気づかぬところで

みなさん、おはようございます。
暖房機の設置の時にするはずだった、灯油の配管を支える部品を交換する作業が大雨のために出来ずにいたのですが、先日、留守にしている間にしていただいていました。昨日電話があるまで全然気付きませんでした。パイプを壁に固定しているプラスチック製が劣化したため、垂れ下がった状態になっていました。放置しておけば、曲がったり、つなぎ目から燃料が漏れたりする危険もあったのです。普段目をとめない場所なので、指摘されるまで気付きませんでしたが、言われるまで直してもらったことも気付きませんでした。
私たちが気付いていなかった、目を向けていないけれど、実はすごく重要なことって結構たくさんあります。身体の中や心の中はほとんどが見えていないので、痛いとか熱を持ったとか、何か異常があってはじめて気付くことがほとんどです。どれだけたくさんの恵みに支えられているか、おろどくばかりです。

“ あなたは言われます。
 「知識もなしに摂理をおおい隠す者はだれか」と。
 確かに私は、
 自分の理解できないことを告げてしまいました。
 自分では知り得ない、あまりにも不思議なことを。” ヨブ42:3

今日は***さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

苦しいとき

みなさん、おはようございます。
昨日、Mさんの手術が無事成功したとのお知らせがありました。先週の手術からのまさかの再手術で、私たちも驚きましたが、ご本人にとってはその事実を受け止めるのも大変だったはずです。しかしこうして手術を終え、今はまだ術後の痛みの中にはあっても、やがてきっと神様が乗り越えさせてくださることでしょう。
試練というのはたいてい厳しいものです。ぜんぜん筋肉がつかない筋トレ風の体操があるんだそうですが、ひょいっと乗り越えられるようなのは試練とは言えないんでしょうね、きっと。ただただ苦しくて、意味なんか考えられず、ひたすら終わりが来ることを待つような試練もたまにありますが、厳しさや難しさ、耐えがたさがあるからこそ、試練ですし、何かを身につけさせ、学ばせてくれます。たいてい、そう実感できるのは後からなんですが、最中にあるときは、そのように信じていたいです。

“試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。” ヤコブ 1:12

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

お正月の計画

みなさん、おはようございます。
クリスマスをどうするかもまだはっきり決められずにいるのに、年末年始の休みを成人の日まで延ばして、なるべく分散させて欲しいという政府からの要請があったとかないとか。それが感染拡大防止に本当に役立つかは別として、けっこうインパクトのあることではあります。学校はどうなるのかとか、給料が減る人がいるんじゃないかとか、こっちは休みじゃないのに遊びに来たいと言われて困ったりするんじゃないかとか、いろいろ悪いケースばかり思いつきます。でも所得の面でも心配がなく、可能であるなら、2週間くらいどんと休むというのは、身体的にも精神的には良いかもしれませんね。
こういうときは物事の悪い面、悪い予想は立て易く、冷静に考え良い面を評価し、やり過ぎたことを元に戻して行くというがとても難しくなります(だからいろいろな対策をいつやめるか決めるのが難しいです)。考えるのをやめないこと、できるだけ良い情報、正しい知識を得ること、大切にしなければならないことを見失わないこと、そして何より主を畏れ信頼すること。そのあたりのことがちゃんと出来ていれば、正解は分からなくてもあまりハズレ過ぎないで居られるんじゃないでしょうか。

“主を恐れることは知識の初め。
愚か者は知恵と訓戒を蔑む。” 箴言1:7

今日は***さんの誕生日です。祝福をお祈りします。また神学校のオンライン授業があります。ギリギリまで準備になりそうです。

佐々木真輝

2020-10-25 天路歴程

2020年 10月 25日 礼拝 聖書:創世記12:1-4

 私たちは人生を旅にたとえることがあります。特に、信仰の歩みは天の御国を目指す旅、というイメージがあります。

昔(今ももちろん手に入りますが)、『天路歴程』という本がよく読まれました。17世紀のイギリス人ジョン・バニヤンが書いた物語で、クリスチャンという名前の男が、「滅亡の都」という町から旅立ち、様々な困難を経て「天の都」にたどり着くまでの旅を描いています。

他にも、信仰の歩みを旅になぞらえた物語や譬えはいろいろありますが、そうしたイメージの出所は創世記12章から終わりまで続く、アブラハムとその家族の物語です。続きを読む →

