タイミング良く

みなさん、おはようございます。
昨日までのオンラインの総会と研修会も無事に終わりました。集中力がなかなか続かず、しゃべりたい人に気軽に声を掛けることもできないもどかしさはありますが、それでも各地の先生がたのお顔を久しぶりに拝見することができて良かったです。来年はリアルで会えるかなと思いつつ、オンラインだからこそ参加できる人もいるだろうなと思うと、こちらもハイブリッドになるのかな、なんて想像しました。研修会のほうは、お二人の専門家の方にそれぞれのテーマでの学びでしたが、とても興味深いもので、今まさに必要としていることだったのでとても有意義でした。
多くの方が、タイミング良く必要としていた言葉や知恵が与えられるという経験をしたことがあるのではないかと思います。それはたまたまのことではなく、約束に基づいた神様の恵みのひとつだなあと実感しています。

“…「わたしはあなたの神、主である。
わたしはあなたに益になることを教え、
あなたの歩むべき道にあなたを導く。” イザヤ 48:17

佐々木真輝

待ち遠しい

みなさん、おはようございます。
昨日は秋に行われるチャリティイベントの宣伝用の写真撮影を行いました。毎月、実行委員会などで画面越しには顔を合わせていますし、個別には実際に会う人もいるのですが、皆で(全員ではなかったけど)集まるというのは半年ぶりくらいだったでしょうか。市内での感染状況やそれぞれの都合もあって、実際に会っている時間は10分ほどでしたが、それでも嬉しいものです。
教会でも、毎週礼拝が捧げられ、実際に集まれている人もいますが、ずっとオンラインだけという方、またお送りしている週報と説教原稿で時間を合わせてご自宅で、という方もおられます。同じ空の下、同じ神様の前で時間を共有していると分かってはいても、一緒に集まれるのがやはり待ち遠しいです。

“近いうちにあなたに会いたいと思います。そうしたら、直接話し合いましょう。平安があなたにありますように。友人たちが、あなたによろしくと言っています。そちらの友人たち一人ひとりによろしく伝えてください。” ヨハネ第三 14-15

今日は*****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。
夕方から市内牧師会があります。

佐々木真輝

2021-05-16 この時のために

2021年 5月 16日 礼拝 聖書:エステル4:13-17

 旧約聖書の中には、イスラエルの民が祖国を失い、外国で過ごした時代のものがいくつかあります。そのような物語や、その中で語られた言葉は、私たち日本のクリスチャンのように、圧倒的に少数派の人々がもっと注意して読むべきものだと思います。

現代よりももっと厳しく、時に残酷な時代に、どうやって信仰を守り通し、未来に希望を持ち続け、正しい道、良いことを選択することができたのか、教えられることがたくさんあるはずです。続きを読む →

安全点検

みなさん、おはようございます。
しばらく前に「法律に基づいたガス給湯器の安全点検を実施します」という通知があって、まあ念のためにと思って申し込んでいたのですが、すっかり忘れていました。昨日になって「近くまで来ているのでどうしますか?」と言うので、「ん?」と思い話しを聞くと、法改正があってある年以降に製造された器具が対象になっていて、有料の点検になるということでした(通知のハガキにも書いてありました)。メーカーの作業員の方が来て点検するものだそうで、実は「有料」と聞いて「じゃあ、いいです」と断る人も結構多いのだとか。10年目以降は毎年通知が来るそうですが、ほとんどの人は断るんだそうです。
器具自体は非常にきれいで、何の問題もないということで安心して使えるそうです。今回は、ゲストハウスの給湯器なので、普段人もいないし、事故があっては困ると思い、点検をお願いしたのですが、やらなくてもいい点検の通知(しかも古いものではなく新しいもの)ってなんだか意味がないような気もして複雑でした。聖書が「気をつけなさい」「かえりみてみなさい」「考えてみなさい」という点検を教える時は、やらなくてもいいものではなく、必ずすべきことです(ただし無料です笑)。

“ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。” コリント第一 10:12

佐々木真輝

やれるだけのことはやったか

みなさん、おはようございます。
先日、震災後に出来たある支援団体から働きを一旦終えるという内容の丁寧なお手紙が届きました。被災地での直接の支援活動というより、支援にあたっている方々をサポートする働きを中心に広範囲に用いられました。岩手のネットワークも昨年のコロナ禍が始まってからほとんど何も出来ない状況になってしまっていますし、この団体に代わり得る全国規模のネットワークも築かれつつありますので、このタイミングで働きを終えるというのは良い判断なのかも知れません。寂しいですけど。
神様の働きは永遠に続きますが、その中での私たちの働きは、神様が与えてくださったある期間だけなされるものです。人間としても肉体的・精神的に働ける年数に限りもあります。自分の分を終える時に良い形で次の世代や次の働きに委ねたり、引き継いだりできるように、心を込めて、やれるだけのことはやったと言えるようでありたいと思います。

