レジリエンス

みなさん、おはようございます。
前の晩、寝相が悪かったのか背中から首にかけて痛みがあり、一日悩まされました。寝相が悪いのは昔からのことなのですが、最近、時々こういうことがあるのは年齢とともに体の柔軟性が失われたのか、復元力が弱くなったのか…。
最近「レジリエンス」という言葉が流行っています。困難な状況に対する心のしなやかさや回復力、復元力というような意味です。問題があることは避けられないし、そこで痛むことがあるのも避けられないとしたら、ダメージが最小限になるよう、しなやかに受け流す能力や精神的に回復する力を持つことは大事なのでしょう。体だけでなく、心もしなやかさを主の恵みによって保っていたいものです。

“彼の道を見たが、
それでもわたしは彼を癒す。
わたしは彼を導いて
彼とその嘆き悲しむ者たちに、
慰めを報いる。” イザヤ 57:18

今日は婦人会と祈祷会があります。午後は神学校の教師会です。

佐々木真輝

ひと雨ごとに

みなさん、おはようございます。
昨日は時折雨が強く降る日で、今週はこのあともぱっとしない日が続きそうですね。先日、ラジオで気象予報士の方が雨が降って最低気温が高めな日が続いた後は気温が下がる兆候、というようなことを行っていました。ひと雨ごとに秋が深まる(というか冬が近づく)ということですね。
雨は恵みをもたらし、私達が生きていくのに必要な水、実りを与えてくれるだけでなく、季節ごとの雨は美しい情景を見させ、さらに次のシーズンへの備えを促してくれます。

“神よ あなたは豊かな雨を注ぎ
疲れたあなたのゆずりの地を堅く立てられました。” 詩篇 68:9

2021-11-07 信仰が変える人生

2021年 11月 7日 礼拝 聖書:ヘブル11:23-29

 多くの人にとって、人生は順風満帆な日々が続くということはなく、予想外の波風に翻弄されることが多いかも知れません。

聖書の中にも、そうした波乱万丈な人生を送った人たちがたくさん出て来ますが、今日とりあげるモーセもその代表的な人物だったのは間違いないでしょう。

生まれは奴隷化された民族の出身でありながら王宮で成長しました。大人になってから民族意識が高まり、使命感に駆られますが、義憤からとはいえ人を殺してしまい逃亡者となってしまいます。外国に身を隠して生活し、羊飼いとなりました。もう老人になったころになって神の民を救い出すリーダーになれと神様から迫られます。頑固で言うことを聞かない群れを率いねばならず、数々の試練、困難、苦労の末にようやく約束の地を見渡せるところまでたどり着きます。しかし、約束の地を目の前にしながら、お前はもうこれ以上進めないと神様に釘を刺され、生涯を終えました。

ヘブル書の著者が、アブラハム、イサク、ヤコブといった族長たちに続いて、このモーセを取り上げたのはもっともなことです。続きを読む →

はじまりの場所

みなさん、おはようございます。
ときどき行きたくなる場所というのがあって、その一つが展勝地から川を挟んだ対岸にある河川敷です。ちょっとした駐車場があり、さくらまつりの頃には渡し船の船着き場になる桟橋があります。川の流れや対岸の展勝地を見渡せる景色もお気に入りですし、水鳥の羽ばたきも風情があります。そろそろ白鳥も見られる季節です。でも、そこがお気に入りな大きな理由は、その景色が私たちの教会のはじまりの場所だからです。その風景が見える場所から伝道の働きが始まりました。そこにいくといろいろなことについて大きな視点で考えたり、うまく整理できるような気がします(気がする、というところが肝ですね)。
私たちには時々立ち戻ったほうが良い場所というのがあるのではないでしょうか。信仰を決断した場所、人生を大きく変えるような選択をした場所、大切な人と出会った場所などなど。その頃のことを思い出すのもいいですが、そこに実際に足を運んで新たな視点で眺めて見たり、当時の気持ちを取り戻したり、ということが時々必要だと思います。

“彼はネゲブからベテルまで旅を続けて、ベテルとアイの間にある、最初に天幕を張った場所まで来た。” 創世記 13:3

今日は****さんの誕生日です。祝福をお祈りいたします。

佐々木真輝

拭いても取れない

みなさん、おはようございます。
とある施設で掃除の方が建物の柱に残ったノリ(たぶんポスターか張り紙を貼った跡)を取ろうと、雑巾で一生懸命ふきとっているのをみかけました。かなり一生懸命こすっていましたが、あの手のものは雑巾でこすり取ろうと思ってもなかなか取れないものです(私も経験があります)。そこに、居合わせた別の業者の方が近寄り、何か話しかけてから車に戻り、スプレー缶とヘラをもって再びやって来ました。たぶん剥離剤ですね。思ったとおり、さっとスプレーしてヘラでこするとするすると取れて行きます。お掃除の方がとても喜んでお礼しているのが見えました。
私たちの罪はイエス様を信じたことで赦されていますが、残りカスのように罪が私たちの心と生活にこびりついています。これはどんなにこそぎ落とそうとしても自分の力で落とせるものではありません。みことばの教え、聖霊の導きと助けをいただき、互いの交わり中で確実にきよめられるものなのです。

“もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。” 1ヨハネ 1:7

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

助っ人あらわる

みなさん、おはようございます。
昨日の午後は、今年最後の(?)墓園の草刈りをしてきました。来月、雪囲いのときに皆さんにお声がけしてますので、今日は一人でできるところまで、と思っていました。コロナ禍になって、人手も機会も減ってしまい、夏以来、草が伸びがちなのが気がかりでした。行ってみると、人力で草取りをした跡が見られ、気にかけてくださる方がおられたことに感謝でした。2時間くらいでできるところまでと思っていましたが、途中、聞きつけて応援に来てくださった方がおられました。おかげで予定以上に終えることができました。助っ人、ありがたいですね。
求めて与えられる助けはもちろんありがたいことです。人間とは面倒なもので、だまって見守って欲しいときもあるんですが、そういう時は別として、必要だけれど求められない事情があるときに、事情を感じ取って助けの手を差し伸べてくれるのはもっとありがたいです。そんなふうに誰かの助っ人になるっていうのはとても素敵なことです。それ自体が神様から与えられた賜物、祝福に違いありません。

“兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容でありなさい。” 1テサ 5:14

佐々木真輝

2021-10-31 捕囚の地で

2021年 10月 31日 礼拝 聖書:ダニエル6:1-10

 私たち日本のクリスチャンと捕囚時代のユダヤ人との間には共通点があります。信仰や基本的な価値観の異なる文化の中で、いかに周りの人達を尊重しながらも、神の民として自覚しながら歩めるか、という問題がありました。

今日ご一緒に学んでいくダニエル書は、エゼキエルより少し前に、最初にバビロン捕囚につれて行かれた頃から支配権がペルシャに移った後までが舞台となります。エゼキエルはケリテ川のほとりの捕囚地でしたが、ダニエルはバビロンの政権の中枢にいました。続きを読む →

語り直す

みなさん、おはようございます。
今回は(今回も)観ていなかったのですが、被災地気仙沼を舞台にした朝の連続ドラマが最終回を迎えたそうです。気仙沼在住の知り合いは今も訪問を続けていますが、その中でよくそのドラマの話題になるそうです。何しろ、実在の町や船が登場しますし、災害支援の難しさ、複雑さが丁寧に描かれていたそうなので、現実に被災された方々がドラマを通して自分の経験を振り返る機会になったようです。「あまちゃん」のときも少しそういう面がありました。そしてもちろん、「続編を」と望む声が多いそうです(それも分かるなあ)。
辛い過去の経験や、傷ついた経験は私たちの心の中で一つの辛い物語として定着してしまっています。それを新しい視点で、新しい物語として語り直す事ができるようになると、回復やいやしへとつながります。私たちの人生にイエス様というお方が入って来られると、罪が赦されるだけでなく、傷ついた心が癒やされていく新しい物語の語り直しにもなるのです。

“するとただちに、サウロの目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。そこで、彼は立ち上がってバプテスマを受け、” 使徒 9:18

今日は***さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

小さい希望のタネ

みなさん、おはようございます。
とある施設からわりと新しめの卓球台をお譲りいただける事になり、今日の午後受け取りに行く予定です。愛着はあるけれど、古くて傷だらけで重い台の代わりに欲しいなあとずっと思っていましたが、思いもかけないところからお話があり、感謝して受け取ることにしました。コロナ禍があけたら、また楽しく遊べたら良いですね。少し気持ちが前向きになります。
神様はときどきこんなふうに小さい希望のタネを蒔いてくれます。それがどんな実を結ぶことになるかまだわかりませんが、タネには希望があります。私たちにはそういう小さな希望のタネが必要なんだということをちゃんと分かっていてくださいます。

“私は早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。あなたがたのことを知って、励ましを受けるためです。” ピリピ 2:19

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

押しつぶしてはいけない

みなさん、おはようございます。
日本のプリンセスが結婚して一般人になる、ということで日本国内だけでなく世界から注目を浴びていたそうです。それにしても気がかりなのは、心を折るほどのバッシングです。何が真実かわかりませんが、たとえ非難に値することが実際にあったとしても、心を折ったり傷つけるほどにやり込めるというのはやり過ぎという程度の問題ではなく、そもそも目的が間違っているのではないかと思います。
聖書でも誰かが罪を犯した時には互いに戒め合うように教えられていますが、その目的は打ち負かしたり、這いつくばらせることではなく、徳を高めたり、平安と喜びのうちに歩めるためなはずです。赦し慰める心がない者に人を教えたり責める資格はありません。

“あなたがたは、むしろその人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。” 2コリント 2:7

今日は***さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