2023-03-05 新しいいのちに歩むため

2023年 3月 5日 礼拝 聖書:ローマ6:1-11

 まもなく震災から12年です。その後も各地で様々な災害がありました。その度に聞くことばに「早く元にもどれるように」とか「元の暮らしに戻りたい」というものです。けれども、冷たいことを言うようですが、遅かれ早かれ「元の生活に戻ることはない」ということに気付きます。亡くなった大切な人は戻って来ませんし、破壊された町はすっかり様変わりします。それでも、多くの人は、何とかその状況に慣れて普通に暮らせるようになります。元には戻れないけれど、喪失を受け入れ、前とは変わってしまった生活に慣れて、新しい希望を見つけ、人生を取り戻すことができるのです。

毎月一度、2022年度の主題「主の回復の年」にちなんでいくつかの箇所を開いて来ましたが、今日は最終回になります。続きを読む →

気付かないところで

みなさん、おはようございます。
ある方が教会の前に落ちていた紙を拾ったら、牧師に対する暴言が書いてあったので気をつけてくださいと知らせてくださいました。何が書いてあったかは分かりませんが、ちょっと考えさせられました。心当たりはないのですが、それでも意識しないで誰かを怒らせてしまったのかも知れません。ただの八つ当たりや嫌がらせかもしれませんし、過去にあった何かのやりとりの中で怒りや恨みを抱えている人がいるのかも知れません。もし、自分に落ち度があったり、傷つけたり、示すべき愛や敬意を示していないことがあったなら気付かせてもらいたいと思います(そういうことは十分にあり得ますし)。
過去にも数は多くないですが、そうした暴言をぶつけられたり、ひどい態度を取られたことがありますが、鋭い破壊力のある言葉には傷付きますから、今回の出来事を教えてくださった方も内容を伏せてくださったことには感謝しています。今回のことは驚きましたが、一つの戒めとして受け止めたいなと思います。

“正しい人の心は、どう答えるかを思い巡らす。
悪しき者の口は悪を吐き出す。” 箴言 15:28

佐々木真輝

不快な季節が

みなさん、おはようございます。
花粉症仲間には辛い季節がやって来たようです。まだ冬が終わったわけではないのに、花粉はすでに飛び始めていて目や鼻に来ます。不快なことではありますが、ちゃんと季節が巡っているし、体の免疫機能もちゃんと作動している証拠でもあります。そう思ったからといって症状の辛さがなくなるわけではありませんが、物事の良い面も見えると少しは気分も良くなります。
物事の良い面を見ることは、問題自体を解決することではないかもしれませんが、感謝を生み出したり、違う視点で問題を見られるようになったり、何かに捕らわれていたことから解放するような効果があります。

“主に感謝することは 良いことです。
いと高き方よ あなたの御名をほめ歌うことは。” 詩篇92:1

今日は****さんと****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

試練を乗り越えて

みなさん、おはようございます。
昨日は全国の多くの高校で卒業式が行われました。Kさんも晴れて卒業し、春からの新しい歩みを始めることになりました。おめでとうございます! 直前になってマスクを外しても良いと言われたので、現場は迷ったかも知れませんが、そんなことの連続だった高校生活だったと言えるでしょう。様々な制約に我慢を強いられた学生生活でしたので、当たり前にできることが出来なかったり、納得できないことを胸に納めて生活して来たことも多分事実で、そのことがこれからの人生にどのような形で影響するかは分かりません。けれども、それを乗り越えて来た子たちですから、きっとこれからも強く、知恵深く歩んでいくことができると信じたいとも思います。
試練は確かに私たちを強めたり、知恵を増し加えたりしますが、傷つけ弱めもします。ただ、希望と助けがあって、それに対する信頼、信仰があればこそ、価値あるものを見出すことができるのではないでしょうか。

“試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。” 1ペテロ 1:7

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

愛すること

みなさん、おはようございます。
昨日、オンラインでの牧師会にゲストが参加しました。来月、アメリカのサンディエゴの日本人教会に派遣される宣教師です。その話の中で、異なる文化の視点から日本の教会を見たときに、個人に対する関心が少ないかもしれない、という話題になりました。久しぶりに教会に来た方をみんなで囲んで話しをしている様子やいろいろと助け合っている様子を思い出して「そうかなあ」と思いましたが、よく考えてみると確かに、深く関わったり、気にかけ続けたりするのは遠慮がちになったり、内輪には親切でもよく知らない人にはそうでもない、なんてこともあるかもしれないなあなどと考えさせられました。
互いに愛するとか、隣人を愛するという言葉は美しいですが、具体的に相手に届くことが大事です。愛は感情的な高まりではなく、人に感心を持ち、関わり、一緒に喜んだり、悲しんだり、助けたり、赦したりすることですからね。

