円熟

みなさん、おはようございます。
久しぶりの朝メールです。何となく動画サイトを見ていたら、マルタ・アルゲリッチというピアニストのコンサートの動画が出て来ました。でも私の知っている顔じゃない!それもそのはず、私の持っているCDに印刷された顔は20代のころのもの。彼女は今週の誕生日で80歳になるんだそうです(そりゃ変わりますね)。演奏されていた曲はオーケストラとの共演で、自分の子どもや孫のような年代の演奏家たちと美しく、楽しく演奏しているのに驚かされました(決して簡単な曲ではないです)。
だれもがその年齢になっても若い頃に身につけた技に磨きを掛け円熟した仕事をできるわけではありません。むしろ多くの人は、肉体の衰えゆえに難しくなりってしまうものです。自分はまだそこまでの年齢ではないですが、疲れ方や回復の遅さは身に染みるようになっているので、思いがけず励まされました。自分もそこまで元気でいられる保証はどこにもないですが、彼女もきっと日々のトレーニングや健康維持、人間としての深みを得る経験を重ねて来たから今があるのでしょうから、今を大事にしなきゃなと思った次第です。

佐々木真輝

そしゃく

みなさん、おはようございます。
昨日はオンラインでの学びの時間を与えられました。コロナ禍になって起こった良い変化の一つは、地方にいてなかなか参加できなかった学びの機会が軒並みオンライン化されることで、かなり参加しやすくなったことです。コロナが終わってもこういうことは続いて欲しいものです。かなり本格的で中身の濃い学びの時間でしたが、一つ一つ実際の働きや直面している課題にビンビン響いて来るので最後まで集中力が切れることはありませんでした。
とはいっても、そうやって取り込んだ知識や視点を本当に活かして行くためには、自分自身の中でゆっくり咀嚼(そしゃく)する必要もあります。若い時は新しいアイディアとか聞くと直ぐに飛びついて、いろいろと失敗もしましたので、ちょっとは慎重にもなったのだと思います(成長したのなら良いのですが)。それはともかく、学んで感動して終わりじゃなく、よく考えて活かして行きたいと思います。

“私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに与えてくださいます。” テモテ第二 2:7

佐々木真輝

安息が与えられますように

みなさん、おはようございます。
何日かぶりの朝メールになってしまいました。ここのところちょっと体調の悪い日があったり、いろいろ重なって夜になると電池切れという状態でした。今後もしばらくはこんなペースが続く見通しなので、ちょっと心配ではあります。前にも書きましたが、安息日の戒めにあるように神様にお任せして仕事を手放す時間をちゃんと確保するのは大事ですね。
今日は5月最後の日曜日。皆さんにとって「安息」がもたらされる日でありますように(といいつつ、午後は墓園の草刈があるのですけれど)。教会で、あるいはリモートやそれぞれの祈りのうちに、心を合わせて礼拝を捧げましょう。

“心せよ。主があなたがたに安息を与えたのだ。そのため、六日目には二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、それぞれ自分のところにとどまれ。” 出エジプト 16:29

佐々木真輝

2021-05-30 苦しみの中で何ができるのか

2021年 5月 30日 礼拝 聖書:ヨブ記1:1-22

苦しみを経験すると、私たちの心には「なぜ」という問いが生まれることが多いかと思います。

先日『神とパンデミック』という小さな本を読みました。昨年来の新型コロナの世界的流行という状況を踏まえて、近年最も注目される神学者が書いたものです。その本の中で心を捉えた文章がありました。新型コロナをめぐってはキリスト教会や世界で様々な質問が出たけれど、著者は「私が聞いた答えの最良のものは「なぜですか?」という問いへの答えではなく、「何ですか? 私たちにできることは何ですか?」という問いへの答えです」と記していました。

新型コロナによる世界的なパニックだけでなく、10年前の震災の時も、そして、私たちが個人的に経験する様々な苦難の時に、クリスチャンたちが開く聖書の一つがこのヨブ記だと思います。続きを読む →

陰と影

みなさん、おはようございます。
夕べはスーパームーンと皆既月食が重なる特別な月が見られるということで、夕飯の後で川岸の舟付場に行ってみました。はじめは雲がかかっていましたが、次第に雲もとれ、少しずつ月に影が差し、やがてほぼ影に覆われました。その間、夢中になってカメラを覗き込みながら何度もシャッターを切って、あっという間に1時間くらい経ってしまいました。
月の満ち欠けは太陽の光が届かない月自身の陰ですが、月食は地球の影が月の表面に差しているという違いがあります。月の満ち欠けが、神様と自分の関わりで生まれる表情の変化だとすれば、月食は神様も自分と他の誰かとの関わりで生まれる表情の変化です。無理やりな感じもする分かりにくい喩えですが、私たちは神様を中心とする人との関わりの中に生きていますし、そうした人との関わりがあるから見えてくるものがあるものです。

“ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。” テサロニケ第一 5:11

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

ちょっといっぷく

みなさん、おはようございます。
ちょっと疲れが溜まったのか、ただの食べ過ぎだったのか分かりませんが、ちょっと体調を崩していました(仕事ができないほどではありませんでしたので大したことはありません)。スピードダウンしたほうが良いかなと思いつつも、迫って来るものもあって思うに任せないという時はありますね。とにかく忙しくしている方々や様々な責任を担っている方々はいったいどうやっているんだろうと思います。たぶん、コツを聞いたところで同じようには出来ないんでしょうけど。
安息日の教えの中心には「いっさいの労働から離れる」ということがあります。安息日は確かに神を礼拝するという信仰の面がありますが「休め」というのは、私たち人間が万能の神ではなく、心身共に限界のある被造物であることをわきまえよという戒めなのだなあと実感しています。一区切りついたらいっぷく。大事です。

“それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。” 出エジプト20:11

佐々木真輝

タイミングよく

みなさん、おはようございます。
先週、注文していた宅配ボックス(留守にしていても宅急便などが受け取れるというやつ)が教会に届き、昨日、お休みだったNさんに取り付け工事をしていただきました。配達時に留守にしていたために受け取りに窓口まで行くというような手間はさほど苦ではないですが、配達員の方に何度も来てもらうのはほんとに申し訳ないと、いつも気になっていたのです。時間指定できる場合はできるだけ確実に受け取れるように気をつけていますが、いつもそう上手く行くとは限りません。今はまだコロナ禍が収まっていませんから、余計に大事です。
ネットショッピングだけでなく、差し出された神様の恵みや祝福も、タイミングをのがさず確実に受け取りたいですね。神様は私たちが受け取り損ねたからといって面倒くさがったりはしないと思いますが、折りにかなった助けや恵みというのは「その時」だからこそ意味がありますから、ちゃんと受け取りに行きましょう。

“ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。” ヘブル 4:16

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。また今日の礼拝はペンテコステ礼拝となっています。

佐々木真輝

2021-05-23 風のように

2021年 5月 23日 礼拝 聖書:ヨハネ3:1-8

キリスト教の暦では、本日はペンテコステと呼ばれる記念日です。ペンテコステはギリシャ語で50日目という意味ですが、もともとはユダヤ人のために旧約聖書で定められていた過越の祭から五十日目に行われる収穫を祝う祭の日を指しています。

この日に起こった出来事については礼拝の最初の聖書朗読で司会者の方に読んでいただいた、使徒の働きに記されています。イエス様が天に挙げられる時に、使命を託した弟子たちに「聖霊がくだるのを待ちなさい」と言われました。イエス様が教え、なさった働きを教会が引き継いでいくためには人間の力ではなく、聖霊の力が必要だと言われたのです。続きを読む →

これだから愛おしい

みなさん、おはようございます。
先日、とあることでパスワードを思い出さなければならない状況になったのですが、どうしても思い出せず大弱りでした。最近のスマートフォンはとても便利で、たいがいのことは顔認証で自動的にIDやらパスワードが入力されるのですが、その便利さゆえに一旦忘れてしまうと思い出せないということが起こります。そんなわけでパスワードを書き留めたメモを残しておかねばならないという、セキュリティ的にはどうなんだ、という状況になってしまいます。
世の中、どんどん技術が発達し、デジタルトランスフォーメーションとか聞き慣れない言葉もよく耳にするようになりました。そういうのは便利に使えば、いろいろな可能性があり、多くの人に利益をもたらすことができるかもしれませんが、人間自身の能力にはやはり限界があり、それがまた人間らしさを作っていたりもします。そういうところが面倒でもあり、面白くもあり、愛おしくもあるわけです。「神のかたち」に造られた人間は画一的な模造品ではなく、めいめいが特別です。

“人とは何ものなのでしょう。
あなたが心に留められるとは。
人の子とはいったい何ものなのでしょう。
あなたが顧みてくださるとは。” 詩篇 8:4

佐々木真輝

話すのに時がある

みなさん、おはようございます。
新型コロナのワクチン接種が始まり、少しずつ「受けた」という話しを聞くようになりました。それとともに、毎日、ネットやテレビには「こんなトラブルがありました」という話題が目に付きます。もちろん、そういうことが改善のためのヒントになることもあるから必要なことではあります。ただ、そういうの目にすると自分の中にも「ああればいいんじゃないか」「なんでそうなるって予測できないかなあ」と文句を言いたくなる気持ちが起こって来ます。言論の自由があるから、そういうことを周りの人に愚痴ったり、SNSに投稿する権利はあります。でも、その発言が良い結果を生み出すかは別問題です。
意見は正しい場所に向けないと何かを変えることにはつながりませんし、自分の中にある不満や怒りを出したいだけなら、社会に向けてしまうと怒りが増幅するので、身近なところで留めておいたほうが無難です。言葉はいやすことも刺すこともできるので上手に使えるようになりたいですね。

“裂くのに時があり、縫うのに時がある。
黙っているのに時があり、話すのに時がある。” 伝道者の書 3:7

今日は****さん、****さんの誕生日です。祝福を祈ります。
婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