見るもおぞましい…

みなさん、おはようございます。
昨日、教会の台所に行ってみると、何やら非常に小さな虫が這い回っているのが見えました。良く見ると、水切りにあげられたグラスや炊飯器の蓋の上、立ててあるペーパータオルなど、そこかしこに…。たぶんダニの一種ではないかと思いました。こんなことは初めてだったので何が起こったのかとふと換気扇を見上げると何やらカサカサと音が。ハクセキレイのつがいが換気扇のフード内に新居を構えており、おそらくそこがダニの発生源かと推測。急きょ近所のドラッグストアに走って虫を駆除する薬剤を入手し、台所のあちこちを目張りして密室を作り薬剤散布。それから鳥たちには申し訳なかったですが巣を撤去(まだ卵はなかった)。多少パニックになっている鳥たちに追い打ちをかけるように換気扇フードには侵入を防ぐネットを設置しました。ダニは卵から産卵まで1〜2週間あるそうなので、その頃もう一度薬剤散布が必要です。
虫嫌いな人には想像しただけでもゾワゾワする光景だったと思いますが、見てしまった以上は見なかったことには出来ませんし、ドアを閉じても何の解決にもなりません。私たちは時々、人間の中に(そして自分自身の中に)見なかったほうが良かったと思えるような、いやなものを見てしまうことがあります。それを照らし出すイエス様の光は、いやす力でもあることに感謝したいと思います。

“「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。” 2コリント 4:6

佐々木真輝

災害のたびに

みなさん、おはようございます。
九州方面での豪雨による被害がとても気の毒で心配でもあります。雨が止んでも土砂崩れの恐れがありますし、これから来る暑さは衛生面の問題や復旧作業を厳しいものにするのは容易に想像できます。昨年、福岡に転任されたO先生家族のことが気がかりで、昨日の朝連絡しましたが「晴れ間を見て犬の散歩に行くつもり」とのいつもながらの返信に安心しつつも、無理しないでねと思いました。他にも何人かの顔が浮かびます。
毎回、このような災害が起こる度に「どうすれば防げたのか」ということが問われますが、東日本大震災の後、「防災」ではなく「減災」と言われるようになりました。どこまで想定したり、予測の精度を上げても災害を完全に防ぐことは出来ないから、減らす工夫や準備、教育、訓練をしましょうということですね。いろいろな備えは大事なことなのですが、最後に私たちを救い、支える神様がいてくださることを覚えましょう。

“戦いの日のためには馬が備えられる。
しかし、救いは主による。” 箴言 21:31

佐々木真輝

イエスはわたしの友

みなさん、おはようございます。
サッカーの「押し」チームがあるのですが、ここ数年はなかなか成績が上がりません。「常勝軍団」と呼ばれた強さが見られず、残念な気持ちです(野球のほうの「押し」チームも今年は散々です)。だからといってファンを止めるということないですし、負けが混んでいる時も何とか頑張って欲しいと陰ながら応援しています。
勝っている時だけ、上手くいっている時だけ応援してくれる人、成功したときにチヤホヤしてくれる人がいます。そう言ってもらえると気分がいいものですが、そういう人は成功しなくなったときや負けが混んで来ると離れていきます。でも、イエス様はどんなときも私たちの友であり、味方です。私たちの勝利や成長を喜んでくださるだけでなく、私たちが失敗したり、過ちを犯してしまったりする時にはとりなし、慰め、そばにいてくださいます。

“わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。” ヨハネ福 15:15

今日は午前の礼拝のほか、夕方6時からは愛餐礼拝(夕拝)があります。リアルでもリモートでも、お会いできるのを楽しみにしています。

佐々木真輝

2023-07-09 真理と愛のうちに

2023年 7月 9日 礼拝 聖書:ヨハネ第二 1-13

 私は若い頃、頭でっかちなところがありました。というか今もある程度はそういう傾向があります。

知識や理解と実際の行動のバランスが取れていないとその歩みはとても不安定です。とても行動的だけれども知性や思慮に欠けていることも問題を引き起こしやすいのは同じです。

さて、今日取り上げるヨハネの手紙第二は、聖書本文を見ていただければ分かるように「章」の区分がありません。非常に短い手紙です。先々週ご一緒に学んだ第一の手紙を補足するものになっていて、長老と呼ばれていたヨハネが、エペソにある家の教会に書き送ったものです。第一の手紙は説教のような内容ですが、第二の手紙、そして第三の手紙はまさに手紙です。続きを読む →

夏カフェやります

みなさん、おはようございます。
7月末に計画した「流しそうめん」は、いろいろなご意見を考慮して「夏カフェ」というかたちに変更することになりました。教会カフェを行うのはコロナ禍になる前以来ですからほぼ3年半ぶりです。ウクレレとゴスペルフラの体験がメインのイベントになります。内容は変わっても、目的に変わりはありません。ぜひ皆さん楽しんで参加し、またお友だちをお誘いしましょう。
このような機会は、クリスチャンが神様とお互いを喜び、楽しんで生きている姿をまわりの方々に見ていただける機会です。これは神様の恵みの素晴らしさについて、雄弁な証しより説得力のある証しになります。もちろん、いつかは福音の内容を知っていただくためにお伝えすることが必要になりますが、まずは私たちがイエス様にある新しいいのちを喜んでいることが大事です。

