2020年 8月 23日 礼拝 聖書:マタイ27:51-56
「気付いた時にはもう遅い」ということがあります。しかし他方で、「気付くのに遅すぎることはない」とも言います。
起こってしまったことはもう元に戻せませんが、元に戻せないそんな所から、新しいことを始める道も必ずあるものです。
イエス様を十字架にかけてしまうということは、取り戻せないことです。神様のご計画のうちに起こったこととはいえ、当事者たちは、ねたみや怒りに駆られてイエス様を殺そうとし、総督ピラトは群衆の反応を恐れ、兵士たちはまるで余興でも楽しむかのような残酷さをもって処刑を実行しました。しかし、イエス様が息を引き取った後、ある人たちは我に返るように、イエス様が本当に神の子であったことに気付きます。果たしてそれは遅すぎることだったのでしょうか。それとも、遅すぎることはないのでしょうか。続きを読む →