スマホの健康チェック

みなさん、おはようございます。
例のセルフウォークリレーに参加し、この一歩がチャリティの募金になると思うと、意識して歩くようになりました。家から教会まで歩いたりすればもっと歩数を稼げるのですが、いろいろと不便さもあり、そこまでは出来ません。それでもスマホの歩数計を用いるので、教会の中や周りを歩き回るのもちゃんとカウントしてくれます。しかし、単に足踏みしたり、貧乏揺すりをしたのはちゃんと見分けてカウントしません。良い点は、歩数だけでなく、歩いた距離や歩幅、左右のバランスまでチェックしてくれるのです。これがあるお陰で、歩き方も少し気にするようになりました。
こういう、あれこれこまかくチェックし、指摘してくれるのを「有り難い」と思うか、「わずらわしい」と感じるかは、何を目指しているか、何を求めているかによって変わります。親の小言をうるさいと感じる時代と、ありがたみを感じる時代があるのにも似ています。聖書の戒めや警告を感謝するか、うるさいと感じるかも、何を願っているかによってずいぶん変わりますね。

“みことばの戸が開くと 光が差し
浅はかな者に悟りを与えます。” 詩篇 119:130

佐々木真輝

ここはアメリカじゃないけど

みなさん、おはようございます。
ここはアメリカかと思う程、大統領選挙のニュースが流れていますが、個人的な別な視点で関心があります。現職大統領の支持基盤の一つと言われる米国福音派の動向です。ニュースでこの言葉が流れるたびにちょっと複雑な気持ちになります。なぜアメリカの福音派は現大統領を支持するのかと言われたりしますが、言う程、福音派が一致して支持しているというわけではありません。両極端にも見える主張をそれぞれ支持する「福音派」の人々ですが、よくよく聞けば、それぞれが「聖書的」であろうとしていることに気付かされます。それでも汚い言葉ややり方で互いに非難しあう姿はとても聖書的とは思えないのですが。
私たちは、聖書に忠実であろうと願いますが、自分の立場が明確で確信があるほど、異なる立場に対して寛容さや忍耐心を失いやすい面があります。正しさを求める余り、愛し合い赦し合ったり、寛容であるという最も聖書的・キリスト教的な態度を失うことは残念すぎます。でもこれは海の向こうの話しでは済まされませんね。

“あなたは正しすぎてはならない。
自分を知恵のありすぎる者としてはならない。
なぜ、あなたは自分を滅ぼそうとするのか。” 伝道者 7:16

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

また会いましょう

みなさん、おはようございます。
昨日はまる一日、さくらホールで行われたイベントに参加していました。皆さんの中でも何人かが足を運んでくださいましたね。ありがとうございました。春以来、ずっとオンラインだけでお話しをして来た友人たちとじかに会えたというのは嬉しかったですが、思いがけない再会がいくつかあり、これは嬉しい驚きでした(実は、ちらっと見かけたのですが離れていて、そのうち見失ってしまった中学時代の同級生もいました)。それにしても本当に大勢の方が会場に足を運んでいました。もちろん、マスク着用で、入り口には検温器と消毒があり、座席も一席ずつ空けたりと、今どきの予防対策は取られていました。それでも、こういう人が集まること、時間や空間を共有することに飢え渇いていたかのような熱気でした。
教会もそうですが、やはり人間は人と人のつながりの中で生きていますし、それを肌で感じられる距離感と十分な時間が必要です。ネットが発達したおかげで、今のような状況でもつながりが持てますし、またこれがあったから再びつながれた方がいるのも事実です。それでも、じかに会って気兼ねなく交わりが持てる状況を、ただ待つだけでなく、工夫して作っていかなければならないなあと改めて思わされたのでした。

“私は自分のうちで思い起こし
私のたましいを注ぎ出しています。
私が祭を祝う群衆とともに
喜びと感謝の声をあげて
あの群と一緒に
神の家へとゆっくり歩んで行ったことなどを。” 詩篇 42:4

今日は*****さん、****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

2020-11-01 試みの時に

2020年 11月 1日 礼拝 聖書:コリント第一10:11-13

 「今月のみことば」としてこの月に覚えて行きたい聖句は、コリント第一10:13です。好きな聖句ベストテンに入るんじゃないかと思うほど人気もありますが、信仰生活の中では本当に助けと励ましになるみことであることに間違いはありません。

聖書は時代遅れな宗教的戒律を押しつけるものではなく、学者でもなければ理解できないような難解な教えの集まりでもありません。確かに、書かれた時代、文化の違いのために分かりにくいところはありますが、書かれていることは、実際の生活に深く関わるものです。神様を信頼して生きて行く現実に即した、実践的な教えと励まし、慰めとして私たちに与えられています。続きを読む →

気づかぬところで

みなさん、おはようございます。
暖房機の設置の時にするはずだった、灯油の配管を支える部品を交換する作業が大雨のために出来ずにいたのですが、先日、留守にしている間にしていただいていました。昨日電話があるまで全然気付きませんでした。パイプを壁に固定しているプラスチック製が劣化したため、垂れ下がった状態になっていました。放置しておけば、曲がったり、つなぎ目から燃料が漏れたりする危険もあったのです。普段目をとめない場所なので、指摘されるまで気付きませんでしたが、言われるまで直してもらったことも気付きませんでした。
私たちが気付いていなかった、目を向けていないけれど、実はすごく重要なことって結構たくさんあります。身体の中や心の中はほとんどが見えていないので、痛いとか熱を持ったとか、何か異常があってはじめて気付くことがほとんどです。どれだけたくさんの恵みに支えられているか、おろどくばかりです。