“あなたは私に
いのちの道を知らせてくださいます。
満ち足りた喜びが あなたの御前にあり
楽しみが あなたの右にとこしえにあります。” 詩篇 16:11

今日は婦人会と祈祷会があります。

佐々木真輝

推し活

みなさん、おはようございます。
ちょっと前からよく耳にする(目にする)ようになった言葉に「推し活」というのがあります。自分が応援している(押している)アーティスト、アイドルやキャラクターなどを様々なかたちで応援する活動のことですね(結構お金や時間を使うのでちょっと引いてしまうところもあるのです)。私が数年前から密かに「押し」ているのは、車中泊をしながら日本全国すべての都道府県を旅するカップルです。写真や映像がとても素晴らしく、ついに日本一周を達成したのを記念して写真集が発売されるということで昨日本屋さんに向かいました(発売日がまだだったので替えませんでした)。さほど推し活に熱心なわけではないので手にとってみないと分からないですが、でも推し活につぎ込む人の気持ち、少しは分かる気がします。
ところで、私たちは私たちのために大きな愛を注いでくださっているイエス様のための推し活はどれくらいやっているでしょうか。イエス様の推し活で一番大事なのは、イエス様のご性質である愛と真実さを身につけるために自分を捧げることです。

“キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。” ピリピ 2:5

佐々木真輝

墓前礼拝

みなさん、おはようございます。
昨日はちょっと風が強かったですが、無事に召天者記念礼拝が行われました。改葬する予定だった合葬墓に思わぬ排水問題がみつかり、そこは残念でした。それでもコロナ禍でいらっしゃれていなかった方々がまたおいでになれたり、葬儀にはいらっしゃれなかったご遺族が参加してくださったりと、とても意義深い日でした。
墓前礼拝は遺族でない人や知っている人がいないとあまり関心を持てなかったりもします(それは分かります)。でも、時代は違っても同じ教会に連なった方々のことを考えたり、未信者の遺族の方々が年に一回だけでもキリストにある希望や自分のいのちと死について考える時を共有することは誰にとっても意味があります。今回参加できなかった方も来年はぜひ。

“知恵のある者の心は喪中の家にあり、
愚かな者の心は楽しみの家にある。” 伝道 7:4

昨日は****さんの誕生日でした。遅ればせながら祝福を祈ります。
今日はオンラインの岩手同労者会(牧師会)があります。

佐々木真輝

2023-07-02 落ち穂拾い

2023年 7月 2日 礼拝 聖書:ルツ記2:1-13

 月に一度、年間主題に関連した箇所を開いていくシリーズですが、今日は有名なルツの落ち穂拾いの物語を取り上げます。

ルツ記は士師記とともに、出エジプトの時代と王国時代の間をつなぐ、とても大切な役割を担っています。モーセやヨシュアという偉大な指導者を失ったイスラエルは、王国時代に入るまで非常に混乱した時代の中にありました。人々は自分が良いと思うように勝手に生きていました。それは自由であるようで実のところ心に住み着く罪に囚われた生活になってしまい、宗教も道徳も社会も大混乱でした。神様は度々イスラエルの民を懲らしめるために他の国々がイスラエルを責め、奪うことを許しました。その度にイスラエルの民は神に赦しを乞い、助けを求めます。すると、神様は士師と呼ばれる指導者を起こし、苦境から救うのですが、しばらくするとまた元に戻ってしまう。そんなことを繰り返していました。

しかしそんな時代でも、アブラハムの子孫を通して世界に祝福をもたらすという神様の約束は反故にされることなく、目立たない存在でああっても、神に信頼し、希望を置く人々を通して守られていたことを示すのが、このルツ記です。続きを読む →

自分では手にとらないけど

みなさん、おはようございます。
先日、おやつにどうぞと「たくあんぱん」というパンをいただきました。「え!?たくあん入りのパンですか?」と驚きつつ、パンの中にたくあんが詰まっている様子を想像してしまいました。どんな感じなんだろうと恐る恐る袋を開け、パンを二つに裂いてみると、何の事はない、あんパンのあんこに刻んだたくあんが混ざっているものでした。食べても、あんこを食べながら時々漬物を食べるみたいな感じで、美味しくいただきました。自分からはたぶん手にとらなかったと思いますが、親しい人に勧めらたら、一度は試してみようと思うものです。
多くの人たちにとって福音はそのようなものかも知れません。自分から進んで聞いてみよう、学んでみようという人は、よほど深い求道心がある人で、大抵はちょっと興味は引いても「また今度」とパスしてしまうでしょう。けれど、親しい人、信頼している人から勧められたら「聞いてみようか」と思う可能性はとても高くなります。私たちのすべきことは無理に勧めることではなく、愛と誠実さをもって親しい関係を作ることがまず大事です。

“主に信頼し 善を行え。
地に住み 誠実を養え。” 詩篇 37:3

明日は朝7:30から墓園でテント設営があります。朝早いですが、いらっしゃれる方はよろしくお願いします。

佐々木真輝

あじさい

みなさん、おはようございます。
教会の紫陽花が綺麗に咲いていますね。教会にあるのはガクアジサイとホンアジサイでしょうか。紫陽花は園芸種として多くの品種があり、とてもじゃないですが覚えられません。これから咲きそうな株もありますが、とにかく雨の季節によく似合います。
紫陽花を見ていると教会のようだなと思うことがあります。小さな花が密集してまるで一つの花のようになっています。一つの株から幾つものの花の固まりをつけて見事な姿を見せてくれます。私たちも一人一人は小さく、また一つ一つの家庭も小さいですが、寄り集まって教会家族として結び合わされています。そうしたいくつもの教会がイエス・キリストに結びついているのです。使徒たちが紫陽花を知っていたら、どんなふうにたとえとして用いただろうかと想像してしまいます。

“こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。” エペソ 2:19

佐々木真輝