2022-10-16 全ての人への良い知らせ

2022年 10月 16日 礼拝 聖書:ローマ1:8-17

 以前もお話したことがありますが、我が家で飼っていた二匹目のワンコがジストという特殊ながんにかかったとき、手術や治療がなかなか難しいと言われました。ただし、人間用に開発された分子標的薬なら、犬に使ったケースはほとんどないけれど効果があるかもしれないと教えてもらいました。保険が利かないし、国内で手に入れようとするとかなり高額になりますが、海外から個人輸入という形ならだいぶ安くなるという情報も教えてもらいました。実際、それを用いたら腫瘍が小さくなっていき、最後はほとんど見当たらないまでになったので、ジストの話しや犬の薬の話しになると、ついつい聞かれてもいないのにしゃべるようになりました。良い知らせとはそういうものです。

聖書を創世記から順番に見ていくシリーズは今日からいよいよ書巻に入ります。続きを読む →

手付かずだった剪定

みなさん、おはようございます。
昨日、家に戻ると留守の間にお願いしていた木の剪定が終わっていました。乱雑に伸びた枝を払ったり、隣地との境界に植えた後で大きくなりすぎた木を思いっきり詰めてもらったりしました。前々からやらねばと思いつつまとまった時間がとれず、切った枝の処分にも手を焼きそうでなかなか手がつけられませんでした。そんなわけで自力ではやらず助けを求めたというわけです。
Mさんと学んでいる本の中に、私たちは軽いリュックは自分で背負うべきだけれど、重すぎる岩を自分で背負おうとしてはいけない。そういうときは助けを求めるべきだ、というたとえが載っていたのが印象に残っています。負いきれない重荷を私たちの代わりに負ってくれた最大の存在はもちろんイエス様です。イエス様をはじめとする多くの人たちに助けられながら私たちは生きていますね。

“すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。” マタイ 11:28

佐々木真輝

痛みを担う

みなさん、おはようございます。お久しぶりです。
錦秋湖で神学校理事、教師、スタッフのリトリートが行われ、深い交わりと話し会いが出来、これからの働きのために良い時間となりました。それは良かったのですが、半月程前から足の親指の爪が皮膚に食い込む、巻き爪の状態になっていてかなり痛くなって来ていました。炎症も起きていたので、これ以上悪化する前にと昨日クリニックへ行き処置をしてもらいました。食い込んだ爪を浮かせてそこに保護のためのチューブを入れるのですが、まあこれが痛い事。我慢はできましたけど、それでも処置を受けている間に、小説や映画で何度か見聞きした拷問の場面が脳裏をよぎり「きっと痛みに耐えかねてペラペラしゃべっちゃいそうだな」なんてことを考えていました。
痛みは感覚を狂わせ、心をくじき、判断力を鈍らせ、痛みから逃れるためならば時として信念や道徳的な規範さえも放り出したくなるものです。ご自分が負う必要のなかった大きな痛みを、ただすべての人の罪の赦しと回復のためにイエス様が担ってくださったということの愛の大きさ、意志、謙遜、忍耐の限り、その苦しみの先にある希望を望み見る信仰、それらすべてがあらためてすごいことだなあと思わされます。そして「痛みを担い合う」ということが言葉は美しいけれど、本気でなかったら使えない言葉だなとも。

“まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。” イザヤ 53:4

佐々木真輝

2022-10-09 希望の光は地の果てまで

2022年 10月 9日 礼拝 聖書:使徒の働き28:17-31

 私は楽しみのために、たまに一人でテントを張ってキャンプをするのですが、その時に欠かせないのが灯りです。だいたいキャンプをする場所は外灯などはありませんから、手元を照らすためにも、雰囲気作りにも灯りは必要です。安物でも小さく炎がゆらめくランタンなんかがあると満足度が高くなります。

何であれ、灯りをともしたら当然適当な高さの所に吊したり、テーブルの片隅に置いたりして、必要なところに灯りが届くようにします。これは必ずそうします。ライトをつけてそのままリュックの中にしまうなんてことは絶対にしません。

イエス様は灯りをつけたら誰もそれを隠す人はいないというたとえをお話しになりました。ルカの福音書には、神の国について教えている箇所とエルサレムへの旅の途中での2回、イエス様がその話しをなさったことが記されています。続きを読む →

同業者

みなさん、おはようございます。
昨日は全国の神学校の代表者の方々との交わりの時がありました。いつもはどこかでリアル開催されるのだそうですが、昨年はコロナで中止、今年はオンラインでの開催ということでした。はじめて参加したのですが、知っている先生方もおおく、緊張はしませんでしたが、会の雰囲気が分からずどう振る舞ってよいかちょっと困りました(どこまで冗談が通じるかとか…)。短い時間ではありましたが、同じ働きをしている方々、いわゆる同業者との情報交換や交わりは共感するところや教えられる事が多く、ためになりますね。
教会の中にも同じ業界で働いている方々がおられると思います。仕事に限らず、同じ趣味の方々、似たような境遇の方々など「わかり合える」間柄の人たちは大切な存在です。特に信仰を同じくする人たちは神様が備えてくださった素晴らしい賜りものですね。

