2023年 1月 22日 礼拝 聖書:ピリピ1:1-11
私は経験ありませんが、親しい人が無実の罪で牢に入れられたらどういう気持ちになるでしょうか。何を心配するでしょうか。
時々、知り合いの牧師たちが海外から仕事に来た方たちがビザの問題や困った事情で牢屋ではないけれど、入国管理局に閉じ込められてしまい、そうした人たちを支援しているという話しを聞きます。そこには日本の社会にある矛盾や制度上の不備、人権についての考え方の問題があるので、苦しんでいる人たちへの思いやりとともに正義感も働いているのかなと思います。
何かの容疑で囚われの身となったら、完全に無実を信じることができるか分かりませんが、少なくとも健康状態や精神状態は心配するでしょうし、十分な助けがあるか、何か助けになることはあるかと考えるのではないかと思います。
ユダヤ人の陰謀のため、ローマ帝国の獄中にあったパウロに対するピリピ教会の心配がこの手紙の背景になっています。続きを読む →