夏カフェやります

みなさん、おはようございます。
7月末に計画した「流しそうめん」は、いろいろなご意見を考慮して「夏カフェ」というかたちに変更することになりました。教会カフェを行うのはコロナ禍になる前以来ですからほぼ3年半ぶりです。ウクレレとゴスペルフラの体験がメインのイベントになります。内容は変わっても、目的に変わりはありません。ぜひ皆さん楽しんで参加し、またお友だちをお誘いしましょう。
このような機会は、クリスチャンが神様とお互いを喜び、楽しんで生きている姿をまわりの方々に見ていただける機会です。これは神様の恵みの素晴らしさについて、雄弁な証しより説得力のある証しになります。もちろん、いつかは福音の内容を知っていただくためにお伝えすることが必要になりますが、まずは私たちがイエス様にある新しいいのちを喜んでいることが大事です。

“あなたは私に
いのちの道を知らせてくださいます。
満ち足りた喜びが あなたの御前にあり
楽しみが あなたの右にとこしえにあります。” 詩篇 16:11

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

推し活

みなさん、おはようございます。
ちょっと前からよく耳にする(目にする)ようになった言葉に「推し活」というのがあります。自分が応援している(押している)アーティスト、アイドルやキャラクターなどを様々なかたちで応援する活動のことですね(結構お金や時間を使うのでちょっと引いてしまうところもあるのです)。私が数年前から密かに「押し」ているのは、車中泊をしながら日本全国すべての都道府県を旅するカップルです。写真や映像がとても素晴らしく、ついに日本一周を達成したのを記念して写真集が発売されるということで昨日本屋さんに向かいました(発売日がまだだったので替えませんでした)。さほど推し活に熱心なわけではないので手にとってみないと分からないですが、でも推し活につぎ込む人の気持ち、少しは分かる気がします。
ところで、私たちは私たちのために大きな愛を注いでくださっているイエス様のための推し活はどれくらいやっているでしょうか。イエス様の推し活で一番大事なのは、イエス様のご性質である愛と真実さを身につけるために自分を捧げることです。

“キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。” ピリピ 2:5

佐々木真輝

墓前礼拝

みなさん、おはようございます。
昨日はちょっと風が強かったですが、無事に召天者記念礼拝が行われました。改葬する予定だった合葬墓に思わぬ排水問題がみつかり、そこは残念でした。それでもコロナ禍でいらっしゃれていなかった方々がまたおいでになれたり、葬儀にはいらっしゃれなかったご遺族が参加してくださったりと、とても意義深い日でした。
墓前礼拝は遺族でない人や知っている人がいないとあまり関心を持てなかったりもします(それは分かります)。でも、時代は違っても同じ教会に連なった方々のことを考えたり、未信者の遺族の方々が年に一回だけでもキリストにある希望や自分のいのちと死について考える時を共有することは誰にとっても意味があります。今回参加できなかった方も来年はぜひ。

“知恵のある者の心は喪中の家にあり、
愚かな者の心は楽しみの家にある。” 伝道 7:4

昨日は****さんの誕生日でした。遅ればせながら祝福を祈ります。
今日はオンラインの岩手同労者会(牧師会)があります。

佐々木真輝

2023-07-02 落ち穂拾い

2023年 7月 2日 礼拝 聖書:ルツ記2:1-13

 月に一度、年間主題に関連した箇所を開いていくシリーズですが、今日は有名なルツの落ち穂拾いの物語を取り上げます。

ルツ記は士師記とともに、出エジプトの時代と王国時代の間をつなぐ、とても大切な役割を担っています。モーセやヨシュアという偉大な指導者を失ったイスラエルは、王国時代に入るまで非常に混乱した時代の中にありました。人々は自分が良いと思うように勝手に生きていました。それは自由であるようで実のところ心に住み着く罪に囚われた生活になってしまい、宗教も道徳も社会も大混乱でした。神様は度々イスラエルの民を懲らしめるために他の国々がイスラエルを責め、奪うことを許しました。その度にイスラエルの民は神に赦しを乞い、助けを求めます。すると、神様は士師と呼ばれる指導者を起こし、苦境から救うのですが、しばらくするとまた元に戻ってしまう。そんなことを繰り返していました。

しかしそんな時代でも、アブラハムの子孫を通して世界に祝福をもたらすという神様の約束は反故にされることなく、目立たない存在でああっても、神に信頼し、希望を置く人々を通して守られていたことを示すのが、このルツ記です。続きを読む →

自分では手にとらないけど

みなさん、おはようございます。
先日、おやつにどうぞと「たくあんぱん」というパンをいただきました。「え!?たくあん入りのパンですか?」と驚きつつ、パンの中にたくあんが詰まっている様子を想像してしまいました。どんな感じなんだろうと恐る恐る袋を開け、パンを二つに裂いてみると、何の事はない、あんパンのあんこに刻んだたくあんが混ざっているものでした。食べても、あんこを食べながら時々漬物を食べるみたいな感じで、美味しくいただきました。自分からはたぶん手にとらなかったと思いますが、親しい人に勧めらたら、一度は試してみようと思うものです。
多くの人たちにとって福音はそのようなものかも知れません。自分から進んで聞いてみよう、学んでみようという人は、よほど深い求道心がある人で、大抵はちょっと興味は引いても「また今度」とパスしてしまうでしょう。けれど、親しい人、信頼している人から勧められたら「聞いてみようか」と思う可能性はとても高くなります。私たちのすべきことは無理に勧めることではなく、愛と誠実さをもって親しい関係を作ることがまず大事です。