来年の手帳

みなさん、おはようございます。
1月からの新しい手帳を購入しました(だいたいいつもこの時期に買ってます)。今年は、ほとんどの予定に取り消し線やら予定変更の書き込みがあり、後半には新しい予定はあまり入らず、手帳をしっかり使った感じがありません。それでも、ちょっとずつ来年の予定も入り始めているので、やっぱり新しい手帳が必要になりました。来年は、今年みたいじゃないといいのですが。
もちろん、予定は未定。思わぬこと、予想外の事が起こるのが人生。結婚式の祝辞じゃないですが、上り坂、下り坂、そして「まさか」があるものですね。計画は大事ですが、私たちの計画を越えて働かれる神様の取り計らいと深い知恵をいつも覚え、信頼していたいです。

“あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。” ヤコブ 4:15

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

2020-10-18 ざんねんないきもの

2020年 10月 18日 礼拝 聖書:創世記3:1-13

 少し前に「ざんねんないきもの事典」という子ども向けの本がヒットしました。様々な生物の面白い生態をユーモラスに描いたものです。

人間の目から見たら、面白く、時には滑稽に見える行動や生態も何かしら意味があるはずで、神様がそのような特徴を与えてくださったり、置かれた環境の中で身につけて来たものだったりします。あるいは以前は意味があったのに、新しい環境の中で意味をなさなくなり、面白く見えるということなのかもしれません。

けれどもそれが面白く見えるのはあくまで人間にとって、ということで当の動物たち自身はきわめて真面目に、そして種の生存という使命のために必死で行っているに違いないのです。

本当の意味でまことに残念な生物は、この地上でたったの一種類だけです。それは私たち人間です。続きを読む →

2020-10-11 たいせつなきみ

2020年 10月 11日 礼拝 聖書:創世記1:26-31

みなさんのお宅には読みかけの本がどれほどあるでしょうか。最近はそもそも本を読まない、買わないという人も多いですが、せっかく買ったのに本棚の飾りになっていたり、図書館から借りてきたのに一頁も開かずに返却した、という話しはよくあります。

私も、自分の楽しみのために買った小説や漫画は割とすぐ読むのですが、勉強のために買った本はさっと目をとおしてちゃんと読まずに置いておくことがあります。キリスト教関係の本は出たときに買っておかないとすぐに絶版になり買えなくなることがあるから、と苦しい言い訳を自分にしたりしてますが、もったいないことですね。続きを読む →

2020-10-04 なぜ聖書を読むのか

2020年 10月 4日 礼拝 聖書:テモテ第二3:10-17

 時が経つのは早いもので、およそ3年に渡って、マタイの福音書をご一緒に学び続けて来て、先週最後の箇所を終えることが出来ました。イエス様の公の働きも3年半と言われますので、だいたい同じ時間を旅して来たような心持ちですし、イエス様と弟子たちの旅がどれほど濃密なものであったかを覚えることができました。

来週からは創世記から黙示録までを一気に取り上げていこうと考えています。毎週1書ずつと思ったのですが、さすがに難しい面もあり、時には数回に分けながら、読み進めて行きたいと思います。

今日は、それに先立ち、なぜ私たちはそうやって聖書を読むべきなのかということをご一緒に考えて行きたいと思います。今月の御言葉として与えられた第二テモテ3:16は、聖書が神のことばであるという私たちの信仰を支える御言葉です。続きを読む →

2020-09-27 主イエスとともに

2020年 9月 27日 礼拝 聖書:マタイ28:16-20

さきほど歌った「イエスはわたしの友」という讃美歌の歌詞は「いつくしみ深き」という古い讃美歌の原曲の歌詞を訳しなおして、新しいメロディをつけたものになっています。私たちにとって、心許せる友人や、自分を任せられる家族は大切ですが、ときとしてそういう家族や友人でさえも、自分の胸の内を明かせなかったり、理解されなかったり、また対立してしまうことがあります。

けれども、イエス様はどんな場合でも私たちの友であり続けるというのがイエス様ご自身の約束です。そんなことを歌にしたのが「いつくしみ深き」であり、先ほどの賛美歌です。続きを読む →

2020-09-20 恐れから喜びに

2020年 9月 20日 礼拝 聖書:マタイ28:1-15

 2016年の暮れ頃から読み始めたマタイの福音書も、いよいよ残すところ、今日を含め2回となりました。今日の箇所は、普段なら春のイースターの頃に取り上げられる箇所です。

よく読んでみれば分かることですが、マタイの福音書には、イエス様の復活の様子そのものは何も描いていません。マタイだけでなく、マルコ、ルカ、ヨハネの三つの福音書も同様です。続きを読む →