば、良いアイディアがもらえる時もあります。お互いに言い訳することもなく、意見が違っても新しい視点をもらえたと思え、また一ヶ月、それぞれの場所でがんばりましょう!という気持ちにさせてくれます。こういうのが主にある交わりだなと思わされる時間です。
“彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。” 使徒 2:42
佐々木真輝
みなさん、おはようございます。
少し遅めですが、いよいよ梅雨入りしましたね。梅雨入りを忘れたんじゃないかというような夏の暑さもあったのですが、ちゃんと季節は巡ってきましたね。梅雨時は寒い日もあるので、ストーブも出したままにしていますし、気分的にも下がり気味になるという人もいるかもしれませんが、この雨があるからこそ緑も育ち、作物も豊かに実ることができるというものです。恵みの雨です。
人生にも雨の日、じとじとした不快な日々もありますが、それもまた大切な季節に違いないと受け止め方を変えてみたいと思います。神様は晴れの日も雨の日も変わることなく愛と恵みに富んでおられる方です。
“王は 牧草地に降る雨のように
地を潤す夕立のように下って来ます。” 詩篇 72:6
佐々木真輝
2021年 6月 20日 礼拝 聖書:詩篇72:1-20
聖書にはたくさんの王様が登場しますが、私たちは王という存在を具体的に知りません。私たちにとって王様は、物語や童話の中での存在で、理想的な良い王様か、逆に愚かな存在として描かれます。そのためもあってか、私たちが詩篇の中で王について歌われた詩を味わうときに、これをどう読んだら良いのか、とまどいも感じます。王のために祈られたこれらの詩を、自分の国のリーダーたちや、あるいは似ているかも知れない存在として天皇に当てはめ、同じような気持ちで祈るのは、なかなか難しく感じます。続きを読む →