“…パウロは二人のところに行き、自分も同業者であったので、その家に住んで一緒に仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。…” 使徒 18:2-3

佐々木真輝

すべてをイエスの名において

みなさん、おはようございます。
昨日の夕方、医療的ケア児とそのご家族を取り上げた特集がテレビのローカルニュース内で放送されていました(録画しておいたものを夜になってから見ました)。住田町で訪問看護ステーションをしている****さんが親身に寄り添っている姿がしっかり捉えられていました。プロフェッショナルな仕事の姿だけでなく彼女らしい誕生日のお祝いの場面や家族との会話の場面から、医療を越えた支えになっているなあと感心し、誇らしくも思って見ていました。
仕事での関わりですから、そこに宗教的な言葉は出さない(出せない)とは思いますが、それでもキリスト者らしい思いやりや価値観を仕事の仕方に表すことができるのだなあと思わされました。そして、そのような振る舞いが、この世界にいくらかでも神様の恵みと愛を届けるものとなりますし、きっと周りで働く人たちに伝わるものがあるはずです。

“ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。” コロサイ 3:17

今日は****君の誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

最優秀選手

みなさん、おはようございます。
昨日はひいきのプロ野球チームの選手がついに王選手の記録を抜いてホームラン56本を達成し、三冠王も史上最年少で達成しました。しかも優勝を決めた後のシーズン最終戦でのことで、まさに「有終の美」といえます。きっと今年のMVP(最優秀選手)に選ばれるのではないかと思います。最も優れた選手というのは数字の上での記録だけでなく、その活躍がチームの勝利に貢献しているということが重視されると言われます。
教会もたった一人の能力のあるクリスチャンがいれば良いということではなく、その信仰と謙遜な働きが周りの人たちに良い影響を与え、全体として成長し、交わりが深められることが理想です。私たちは一人でイエス様の道を歩むのではなく、神様の家族と共に歩む者なのです。

“一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。” 1コリント 12:26

佐々木真輝

2022-10-02 いのちの喜び

2022年 10月 2日 礼拝 聖書:イザヤ65:16-20

 私たちにとって、健康問題は日常的な悩み、関心です。

私は子どもの頃、体が冷えるとじんましんが出る寒冷アレルギーというのにずいぶん悩みました。あちこちにじんましんが出て痒みや火照りが出るのですが、それ以上に、恥ずかしさがありました。冬場はまだいいのですが、夏のプールなんかはそのせいで大分苦手意識ができました。

今、寒冷アレルギーの症状は出ることは滅多にありませんが、その代わり、花粉や埃でアレルギーが出て困ります。続きを読む →

キンモクセイの香り

みなさん、おはようございます。
今年も教会のキンモクセイが花をつけ、甘い香りが漂っています。明日いらした際にはぜひ楽しんでください。毎年のことなので、いつもこの時期にはキンモクセイについて朝メールで書いているような気がします。たまに香るので、はっとし気を引きますが、芳香剤のようにずっと香っていたらたぶん気にもならなくなるし、感動もしなくなるでしょうね。
神様の恵みはいつでも私たちに注がれていますが、特別な恵みの瞬間が時々あるので私たちは感動したり、感謝したりします。でも花が咲いていない時もキンモクセイの樹は存在し続けているように、神様の恵みも私たちが気づいていない時でも絶えず注がれていることを思い出しましょう。そして花の香りに気づいた時のように特別な恵みに気づいたら、神様の祝福として特別に喜び感謝しましょう。

“朝ごとに
あなたの恵みで私たちを満ち足らせてください。
私たちのすべての日に
喜び歌い 楽しむことができるように。” 詩篇 90:14

佐々木真輝

小さくて大きい証し

みなさん、おはようございます。
昨日のラジオ「世の光」放送で***さんのお便りが紹介されていたと危機、本編を聞き逃していたのでスマートフォンアプリのラジコで改めて番組を聞きました(他にも電話、ホームページ、Youtubeなど聞く方法はいくつかあります)。リスナーからのお便りを紹介したあとでフォローアップ担当の先生が聖書のことばと短いメッセージをするという構成になっていました。たまたま駐車場で会った本人にお聞きしたら「知らなかった」ということでした。でもこうやって放送伝道に用いられたのは良かったですね。
私たちがクリスチャンとして普通に暮らすなかで、小さなことや何気なくしたことが思いがけず福音の証しに用いられることがありますね。不思議なことですが、イエス様によって変えられたり、みことばに触れられた私たちの小さな行動や態度は、この世にあっては大きな証しとして用いられ得るものです。

“…いつも善良で信頼できることを示すように勧めなさい。それは、彼らがあらゆる点で、私たちの救い主である神の教えを飾るようになるためです。” テトス 2:10

佐々木真輝