2023-02-12 希望から生まれる愛と聖さ

2023年 2月 12日 礼拝 聖書:テサロニケ第一5:23-28

 クリスチャンであるということで、クリスチャン以外の人たちと様々な違いを感じる場面があります。それは日曜日には教会に行くという外から見て分かる行動や生活習慣の場合もありますし、収入の中から献金するという経済的な感覚の違いである場合もあります。また道徳的な感覚の違い、価値観の違いとして現れる場合もあります。

同調圧力の高めな日本では、他人と違う生き方をするのはなかなかハードなことです。そのことで家族や友だちから馬鹿にされたり、嫌みを言われたり、難癖をつけられたりしたことがあるかも知れません。

しかし、クリスチャンが他の人と違うというのは、生活習慣や価値観といった外側に現れる違いを生み出す信仰と希望から来るものです。信じていることが違えば、自ずと考え方、価値観、振る舞いに違いが現れるものです。続きを読む →

募金箱

みなさん、おはようございます。
報道でご存じの通り、トルコとシリア国境付近を震源とする大きな地震があり、かなりの被害が出ています。大勢の方々が亡くなったり、怪我をし、今なお倒壊したガレキの中で救助を待つ方々がいらっしゃいます。テレビのニュースでは報道されませんが、トルコの教会関係でも被害が出ており、犠牲となった牧師や信者の方々が複数おられるとのことです。ちなみにS先生たちがおられる地域は1000km以上離れているため、揺れも感じなかったということでご無事です。
教会でも保守バプテスト同盟を通して募金を送りたいと思いますので、明日から募金箱を置かせてもらいます。他にも様々な働きのために(もちろん私たち自身の教会のためにも)多くの必要がありますが、皆さんの心に、遠く離れた地におられるお会いしたこともない、けれども苦難の中にある方々への思いがいくらかでもありましたら、ぜひこの被災者の皆さんのためにお捧げください。

“ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。” コロサイ 3:12

佐々木真輝

YOUは何しに?

みなさん、おはようございます。
昨日の夜はとあるミーティングがあり、遅くなったので夕食は馴染みのラーメン屋さんで済ませることになりました。しばらくすると、海外から観光に来たと思われる3人連れの方々がご来店。メニュー選びを手伝ってあげるべきかと思いましたが、何やらスマートホンの翻訳機能を使って楽しんでやっているようでもあり、帰り際「どこから来たの?」とか「楽しんでね」といった程度の声をかけるだけにしました。オーストラリアから来たんだそうですが、なぜわざわざこんな寒いところに来たのかは聞きませんでした。少なくとも真夏のオーストラリアにいたら体験できない雪国の寒さと地元の英語の通じないラーメン屋さんは経験していたわけです。
私たちの信仰の旅路も理由があって始まったものです。途中で最初に求めていたことに隠されていた本当求めが何か分かったり、実はイエス様がのほうが私たちを招いてこの旅を始めさせてくださったのに気付くこともあります。いずれにしても、時々、なぜこの旅路を始めたのか思い出すことは大事なことです。迷ったり、心の動きが鈍くなったりするときには特にそうです。

“これらの人たちはみな、…地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。” ヘブル 11:13

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

久しぶりに会う

みなさん、おはようございます。
月曜から昨日にかけて神学校の仕事で仙台に行って来ました。そのついでに一人暮らしをしている義理の母をもとを訪ねて来ました。いつ以来かなと思ったら、去年の6月以来だったそうです。泊まりは負担になるので、わずか数時間だけの滞在。その間に積もる話を聞き、頼まれていた用事をいくつか済ませ、最後にお祈りして帰るだけです。それでもコロナが流行りだして以来、なかなか気軽に行けなくなってしまっていたので、実際に顔や生活の様子を見ることができて安心しました。
皆さんにも気になりながらもしばらく会えていない人がいるかも知れません。そんな状況もいつまでも続くわけではありませんし、きっと機会は作れます。主ご自身とお会いする日もそのうちやって来るでしょうが、そのときどんな話しをすることになるんでしょうね。

“主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。…” 出エジプト 33:11

佐々木真輝

主の晩餐

みなさん、おはようございます。
今日は第一主日ですので、月に一度の「主の晩餐」を行います。月に一度だけ行うというのも、第一主日にするというのも、ただの慣例なので、大事なことはイエス様が守るようにと教えた「主の晩餐」を記念するということです。主の晩餐を行う時には、これまた慣例に従って、黙想と悔い改めの時間を持つのですが(それ自体は意味のあることです)、主の晩餐は厳粛な気分で守るべきものというより、キリストの十字架によって私たちが赦され、新しい契約のもとで神の家族とされたことを感謝し喜びとともに記念するものでした。
コロナのためにしばらく主の晩餐に参加できていない方々もおられることに心が痛んでいますが、離れた場所にいても、同じキリストの恵みの中にあることを覚えています。

“そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、” 使徒 2:46

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

2023-02-05 ついには正義の雨が

2023年 2月 5日 礼拝 聖書:ホセア10:9-12

 最近、某回転寿司チェーンで、いたずらにしては度を超したことをしでかした様子が動画で出回って大騒ぎになっています。こうしたことは以前からもありましたが、今回は本人と両親が謝罪しても損害賠償の裁判を起こすことになりそうだと記事で読みました。実際の損害を計算するのは法律的には結構難しい問題のようですが、それでも未成年だからといって謝って済む話しではないと多くの人が思うことでしょう。これは教育やしつけ、企業経営に関する問題ではありますが、根底には正義の問題があります。損害に対しては応分の報いが与えられるべきだ。未成年の子どもには責任能力があるのか、どこまで罰せられるべきか、いつも議論となります。

正義がなされていないと私たちが感じるとき、怒りと正義を求める思いが沸き起こってきます。クリスチャンは互いに赦し合うことや和解の務めを教えられていますが、しばしば、この正義への求めが満たされないために赦しや和解を難しく感じます。続きを読む →

手がかりを求めて

みなさん、おはようございます。
今年の芥川賞を受賞した仙台出身の作家が書き上げた『荒れ地の家族』という本を手にして読み始めました。震災によって仕事の道具を全て失い、2年後には奥さんを病気で亡くした植木屋さんが主人公と聞き、なんだか今は花巻におられるHさんを思い浮かべずにはおられずすぐに注文したのでした。先日、話題の映画『すずめの戸締まり』を観たときも、悲しみと痛みがよみがえってなかなか辛かったですが、この本もそれ以上の重みをすでに感じさせます。ゆっくり読んでいくことにします。
人はどうして、そういう悲しい物語を読みたがるのでしょう。自分の心の中に潜んで時々暴れ出す悲しみや痛みと向き合い、寄り添うヒントを求めているのかもしれません。イエス様の慰めを知った者であったとしても、具体的な手がかりを探すものかもしれません。

“悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。” マタイ 5:4

佐々木真輝

ちょっとお休み

みなさん、おはようございます。
昨日は3.11いわて教会ネットワークのミーティングが大船渡であったのですが、実は今回、パスさせていただきました。なかなか休みが取れていなかったことと、昨年のコロナ罹患以来、疲れやすさが抜けずにいるので休ませていただきました。代わりに、温泉施設でだいぶゆっくりさせていただきました(お風呂に入っているより休憩室で寝ている時間のほうが多かったかもしれません)。お風呂も贅沢な昼寝も気持ち良かったですが、たとえ数時間でも仕事や役割から離れることがリフレッシュになります。あとは、小さい子と店員さんの面白いやり取りとか。
イエス様がご自分の多忙さにもかかわらず、弟子たちを気遣い、休みを取らせようとしてくださったことを思い出します。本当は、きっとイエス様のほうがかなり疲れていたんじゃないかと思います。そう、イエス様は私たちの疲れ、忙しさ、ストレス、ちゃんと分かってくださっています。

“するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである。” マルコ 6:31

佐々木真輝

2023-01-29 上にあるものを思って

2023年 1月 29日 礼拝 聖書:コロサイ3:1-11

 走るときは、足元ばかり見ないで、顔を上げゴールを見ることが大事と言われます。山登りするときも、足元はしっかり見なければなりませんが、たえず顔を上げて周囲を観察することが大事です。

頭を下げたり、下を見るのではなく、頭を上げ、視線を上げることが体全体の姿勢やバランスにとってとても大事なことのようです。同じことが信仰の歩みにも言えます。続きを読む →

ゆっくり温めて

みなさん、おはようございます。
昨日はさすがに寒かったですね。大雪ではなかったのでだいぶ助かりましたが、それでもかなりの厳しさでした。皆さん、ご無事に過ごされたでしょうか。教会の水道は電熱線を巻いているのですが、それでも蛇口部分が凍りついたりします。凍った水道管や車のフロントガラスを解かすときには熱湯をかけるような急激な温度変化は良くないと言われます。金属やガラスが割れてしまうことがあるのです。ゆっくり温めることが大事のようです。
私たちの心に凍り付いた部分があるとき、イエス様がそれを解かす時も壊れてしまわないように、ゆっくり温めるようにして解かしてくださいます。その凍り付きが強ければ強いほどにじっくり時間をかけてくださるように思います。

“主が みことばを送ってこれらを溶かし
ご自分の風を吹かせると 水は流れる。” 詩篇 147:18

今日は婦人会があります(祈祷会はお休みです)。

佐々木真輝