競技者

みなさん、おはようございます。
夕べ、夕拝を終えて家に帰るとテレビで陸上競技が放送されていました。オリンピックに向けたテスト大会というものだそうです。現状、個人的にはオリンピックの開催には賛成できないのですが、スポーツそのものはやはり見ていて面白いですし、一瞬の勝負にかける陸上競技は見ていて力が入ります(その辺は人それぞれといったところですが)。誰かを応援することで自分を鼓舞することになるのか、勝ち負けは別として力をもらえるなという感覚はあります。心情的にはなかなか悩ましいところです。せめて選手たちへの批判や非難はやめてあげてほしいです。
神様に与えられた体を自由に動かし、競い合うのは人間のもっとも基本的な喜びの一つです。その上、栄誉を得るために多くのことを犠牲にして訓練を重ねる姿は、人生で何かを得ようとするあらゆる事に通じるものでもあります。

“競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。” コリント第一9:25

佐々木真輝

2021-05-09 生活の建て直し

2021年 5月 9日 礼拝 聖書:ネヘミヤ8:1-12

 私の好きな小説に、壁で囲まれた不思議な町を舞台にした物語があります。それは実在する町ではなく、主人公の無意識の心の中を描いたものなのですが、実際のところ、私たちは誰でもそうした壁を持っています。誰も寄せ付けないような壁になってしまう事もありますが、たいていは自分と他人を区別し、自分の心の中にある大切なものを守るために周りを一線を引くようなものです。続きを読む →

笑顔に励まされて

みなさん、おはようございます。
先日、礼拝のあとでネームカードのための写真を撮らせていただいて、私にとってはとても嬉しく楽しい時間になりました。マスク生活になって一年以上経ちますが、この間、ほとんどの方のお顔をちゃんと見られていません。よく知った皆さんなのでマスク越しでも表情がなんとなく分かりますが、それでも、マスクを外した笑顔をカメラ越しに見ているだけでとても幸せな気分になりました。明日教会にいらしたら出来上がったネームカードを手に取って身につけ、お互いの笑顔を(小さい写真ですが)見ながら、また楽しい交わりの時を持ちましょう。
恐れや不安の種を探すような生活や心の状態は私たちの心をしばり、自由をうばい、目を塞ぎます。小さなことを最大限に喜び、ちょっとしたハプニングを心から笑い、神様の恵みやみわざに目が留まるように、マスクはしていても表情を消さないようにしましょう。

“あなたを慕い求める人たちがみな
あなたにあって楽しみ 喜びますように。
あなたの救いを愛する人たちが
「主は大いなる方」と いつも言いますように。” 詩篇 40:16

佐々木真輝

頭の痛い問題

みなさん、おはようございます。
昨日の夕方からわりと強い頭痛に見舞われました。左の肩から首にかけてかなり張っていますので、緊張性の頭痛というやつですね。「頭痛の種」なんて言い方もありますが、頭の痛い問題は、リアルに頭が痛くなります。教会の中のことではないのですが(教会の中にもいろいろと心配や悩みはもちろんあります)、大きめの問題が一つ二つとあるだけで簡単に体にまで影響が出るものです。これはけたたましい音で危険を知らせるサイレンみたいなものとして神様が備えてくださった警報器です。
そういえば詩篇の中には、悩みや恐れ、後悔、憤りといった感情が肉体に様々な影響を及ぼし、心の痛みが身体的な痛みとして感じられ、そのことを神様に訴えている詩がいくつも見られます。すごいなあと思うのは、詩人たちが自分の肉体の痛みと心の痛みの関係性をきちんと認識できていて、その上で神様に訴えていることです。いつでもそれが自覚できるわけではないですが、そんなふうに祈れること(そしてその祈りは聞かれていること)は本当に幸いなことです。

“私はひたすら黙っていた。
良いことにさえ沈黙した。
そのため私の痛みは激しくなった。” 詩篇 39:2

今日は井上めぐみさんの誕生日です。祝福を祈ります。

佐々木真輝

手入れが必要

みなさん、おはようございます。
昨日、某所で素晴らしい柴桜を見て来ました。雨でもありましたし、短い時間だけでしたが、十分楽しめました。今はシーズンですから、あちこちの家の庭に広がる芝桜の絨毯は本当に見事です。我が家でも家内が芝桜を育てようとしたことがあるのですが、大きく広げるのはなかなか大変なことです。なにより、きれいに保つためには小まめな手入れが必要です。私にとっては一番苦手な分野です。
とはいえ、私たちの生活も心のありようも、適度に手を入れて整えたり、片付けたり、不要なものを処分したりしないとどんどん雑然とし、せっかく神様から与えられた美しさを十分に表したり、結ぶべき良い実を結ぶことが出来ませんね。

“わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。” ヨハネ 15:2

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

間違って切り捨てないように

みなさん、おはようございます。
昨日の午後になってようやく雨が上がったので、気になっていた家の周りの草刈をしました。いつもより少し早い時期に取りかかれたので大分楽でしたが、それでもいつもながら、「これは刈ってもいい奴か、残すべき花か」ということです。毎年のことなので名前は分からずとも区別がつくようになったものは増えて来ましたが、それでも迷ったり、間違って刈ってしまうことがあります(昨日の分は大丈夫だったんじゃないかと思いますが)。
何事も、「邪魔なもの」と決めつけて切り捨ててしまうのは簡単なことですが、自分が本当の価値に気づいていないだけということもあります。草花くらいなら何とかなるかもしれませんが、人や物事については取り返しのつかないことにもなりかねません。特に人に関しては、その人の魂を損なうことすらありますから、よほど判断を慎重にしないといけません。

“さばいてはいけません。そうすれば、あなたがたもさばかれません。人を不義に定めてはいけません。そうすれば、あなたがたも不義に定められません。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦されます。” ルカ 6:37

佐々木真輝

2021-05-02 信仰が語るもの

2021年 5月 2日 礼拝 聖書:ヘブル11:1-4

 今年度の主題は詩篇37:5の「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」というみことばによって『主に信頼して』となりました。しかし、主に信頼して生きるとか、信仰によって生きるとはどういうことなのでしょうか。続きを読む →

あてにならない感覚

みなさん、おはようございます。
自分の生活や働きのペースがゴールデンウィークとあんまり関係ないので、病院やら銀行やらが休みになるということをすっかり忘れていました。まあ、銀行関係はATMもあるし多分大丈夫ですが、あと数日で切れる薬をもらうためにいつも行っているクリニックが休みになるととても困ります。ぎりぎり今日はまだ間に合うので滑り込みで行けそうです。思い込みや自分の感覚に頼っていると怖いですね。
世の中は自分の思い通りには動いてくれないのはもちろんですが、「これが普通だろう」とか「常識」だと思っていることや、感覚的に大丈夫と思っていることも結構あてにならないものです。日常生活をつつがなく送るために便利に使うことは必要な知恵ですが、頼ってしまうと思わぬしっぺ返しがあります。自戒も込めて、確認すること、聞く事、教わること、違う考えや見方から学ぶ事を大事にしたいと思います。

“自分の心に頼る者は愚かな者、
知恵をもって歩む者は救われる。” 箴言 28:26

佐々木真輝

今日は何の日

みなさん、おはようございます。
今日は「昭和の日」ですね。以前は「天皇誕生日」でしたが、天皇の代替わりとともに「みどりの日」になりましたが、「みどりの日」が5月4日になったため、今度は「昭和の日」になりました。平成のころ「天皇誕生日」だった12月23日は、代替わりに伴い休日ではなくなりました。まだご存命だからだと思います。その他にも、かつては日付が固定されていた「成人の日」「敬老の日」「体育の日」はハッピーマンデーというやつのせいで第○月曜日に変わりました。さらに去年と今年はオリンピックの関係で休日がさらに移動になって、去年のうちに買っていた手帳のカレンダーとは違っています(不便極まりない)。年々覚えるのが大変になってきてる気がします。
国民の休日は法律で定められ、それぞれにちゃんと意義や目的があるんですが、正直あんまり関係なく過ごしている、という人が多いかも知れませんね。そもそも仕事のシフトが休日とは関係ない、という人も多いですし。でも時には休日や祝日は、とても強い政治的な意図をもって利用されることもあり、それに対する反対議論なども巻き起こったりします。ただただ体と心を休めたいという人にはどうでも良い話しかも知れませんが、ちょっとは心に留めておきたいことではあります。ともあれ、今日お休みの方はあいにくの天気ですが、どうぞゆっくり過ごしたり、普段できないお家のことをしてください。今日もお仕事の方はお疲れさまです。十分な休息をちゃんととれますように。

“ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。” ローマ 14:5

今日は****さんと*****さんの誕生日です。祝福をお祈りします。

佐々木真輝

「もっと」

みなさん、おはようございます。
昨日の朝メールで「夜空を見上げてみてはいかがでしょうか」と書きましたが、雲がかかっている時間が多かったみたいですね。私は、日没と月の昇る時間がだいぶ近かったので、もしかしたら夕焼けの光で本当にピンク色の満月が観られるんじゃないかと、あわよくばカッコイイ写真を撮りたいとカメラを準備して期待していたのですが、残念ながらその時間帯は東の空に雲がかかって全く見えませんでした。あまり欲をかいても良くないですね。夜になって、シンガポールの皆さんとのオンラインミーティングを終えてから窓の外にうっすら雲がかかった満月が見えたので、それで満足しました。
期待や望みは高いほうが良いように思いますが、一方で高望みは良くないとか、欲をかくとろくなことがないとも言われます。「もっと」という欲は成長の糧になりますが、罪の種にもなります。その辺の自分の中での線引きが難しいなあと時々感じます。皆さんはどう考えますか?

“そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」” ルカ12:15

今日は****さんの誕生日です。祝福を祈ります。
明日の婦人会と祈祷会はお休みとなります。

佐々木真輝