“ あなたは言われます。
 「知識もなしに摂理をおおい隠す者はだれか」と。
 確かに私は、
 自分の理解できないことを告げてしまいました。
 自分では知り得ない、あまりにも不思議なことを。” ヨブ42:3

今日は***さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

苦しいとき

みなさん、おはようございます。
昨日、Mさんの手術が無事成功したとのお知らせがありました。先週の手術からのまさかの再手術で、私たちも驚きましたが、ご本人にとってはその事実を受け止めるのも大変だったはずです。しかしこうして手術を終え、今はまだ術後の痛みの中にはあっても、やがてきっと神様が乗り越えさせてくださることでしょう。
試練というのはたいてい厳しいものです。ぜんぜん筋肉がつかない筋トレ風の体操があるんだそうですが、ひょいっと乗り越えられるようなのは試練とは言えないんでしょうね、きっと。ただただ苦しくて、意味なんか考えられず、ひたすら終わりが来ることを待つような試練もたまにありますが、厳しさや難しさ、耐えがたさがあるからこそ、試練ですし、何かを身につけさせ、学ばせてくれます。たいてい、そう実感できるのは後からなんですが、最中にあるときは、そのように信じていたいです。

“試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。” ヤコブ 1:12

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

お正月の計画

みなさん、おはようございます。
クリスマスをどうするかもまだはっきり決められずにいるのに、年末年始の休みを成人の日まで延ばして、なるべく分散させて欲しいという政府からの要請があったとかないとか。それが感染拡大防止に本当に役立つかは別として、けっこうインパクトのあることではあります。学校はどうなるのかとか、給料が減る人がいるんじゃないかとか、こっちは休みじゃないのに遊びに来たいと言われて困ったりするんじゃないかとか、いろいろ悪いケースばかり思いつきます。でも所得の面でも心配がなく、可能であるなら、2週間くらいどんと休むというのは、身体的にも精神的には良いかもしれませんね。
こういうときは物事の悪い面、悪い予想は立て易く、冷静に考え良い面を評価し、やり過ぎたことを元に戻して行くというがとても難しくなります(だからいろいろな対策をいつやめるか決めるのが難しいです)。考えるのをやめないこと、できるだけ良い情報、正しい知識を得ること、大切にしなければならないことを見失わないこと、そして何より主を畏れ信頼すること。そのあたりのことがちゃんと出来ていれば、正解は分からなくてもあまりハズレ過ぎないで居られるんじゃないでしょうか。

“主を恐れることは知識の初め。
愚か者は知恵と訓戒を蔑む。” 箴言1:7

今日は***さんの誕生日です。祝福をお祈りします。また神学校のオンライン授業があります。ギリギリまで準備になりそうです。

佐々木真輝

2020-10-25 天路歴程

2020年 10月 25日 礼拝 聖書:創世記12:1-4

 私たちは人生を旅にたとえることがあります。特に、信仰の歩みは天の御国を目指す旅、というイメージがあります。

昔(今ももちろん手に入りますが)、『天路歴程』という本がよく読まれました。17世紀のイギリス人ジョン・バニヤンが書いた物語で、クリスチャンという名前の男が、「滅亡の都」という町から旅立ち、様々な困難を経て「天の都」にたどり着くまでの旅を描いています。

他にも、信仰の歩みを旅になぞらえた物語や譬えはいろいろありますが、そうしたイメージの出所は創世記12章から終わりまで続く、アブラハムとその家族の物語です。続きを読む →

来年の手帳

みなさん、おはようございます。
1月からの新しい手帳を購入しました(だいたいいつもこの時期に買ってます)。今年は、ほとんどの予定に取り消し線やら予定変更の書き込みがあり、後半には新しい予定はあまり入らず、手帳をしっかり使った感じがありません。それでも、ちょっとずつ来年の予定も入り始めているので、やっぱり新しい手帳が必要になりました。来年は、今年みたいじゃないといいのですが。
もちろん、予定は未定。思わぬこと、予想外の事が起こるのが人生。結婚式の祝辞じゃないですが、上り坂、下り坂、そして「まさか」があるものですね。計画は大事ですが、私たちの計画を越えて働かれる神様の取り計らいと深い知恵をいつも覚え、信頼していたいです。

“あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。” ヤコブ 4:15

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

2020-10-18 ざんねんないきもの

2020年 10月 18日 礼拝 聖書:創世記3:1-13

 少し前に「ざんねんないきもの事典」という子ども向けの本がヒットしました。様々な生物の面白い生態をユーモラスに描いたものです。

人間の目から見たら、面白く、時には滑稽に見える行動や生態も何かしら意味があるはずで、神様がそのような特徴を与えてくださったり、置かれた環境の中で身につけて来たものだったりします。あるいは以前は意味があったのに、新しい環境の中で意味をなさなくなり、面白く見えるということなのかもしれません。

けれどもそれが面白く見えるのはあくまで人間にとって、ということで当の動物たち自身はきわめて真面目に、そして種の生存という使命のために必死で行っているに違いないのです。

本当の意味でまことに残念な生物は、この地上でたったの一種類だけです。それは私たち人間です。続きを読む →