新しい皮袋

みなさん、おはようございます。
かつて日本を代表する音響機器メーカーが破産申請をしたというニュースを聞きました。かつてオーディオマニアでもあった私にとっては寂しいニュースでした。でも、以前のようにオーディオ機器にそれほど熱中することもなく、とりあえず音楽が聴ければ良いという程度になっていましたし、スマートフォンの登場以来世界中で音楽の聞かれ方が変わってしまったので、その流れからすれば仕方のない結果だろうなと受け止めてもいます。
私たちは時代の流れの中で生きています。世の流れに任せてはいけない面はありますが、新しい時代には新しい「皮袋」が必要でもあります。福音を宣べ伝える方法だけでなく、新しい文化や価値観の中で神様に喜ばれる働き方、生活スタイルをよくよく考えていく必要がありますね。

“また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば皮袋は裂け、ぶどう酒が流れ出て、皮袋もだめになります。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れます。そうすれば両方とも保てます。」” マタイ 9:17

佐々木真輝

存在に気づく

みなさん、おはようございます。
春の花が次々と咲いていますが、我が家の庭にもいくつかの種類が順番に咲いているらしいです。「らしいです」というのは、ちゃんと見ていなかったからです(ワイルドベリーの花の付き方には気をつけているんですが)。昨日の夜、家内に「テッセン咲いているの見た?」と言われました。すみません、まったく気づいていませんでした。
誰が見ていなくても綺麗に咲くのが花の素晴らしさですが、せっかく神様が素晴らしく装ってくださったのですから、ちゃんと気づいて目を向け、愛でたいですね。一人一人の存在も尊く美しいもので、誰が気づかなくても神様の目には素晴らしく映っているのですが、やっぱりお互いに存在を認め合い、愛し合い、造り主をほめたたえたいですね。

“わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。…” イザヤ 43:4

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

親切なことば

みなさん、おはようございます。
昨日の夜、教会の駐車場から車を出そうとしたところ、目の前に一台の車が停まり、運転主が何やら携帯をいじっています。何の嫌がらせか?と思いましたが、どうやらこちらに気づいていないようです。車のドアを開け閉めし、エンジンをかけ、2〜3メートルしか離れていない相手ドライバーに「車出したいんですが」と目で合図しました。でも携帯に夢中になっているのか、なかなか気づいてくれません。降りて声をかけるのはなんだか喧嘩を売っているようにも見えるような気がして、控え目にクラクションを鳴らしたらようやくこちらに顔を向けてくれました。それで分かってくれたかと思いきや、その顔には何の表情もなく再び携帯に目を落とします。ちょっとイラッとしました。少ししてようやく車を出してくれましたが、手には相変わらず携帯を持ったままでした。
夜になって思い返すと、何かを探して一生懸命だったのかもしれないなと思いました。「何かお困りですか」と親切に訊ねたほうがスマートだったかもしれませんね。実際のところは分かりません。ひょっとしたら本当に無神経で、人の迷惑を考えない自己中な人だったかも知れません。それでも、イライラするより、ちょっとした思いやりを行動にしてしまったほうが気分も良かったかな、なんて思っています。

“あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。そうすれば、一人ひとりにどのように答えたらよいかが分かります。” コロサイ 4:6

今日は朝9時から「いいあんべFM」でリレーフォーライフのラジオ番組があります。その中で家内が出演するコーナーもあります。北上市内の方限定ですが、是非お聞きください(再放送は金曜夜9時)。

佐々木真輝

もって生まれた性質

みなさん、おはようございます。
最近読んだ本の中で、世の中には生まれ持った性質として、他の人より様々なことに敏感な人がいるということが書かれていました。人の気持ちや空気を察知しやすいというだけでなく、音やにおい光の強さのような物理的なことにも敏感すぎるため、人間関係や生活にさまざまな支障が出やすいのだそうです(敏感な人が悪いのではなく、世の中はそれほど敏感でない人たちのほうが多く、そういう人たちに便利なように社会が出来ているからですね)。ふんふん。それで突然思い出したのが、娘が小さい頃に花火をものすごく怖がっていたなあということです。迫力のある花火を近くで見たらきっと驚き、感動するんじゃないかと期待しましたが、遠く離れた駐車場の車の中で震えながら綿飴を握りしめてたなあと。あれは他の子より怖がりだったというのとは違ったのかもしれませんね。
私たちが生まれて来る時に神様から与えられるいのちには、神のかたちとともに、親から受け継いだ性質とか、親とはまた異なった性質とか、いろいろな特徴を伴っています。それはどれも「悪いもの」ではなく、ただの特徴です。ただ、生まれた環境や時代が、ある特徴を持った人に有利だったり、逆に不利だったりするのです。そういう意味でも、私たちが互いを知り、受け入れ、助け合うことが大事です。

“ですから、神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。” ローマ 15:7

今日は朝から全キ災の世話人会です。

佐々木真輝

復活劇

みなさん、おはようございます。
バンドの再結成とか、スポーツ選手の復帰とか、「復活劇」のストーリーが大好きで、すぐ涙腺が崩壊します。そして、それまで一度も聞いたことのないバンドやミュージシャンでも、ただそれだけのことで好きになってしまいます。たぶん、これまで自分の人生の中で失ってきたものを取り戻したいという思いがありながらも果たせない、そんなもどかしさや憧れがあるんだろうと思っています。
教会の今年度のテーマは「回復」ですが、主がもたらしてくれる回復の中には、そのように果たし得なかった願いや憧れもきっと含まれているのだろうと、期待しています。今日は主の日。一週間のそれぞれの歩みを終えて新たな週を始めるために、私たちは主の前で再会し、心を一つにして礼拝を捧げ、また歩み出していきます。これもまたささやかですが、確かな回復のワンステップです。