“主に信頼し 善を行え。
地に住み 誠実を養え。” 詩篇 37:3

明日は朝7:30から墓園でテント設営があります。朝早いですが、いらっしゃれる方はよろしくお願いします。

佐々木真輝

あじさい

みなさん、おはようございます。
教会の紫陽花が綺麗に咲いていますね。教会にあるのはガクアジサイとホンアジサイでしょうか。紫陽花は園芸種として多くの品種があり、とてもじゃないですが覚えられません。これから咲きそうな株もありますが、とにかく雨の季節によく似合います。
紫陽花を見ていると教会のようだなと思うことがあります。小さな花が密集してまるで一つの花のようになっています。一つの株から幾つものの花の固まりをつけて見事な姿を見せてくれます。私たちも一人一人は小さく、また一つ一つの家庭も小さいですが、寄り集まって教会家族として結び合わされています。そうしたいくつもの教会がイエス・キリストに結びついているのです。使徒たちが紫陽花を知っていたら、どんなふうにたとえとして用いただろうかと想像してしまいます。

“こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。” エペソ 2:19

佐々木真輝

警告

みなさん、おはようございます。
今週は気がかりなニュースがありましたが、その一つは沈没したタイタニック号を見物にいった潜水艇の消息が分からなくなったというものでした。酸素が限られているので時間との勝負とされていましたが、どうも潜水してほどなく爆縮したものとみられ、生存の可能性はほぼないという最悪の結末でした。原因として指摘されていることの一つは、構造的な安全性への懸念で、実は問題が指摘されていたということでした。詳しいことは調査が進まないと分かりませんが、とても残念すぎる結末です。
警告には耳を貸さなければなりません。何事もなかったとしても、それはたまたま大丈夫だったというだけのことです。神様はこの世界に対して、そこに生きる人々に様々な警告を与えています。なんとか世の中がうまく回っているように見えても、人生そこそこやれているとしても、それはたまたまのことに過ぎません。真剣に耳を傾けるべきであることに変わりはありませんね。

“あなたがたは、語っておられる方を拒まないように気をつけなさい。地上において、警告を与える方を拒んだ彼らが処罰を免れなかったとすれば、まして、天から警告を与える方に私たちが背を向けるなら、なおのこと処罰を免れられません。” ヘブル 12:25

佐々木真輝

2023-06-25 神は光、神は愛だから

2023年 6月 25日 礼拝 聖書:第一ヨハネ1:1-4

 クリスチャンにとっての一つの課題は、長い人生の中で信仰を保ち続けることです。イエス様を信じて、喜びとともに信仰の歩みが始まっても、様々な出来事や心の変化の中で信仰を失ったり、迷うことは誰にでもありうることです。イエス様の救いが完全で「罪赦され神の子どもとされた者は聖霊の証印によって救いのうちに永遠に保たれている」とは言っても、私たちの信仰が弱ってしまえば、現実の暮らしの中で本来信仰によって受け取れる力も喜びも悟りもなしに生きていくことになりますから、それはそれで苦しいものになります。続きを読む →

滑舌

みなさん、おはようございます。
ラジオを聞いているとき、ちょっと「良い歌詞だなあ」と思いながら誰が歌っているか考えて見ましたが分からず、パーソナリティが曲紹介してくれるのを待っていました。とある人気(らしい)の音楽グループメンバーの方がパーソナリティを務める番組だったのですが、どうもお話が聞き取りにくい。結構頑張って聞き耳を立てていたのですが、よく分かりませんでした。
とはいえ、この滑舌問題は自分の問題でもあります。私も普段、メッセージを語る時に「ああ、今日も滑舌悪かったなあ」と反省してもいますので他人のことを言えた義理ではないのですが。何かを伝えたいなら、はっきり、しっかり伝える必要があります。伝える内容も大事ですが、伝え方も大事ですが、どちらの面でも、満足できるレベルにはなかなかなれません。もどかしさやがっかり感も感じ続けているのですが、皆さんの忍耐と寛容さに助けられています。

“また、私がこの奥義を、語るべき語り方で明らかに示すことができるように、祈ってください。” コロサイ 4:4

佐々木真輝

2023-06-18 最後の仕事

2023年 6月 18日 礼拝 聖書:ペテロ第一1:1-15

 数週間前、SNSを通じて牧師たちの間で「宣教師を名乗ってあやしい勧誘をする人たちがどこそこの地域を回っているから要注意」という情報が流れました。実はこうしたことは度々あります。ペテロの時代も偽教師と言われる人々の存在がしばしば教会を混乱させていました。

ペテロの手紙第二は、いわばペテロの遺言のようです。第一の手紙と同様、今のトルコにあたる小アジアのクリスチャンを念頭に書かれた手紙ですが、最初の手紙から状況は少し変わっていました。続きを読む →