2020-02-02 私たちの祈り

2020年 2月 2日 礼拝 聖書:歴代誌 第二 32:20-26

ある時、イエス様の弟子たちがイエス様に尋ねました。「人が自分に対して罪を犯し、赦しを求めた場合、何度まで赦すべきでしょうか」。

それに対するイエス様のお答えは大変有名です。「7度までではなく、7を70倍するまで赦しなさい」これは、490回ということではなく、悔い改めなら何度でも赦し続けなさい、というお答えでした。

人を赦すことは、私たちの罪が赦されるための条件ではありませんが、赦されたという大きな経験、与えられるはずのない恵みを受けた者として、当然他の人にも向けるべきものです。そうでないと、自分の罪の大きさも、受けた赦しの大きさもほんとには分かっているとは言えません。

さて、今日の箇所は旧約聖書の中の一つの記事です。続きを読む →

2020-01-26 すりかえ

2020年 1月 26日 礼拝 聖書:マタイ22:15-22

私たちは、聖書が神のことばであり、何を信じるか、またどういう生き方をすべきかの源が、この聖書にあると信じています。

テモテ第二には「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です」とあり、何をするにも、まず聖書になんと書いてあるか、どういう原則に立つべきか、というふうに考えるよう教えられて来ましたし、そうして来ました。

しかし、そのことを少し誤解してというか、都合よく利用している場面に出くわすことがあります。続きを読む →

2020-01-12 喜びと祝福に招かれたら

2020年 1月 12日 礼拝 聖書:マタイ22:1-14

様々な機会に招待状をいただきます。また逆に招待状をお送りすることもあります。何かの記念会とか、お祝い事。招待状を送るまでもなく、家で催すお茶会とか、教会のイベントにお誘いすることもあります。

そのような時に、「この人はきっと来てくれるのではないか。」「これまでの関係を考えたら、当然来てくれるだろう」と思うような人が何人か顔を思い浮かべます。

ところが、そのような人たちから「欠席」の返事が届いたりすると、当然のことですが、がっかりします。続きを読む →

2020-01-05 新しいこと

2020年 1月 5日 礼拝 聖書:イザヤ43:16-21

新しい一年がはじまりました。今年一年も主の恵みに満ち溢れた年でありますよう、祈ります。新年にあたり、今日開くように導かれた箇所はイザヤ書です。

困難の中に置かれ、将来訪れる破局の知らせに怯え、恐れている民に対して、神様が預言者イザヤを通して告げた希望、「新しいこと」についての預言であり、励ましのことばです。続きを読む →

2020-01-01 しかし私たちは主を呼び求める

2020年 1月 1日 元旦礼拝 聖書:詩篇20篇

新しい年が始まりました。

どのようなお気持ちで新年をお迎えになったでしょうか。どんな願いをもって歩み始められたでしょうか。

ことしもいつものように詩篇からと言うことで、2020年ですので、詩篇20篇を開いています。続きを読む →