“主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。” 2コリント 4:14

今日は夜、愛餐礼拝(夕拝)があります。

佐々木真輝

2022-05-08 憂国の祈り

2022年 5月 8日 礼拝 聖書:ハバクク2:1-4

 皆さんはこの世を憂うことがあるでしょうか。最近、うちの近所でゴミの出し方でいらっとすることがありました。たぶん引っ越し関連のゴミだと思うのですが、テレビとか回収されないゴミが出され、放置されています。地域の決まりではそういうのはゴミ当番の人が処理をすることになっていますが、なんだか酷い話しだなと思います。それはまあ大したことではないけれど、世の中にはもっとひどいことがあります。もちろん被害者になることもあり得ます。

そのような世のひどさを目にしたときの反応の仕方として、反対運動をしたり、きちんと調べた上で意見を表明する、わりと健全な意思表示をする人がいます。一方であまり調べず、偏った情報を鵜呑みにして誰かをこき下ろし、ただ非難する人もいます。健全とは言えませんが、怒りの表現の一つです。続きを読む →

強風

みなさん、おはようございます。
昨日はとても天気がよく暖かかったので(というか暑かったですね)、外でご飯を食べよう、あわよくば芝生の上でちょっと昼寝でもしようと思いました。ですが、かなりの強風。周りで家族連れや若者グループがバーベキューをやっている中、楽しげな声を聞きながらお昼ご飯は何とか食べましたが、どんどん風が強くなり、とても昼寝をするような状況ではなくそそくさと退散してきました。
何かをしようとするときに逆風が吹くことはよくあることです。それでも風に逆らってやり抜くか、無理せず退散するか。しようとしていることの重大さ、価値によって判断は変わってきます。どちらの選択も勇気ある(そして信仰の伴う)選択です。

“舟はすでに陸から何スタディオンも離れていて、向かい風だったので波に悩まされていた。” マタイ 14:24

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

心のリフレッシュ

みなさん、おはようございます。
今日でゴールデンウィークも終わりますね。十分リフレッシュできたでしょうか。あまり普段と変わらず仕事をしていた方もおられるでしょうし、休日だからということで家の仕事に汗を流したという方もおられるかもしれませんね。リフレッシュといえば、世の中には見聞きするのも辛いニュースにあふれているので、(直接自分や家族に関わるものでなければ)自分の心を守るために、時にはそういう情報から距離を置くのも大事です。とくにお休みの日にはそうしたほうがいいです。
私たちの心は底の深い入れ物のようで、思いのほかたくさん入るし、底がのぞけないこともあるのですが、間違いなく有限です。ギリギリになれば自分でも分かるほどに余裕がなくなるし、容量をオーバーすればどんなに押さえ込もうとしてもあふれてしまいます。神様は私たちの心をそのようなものとして造られ、その弱さをカバーするために祈ること、人と分かち合うこと、忘れる能力などを与えてくださいました。

“私が呼ぶとき 答えてください。
私の義なる神。
追いつめられたとき
あなたは私を解き放ってくださいました。
私をあわれみ 私の祈りを聞いてください。” 詩篇 4:1

今日の婦人会と祈祷会はお休みです。

佐々木真輝

みどりの日

みなさん、おはようございます。
今日は「みどりの日」です。新緑の美しさと自然を造られた神様ご自身の素晴らしさを存分に味わえる季節ですね。桜が終わった展勝地では菜の花が盛んに黄色い花を咲かせているそうです(このまえ行った時にはまだ蕾でした)。その後はツツジが見頃を迎えることになるのでしょう。桜の規模ほどではないし、わざわざ遠くから観光に来るほどではないのかもしれません。人気でいったら、それは桜に軍配が上がりますが、それぞれに素晴らしさ、美しさがあります。
ものの価値の価値は人気や売上、シェアなどで図られがちですが、人の価値についても似たようなことをしてしまいがちですね。人気、人脈の豊富さ、生産性などなど。けれども、そういうものは生まれた時には誰も持っていなかったものです。人の価値は神様からいのちをいただき、この世に生まれて来てくれたことにこそあるのだと思います。

“あなたこそ 私の内臓を造り
母の胎の内で私を組み立てられた方です。
私は感謝します。
あなたは私に奇しいことをなさって
恐ろしいほどです。
私のたましいは それをよく知っています。” 詩篇 139:13-14

佐々木真輝

悪いことは重なるのか

みなさん、おはようございます。
オーストリアに宣教師として派遣された直後、乳がんが見つかり闘病を続けているSさんとそのご家族がコロナに感染したため、祈って欲しいとの知らせがありました(特にこの感染症の状況では簡単には他の人に助けを求めることができないですから)。もちろん相当気をつけてはいたとのことです。予定されていた放射線治療は終わっているとのことですが、体力も免疫力もかなり落ちているはずで、通常よりも合併症が心配なところです。
人生経験の一つの知恵というか、観察なのか「悪い時には悪いことが重なる」と良く言います。連鎖反応のように次々と悪いことが起こって、どうしてよいか分からなかったり、「なぜこんなに立て続けに」と誰に文句を言っていいか分からない苛立ちが起こってきたりします。Sさん家族から届くニュースレターには「悪いこと」の中にたくさんの感謝や励まし、慰めがあることを一生懸命伝えているように感じました。たぶん私たちは「悪いこと」のパワーに圧倒されて、良いことが見えにくくなるのでしょうね。それを見る目を与えてくれるのが信仰なのだと思います。

“私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。” 2コリント 5:7

佐々木真輝