2023-01-15 家族の家族、教会

2023年 31月 15日 礼拝 聖書:エペソ3:14-21

 近年の調査では、キリスト教国といわれる国々で、自分はクリスチャンであると思う人の割合が減っているそうですが、それ以上に減っているのが、実際に教会に定期的に集まっているという人の数だそうです。特に若い人たちの間で、クリスチャンではあっても教会に行かないという人が増えているのだそうです。

理由は様々考えられます。日本なら信仰心はあっても団体の属することを嫌がる傾向があります。ネット社会で知りたいと思ったことはすぐ調べられるし、有名な説教者のメッセージは教会に行かなくても聴けます。教会での奉仕や献金から解放され、好きな時に自分に必要なものだけを得られれば効率的だと考えるのはいかにも現代的です。しかし、そこには教会についての神様のご計画をまったく理解していない、教えられていない、という問題があります。続きを読む →

再び動き出す

みなさん、おはようございます。
先日、シオン錦秋湖に用事があって出かけてきました。土砂崩れのためにしばらく通行止めになっていた国道に仮設の橋が設置されて通行が再開しただけでなく、休業していた「道の駅」も営業再開したということで、橋を渡ることはもちろん、再開した「道の駅」で「ダムカレー」を食べるのが楽しみでした(もちろん美味しくいただきました)。
滞っていたものが再び流れ出すとか、閉ざされていた道が開かれる、止まっていたものが動き出す、というのは活力を感じますし、なんか嬉しいですね。教会の歩みや私たちの信仰も時々停滞しているように感じることがありますが、神様が再び語りかけたり、働きかけて物事が動き出します。喜んでその流れに乗りたいですね。

“再びヨナに次のような主のことばがあった。” ヨナ 3:1

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

2023-01-08 新しい創造

2023年 1月 8日 礼拝 聖書:ガラテヤ6:11-18

 新しい年になってはや一週間。お正月休もあけてそれぞれ通常モードに戻ったことでしょうか。

さて、礼拝メッセージも通常モードに戻り、久しぶりに聖書全体を通して学ぶシリーズに戻りたいと思います。

新年といえば、子どもの頃は学校の宿題で「今年の抱負を書いてきなさい」なんてものがありました。多分、私は「整理整頓」みたいなことを書いたと思います。それがすごく苦手だという自覚があったので、一応書いたのですが、残念ながらこの歳になってもまだ身についたとは言えません。

皆さんがクリスチャンになるとき、どんな願いをもって信じたか思い出していただきたいと思うのですが、そこには何かしら変化を期待したのではないかと思います。心に安らぎがあるようにとか、慰めを願うとか、確信を持って生きたいとか、赦されている実感が欲しいとか、様々な願いがあったのではないかと思います。しかしそれはどうやって得られるのでしょうか。何が人を新しくするのでしょうか。続きを読む →

おかゆ

みなさん、おはようございます。
昨日は7日ということで、日本の伝統では「七草粥」を食べる日ということになっています。なっている、とは言っても別にしなきゃいけないわけではないし、縁起を担ぐのはクリスチャンとしてどうなのか、ということもあります。とはいえ昨日、家内がお粥を作ってくれました。春の七草ではなく、中華粥でしたが。お腹に優しいものを食べたい時ってありますよね。
体に取り入れるものだけでなく、心に取り入れるみことばも、いつも堅いもの、食べ応えのあるものばかりではなく、時々やさしい慰めに満ちたものや、味わってゆっくり思い巡らせるべきものもありますね。その時々の霊的な状態にふさわしいものというのがあるように思います。最近の皆さんの霊的なお腹の状態はいかがでしょうか。

“朝にあなたの恵みを聞かせてください。
私はあなたに信頼していますから。
行くべき道を知らせてください。
私のたましいはあなたを仰いでいますから。” 詩篇 143:8

今日は第二週ですので愛餐礼拝(夕拝)があります。午後はクリスマスの片付けもしますのでご協力をお願いします。

佐々木真輝

落ち着いて

みなさん、おはようございます。
日曜日の元旦礼拝のあとで集合写真を撮ろうとしましたが、なぜかいつものように撮影できませんでした。手順は同じですが、撮影されたものを確認するとぜんぶピントが合っていません。しかたなくスマートフォンで撮影しましたが、実はこれも自分の額にピントが合ってしまって、皆さんの顔がぼやけてしまっていました。これまでにない失敗にちょっと落ち込みました。どうやら、カメラの設定が一箇所いつもと違っていたことに焦りのために気づかなかったためのようでした。
慌てたり焦ったりすると、普段できることが出来なかったり、気づけるはずのことに気づけなかったりします。聖書は「終わりの日」のような時代の大きな動きについてだけでなく、日常のことについても慌てたり焦ったりしないようにと戒めています。日頃から落ち着いて物事に取り組む姿勢が、信仰が問われるような課題に向き合う時にも役立つのだと思います。小さなことでミスの多い自分には大事な教えです。