“私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。” テモテ第二 4:7

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

注意深さ

みなさん、おはようございます。
運動不足解消のために、できるだけ歩いていけるところには歩いていくようにしてますが、昨日は午後に郵便局まで歩いていました。すると後ろの方から救急車のサイレンが聞こえて来ます。道路に目をやるとちょうど青に変わったタイミングで、信号待ちをしていた車がサイレンに気づいて路肩に寄せたのが見えました。そのとき、びっくりすることが起こりました。後ろにいた車が、すぐ近くまで救急車が来ているというのに、路肩に寄せた車を追い越して走り出そうとしたのです。たまらず救急車から「通りますから譲ってください」と声がかかり、その車は慌てて交差点の真ん中でへんな具合に停止させ救急車をやり過ごしたのでした。ほんの数秒の出来事ですが、きっと後ろから近づいているサイレンの音に全然気づいていなかったんでしょうね。
いろいろとおっちょこちょいで「注意力が足りない!」とお叱りを頂くことの多い者なので、気をつけなきゃと思いました。もちろん、生活上のさまざまな事や仕事だけでなく、クリスチャンとしての生き方においてもです。

“ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。” エペソ 5:15-16

佐々木真輝

競技者

みなさん、おはようございます。
夕べ、夕拝を終えて家に帰るとテレビで陸上競技が放送されていました。オリンピックに向けたテスト大会というものだそうです。現状、個人的にはオリンピックの開催には賛成できないのですが、スポーツそのものはやはり見ていて面白いですし、一瞬の勝負にかける陸上競技は見ていて力が入ります(その辺は人それぞれといったところですが)。誰かを応援することで自分を鼓舞することになるのか、勝ち負けは別として力をもらえるなという感覚はあります。心情的にはなかなか悩ましいところです。せめて選手たちへの批判や非難はやめてあげてほしいです。
神様に与えられた体を自由に動かし、競い合うのは人間のもっとも基本的な喜びの一つです。その上、栄誉を得るために多くのことを犠牲にして訓練を重ねる姿は、人生で何かを得ようとするあらゆる事に通じるものでもあります。

“競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。” コリント第一9:25

佐々木真輝

2021-05-09 生活の建て直し

2021年 5月 9日 礼拝 聖書:ネヘミヤ8:1-12

 私の好きな小説に、壁で囲まれた不思議な町を舞台にした物語があります。それは実在する町ではなく、主人公の無意識の心の中を描いたものなのですが、実際のところ、私たちは誰でもそうした壁を持っています。誰も寄せ付けないような壁になってしまう事もありますが、たいていは自分と他人を区別し、自分の心の中にある大切なものを守るために周りを一線を引くようなものです。続きを読む →

笑顔に励まされて

みなさん、おはようございます。
先日、礼拝のあとでネームカードのための写真を撮らせていただいて、私にとってはとても嬉しく楽しい時間になりました。マスク生活になって一年以上経ちますが、この間、ほとんどの方のお顔をちゃんと見られていません。よく知った皆さんなのでマスク越しでも表情がなんとなく分かりますが、それでも、マスクを外した笑顔をカメラ越しに見ているだけでとても幸せな気分になりました。明日教会にいらしたら出来上がったネームカードを手に取って身につけ、お互いの笑顔を(小さい写真ですが)見ながら、また楽しい交わりの時を持ちましょう。
恐れや不安の種を探すような生活や心の状態は私たちの心をしばり、自由をうばい、目を塞ぎます。小さなことを最大限に喜び、ちょっとしたハプニングを心から笑い、神様の恵みやみわざに目が留まるように、マスクはしていても表情を消さないようにしましょう。

“あなたを慕い求める人たちがみな
あなたにあって楽しみ 喜びますように。
あなたの救いを愛する人たちが
「主は大いなる方」と いつも言いますように。” 詩篇 40:16

佐々木真輝

頭の痛い問題

みなさん、おはようございます。
昨日の夕方からわりと強い頭痛に見舞われました。左の肩から首にかけてかなり張っていますので、緊張性の頭痛というやつですね。「頭痛の種」なんて言い方もありますが、頭の痛い問題は、リアルに頭が痛くなります。教会の中のことではないのですが(教会の中にもいろいろと心配や悩みはもちろんあります)、大きめの問題が一つ二つとあるだけで簡単に体にまで影響が出るものです。これはけたたましい音で危険を知らせるサイレンみたいなものとして神様が備えてくださった警報器です。
そういえば詩篇の中には、悩みや恐れ、後悔、憤りといった感情が肉体に様々な影響を及ぼし、心の痛みが身体的な痛みとして感じられ、そのことを神様に訴えている詩がいくつも見られます。すごいなあと思うのは、詩人たちが自分の肉体の痛みと心の痛みの関係性をきちんと認識できていて、その上で神様に訴えていることです。いつでもそれが自覚できるわけではないですが、そんなふうに祈れること(そしてその祈りは聞かれていること)は本当に幸いなことです。

“私はひたすら黙っていた。
良いことにさえ沈黙した。
そのため私の痛みは激しくなった。” 詩篇 39:2

今日は井上めぐみさんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