“私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。” ヤコブ 2:14

佐々木真輝

感謝と痛み

みなさん、おはようございます。
ロシアによるウクライナの子どもたちの「保護」という名の拉致のニュースを聞いて心が痛むと共に、北朝鮮によって子どもたちを拉致され、未だに帰国、再会が果たされていない人たちのことを覚えました。拉致問題の象徴的な存在である横田めぐみさんのご両親はこの事件との戦いを通してクリスチャンになりました。それは素晴らしい恵みではあったのですが、拉致自体は何ら正当化されないし、神様の恵みと人の邪悪さがかえって際立ちいたたまれない気持ちになります。
これまで何度も苦難の時に「すべてのことは益とされる」という御言葉を指し示され、あるいは誰かに聞かされて「こっちの気も知らずに!」と慰められるより憤ることが多かったようにも思います。この地上にある限り、感謝と痛みは隣り合わせのことが多いのかも知れません。しかも信仰によらなければ素直に感謝することもできなかったりします。

“神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。” ローマ 8:28

一昨日は坂井聡子さんの誕生日でした。すっかり遅れてしまいましたが、祝福を祈ります。
今日は岩手同労者会です。

佐々木真輝

2023-02-26 偽りなき信仰と愛

2023年 2月 26日 礼拝 聖書:テモテ第一 1:1-17

 私たちの信じていることが私たちの生き方を決める、ということはこれまで何度もお伝えして来ました。健全な信仰は健全な生き方を目指します。逆に、その人の振るまい、生き方を見ればその人が何を信じているかは明らかです。

まったく逆のこともあり得ます。言っていることは信仰深そうで、聖書の教えを自在に用いているし、人々から尊敬を集めているように見えるけれど、全体としてはちぐはぐで、深く関わった人を傷つける人がいます。また、とても謙遜そうで自分の弱さを正直に語り、自分は足りないと言いますが、どうもそういう状態に留まり続けることで注目を集め、同情を買い、世話を焼いてもらうことで自分が愛されていることを確認しようとする人もいます。

テモテへの手紙第一と第二、そしてテトスへの手紙を合わせて「牧会書簡」と呼びます。いずれもパウロの晩年近く、ローマの獄中で記されました。教会指導者のために書かれた手紙ですが、これを広く誰もが読むべきものとして新約聖書に含まれています。続きを読む →

平和を願って

みなさん、おはようございます。
ロシアが突然ウクライナに侵攻を始めたのがちょうど一年前です。国境紛争とか、国内での紛争はたびたび起こりますが、あのようにあからさまな侵略を狙った戦争を起こしてしまうものなのかと、驚きとともに悲しみを覚えました。ただ、戦争の背景には二つの国の間の問題だけでなく、とりまく世界の強欲さや無責任さがあるように思います。たとえ本当の平和でなくとも、これ以上の苦しみが続かないよう、まずは一日も早く戦いが止むことを祈るばかりです。
聖書は、主の日が訪れるまでこのような愚かで恐ろしい暴力が繰り返されると告げています。それがこんなにひどいことになり、非難を呼ぶものなのにどうしても止められないのですよね。世界規模の悪だけでなく、ごくごく私的な世界でも悲しみや怒りを生むと分かっていてもやってしまうのが人の罪深さです。やがて主が平和をもたらす日まで、私たちは光の子、平和の子として生きる努力を続け、希望を指し示していきましょう。

“どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。” ローマ 15:13

佐々木真輝

印鑑違い

みなさん、おはようございます。
先日、お金を下ろしに銀行に行ったら「印鑑が違うみたいです。もっと少し大きめのものみたいです」と言われ、すごすごと帰って来ました。次の日、別なのを持って行って無事に下ろせたのですが、最近はめったに印鑑なんて使わないのですっかり忘れていました。
間違った印鑑に頼ると引き出せるものも引き出せません。私たちの救いの証印は聖霊です。聖霊によらずに救いの恵みと祝福を得ようとすると「印鑑が違います」となりますね。自分の感覚や自信に頼っていると、神様の豊かな恵みをほんとうに味わうことはできません。約束された御国の祝福を余すことなく受け取りたいものです。

“このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。” エペソ 1:13-14

佐々木真輝

2023-02-19 希望によって今を生きる

2023年 2月 19日 礼拝 聖書:テサロニケ第二 1:10-12

 諦めずに何度も関わり続ける人がいてくれるというのはとてもありがたい事です。若い時は、あるいは歳を取ってからかもしれませんが、そういうのをうざいと感じたり、放っといて欲しいと思ったりするのですが、忍耐強く関わり続けてくれる人がいるのは大きな恵みだと考えるべきです。

私たちの歩みを振り返ると、何度同じ事を経験してもそこからなかなか学ばない、ということがあります。聖書を学んだからといってすぐレベルアップするというわけではなく、学んだことが身につかないなんてことも良くあります。

それは現代のクリスチャンや教会だけのことではなく、パウロの時代、聖書の時代の教会にも同じことが言えます。続きを読む →