“勤勉な人の計画は利益をもたらし、
すべて慌てる者は損失を招くだけだ。” 箴言 21:5

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。
今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

変わること

みなさん、おはようございます。
箱根駅伝で優勝したK大学。強さを取り戻した大きな理由として監督が指導方法を変えたという話しを聞きました。以前は、昔ながらのいかにも「昭和ちっく」な指導でしたが、最近の若い選手たちには合わなかったようです。実績があるほど、経験があるほど自分のやり方や考え方を変えるのは難しい場合が多いように思います。この監督は大会後に引退することを表明していたそうですから、最後だからこそ、何として勝利のために自分を変えようとしたのかもしれませんね。自分の考え方ややり方を強引に押し通すのではなく、自分の方を変えようとしたことに感心しました。
信仰の歩みは、キリストにあって変えられ続ける歩みですが、その原動力は私たちの成功体験や意志の力によるのではなく、神が私たちを召してくださったことにあります。私たちを変えようとしておられる神様の思いと御わざを受け入れましょう。

“キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。” ピリピ 3:14

佐々木真輝

新年

みなさん、明けましておめでとうございます!
昨年中は皆様の祈りと励ましを心からありがとうございました。思いがけず神学校校長という働きが加わりましたが、皆さんに送り出していただいたこともあり、手探りでしたが何とかやって来られました。今年は教会にとっては70周年の記念の年です。戦後に出来た教会ですから決して「歴史ある教会」とは言えませんが、それでも人の力で継続できるような年月ではありません。ただただ神様の恵みと真実を感謝するだけです。そして、最初の宣教師が主の召しに応えたように、私たちも「時が良くても悪くてもみことばを宣べ伝えなさい」というチャレンジに応えて互いに愛し合い、励まし合いながら歩み続けましょう。

“みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。” 2テモテ 4:2

今日は元旦礼拝です。普段の礼拝と同じ10:30からですのでお気を付けください。

佐々木真輝

2023-01-01 主は私の羊飼い

2023年 1月 1日 元旦礼拝 聖書:詩篇23篇

 新年を迎えましたので、いつものように詩篇を開きます。今年は2023年ですので、23篇を味わっていきましょう。おそらく数ある詩篇の中でも最も愛されている詩だと思います。

皆さんは「信仰によって歩む」という言い方を聞いたり、使ったりしたことがあると思います。それはいったい何を意味しているのでしょうか。

いろいろな意味合いが込められた言葉だとは思いますが、その中でも大切なことの一つは、ある信仰に立って物事を見ていくという、新しい世界観や人生観で生きるということです。

この世界が偶然出来たと信じることと、私たちを愛してくださる神によって造られたのだと信じることでは、この宇宙や人生を見る目が変わって来ます。それは生き方の違いに現れます。

今日、私たちが味わう詩篇23篇には、まず詩人ダビデの信仰の確信が表明されています。「主は私の羊飼い」だ。その信仰に立った時、その人の目には人生がどのようなものに映るでしょうか。続きを読む →

一年を振り返ってますか

みなさん、おはようございます。
昨日あたりに「仕事納め」だったという方もおられるかと思います(でも、うちの教会メンバーの職種を考えるとあまり関係ないという人のほうが多いかも知れません)。私もとくに関係はないのでいつも通りにしています。それでも年末ですので、いくらか一年を振り返る機会もあります。皆さんの一年はどんな一年だったでしょうか。
大きな変化があった方は神様の御わざのダイナミックさや不思議さ(時には理解の追いつかない畏怖の念)を感じていたかもしれません。変化の少ない日々だった方は神様の守りと支えの中を歩ませていただいたことを思い起こせるかも知れません。こういうものの見方は、ものごとを都合良く捕らえるための方便ではなく、生きておられる神様の真実と大きさへの信頼故の確かな人生観として持っていたいものです。

“わがたましいよ 主をほめたたえよ。
主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。” 詩篇 103:2

今日は婦人会と祈祷会はお休みです。

佐々木真輝

福音の種

みなさん、おはようございます。
先週土曜日の午後、東京の友人牧師から「1948年か1949年頃、先生方の群の宣教師が秋田県の神社の境内でやっていた日曜学校で初めて福音を聞いたという方が、明日洗礼を受けることになり、とても感謝しています。」というお知らせをいただきました。それはクレイグ先生という女性の宣教師のことです。手元に1枚だけ写真があったので、お送りすると、昨日、「間違いなくこの方でした!」と喜びの声をあげられたとのこと。神社の境内で日曜学校をやっていたという話しも興味深いですが、なにより蒔かれた福音の種が70年以上経って実を結び、最初の福音との出会いをちゃんと覚えておられたということ。
福音の働きは神様の働きなのだと改めて思わされました。結果が出るのは今日かもしれないし70年後かもしれません。福音の持っている力、神様の忍耐と誠実を信頼して、私たちはその時々の務めを精一杯果たしましょう。

“またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。” マルコ 4:16-27

佐々木真輝